作業スイッチのバグの話、他同人の話等
平生における常人の作業能力について、ベストな状態を100としよう。0〜100までの間を行き来できる電球だ。睡眠中が0、起きていて健康な時が70、80〜といったところか。
私は鬱、それもどうやら躁鬱で、明るさ調節機能がバグっている。比較的マシな状態の時なら70くらいまで出せる日が数日続く事もあるが、唐突にon/off切り替えスイッチになったりする。数ヶ月に渡り常にスイッチ式というわけでもないので、そこまで重症ではないのだろうとは思うが、職種により差はあれど安定して80前後を要求されるのが世の仕事であろうと考えられるので、当然ながら社会不適合である。
スイッチ式になった時、onの数値はどう見ても80や90程度ではきかない。完全にキマっていると150ぐらいいくので、日常の要求分と比すればどう考えてもオーバースペックだ。そしてそれだけ猛烈に光ると電球も疲れて消えてしまう。スイッチが切れている時は酷ければ起床時でも10ぐらいにしかならない事もあり、どうなるかというと、「動きが緩慢で話しかけられても返事をしない」といった具合だ。暗いとかいうレベルの話ではなく、まともに動作していない。頭の中は灰色だ。
社会人として見ると不便極まりないのは確かだが、onとoffがハッキリ切り替わるのは存外便利かもしれない、と私は思っている。
カフェインが良い例だ。飲んでいれば90、飲んでいなければ60〜70といった具合になるか。完全に健康な状態であれば何もせずとも90が普通だったりもするものだが、人間中々そうもいかないので、とすると動く時と動かぬ時を切り替えられるのは結構な強みだろう。勿論毎日飲んでいれば耐性が付いてしまって、飲んでいれば80だが飲まなければ50程度とかいう状態になるのがオチだ。ここぞという時だけ飲むのが正しい魔剤の使い方である、等と今更私が言うまでもないだろうが、そうであればシンプルにバフとしてだけ使える。体質的にカフェインが効きにくい? うーん、それは残念でしたね。因みにだが煙草の作用についても同じ事が言える。
以前も書いたが、私はカフェインはガッツリ効くので、スイッチがonの時に摂取すると200ぐらいまでいけたりする……少なくとも私はそう感じる。そこまでいって何の役に立つのかという話になるが、勿論最大限有効活用できるのは創作という事になろう。130ぐらい無いとできない作業というのが確かに存在する。過剰分については、その分長く作用する為に恐ろしいまでの濃度を持った一日になり得る。学問や研究についても同じように使えるかもしれないが、やはり私の所感としては「躁鬱は才能」である。尚この"才能"がゲームに充てられたりすると、ひたすらそのゲームだけやり続ける事になる。
……こんな文章を親に読まれた日には「お前治す気ないだろ」とか言われかねないが、流石に今のニート生活がずっと続くわけでもないので、上手い事噛み合う職を確保したいとは思っている。まあ失業手当を貰える内は貰っていたいがね。
あ、そうそう。以前行った京都秘封の会場で、直接感想や質問を投げてくれた人間が何名かいたのだが、作業の説明に際し私が躁鬱である事に触れると「ああ、虚無を見たやつですね」という反応が返ってきた事があった。私としては「あン? まさか定期的に私のnote読んでらっしゃる? あ、そう。ふーん。ぬーん」みたいな心情になった。これは単に説明しようと思ったら既に知られていた、という話ではない。
何かというとですね、私は基本的にnoteでは私の記事を通読している人間の事だけを想定しながら文章を書いており、そしてそれは片手で数える程度しか思い浮かばないのだ。即ちそれ以外の人間が私の記事を真面目に読んでいる等という事は全く考えていないのだ。閲覧数を見る限り毎回数十人、多ければ数百人に読まれているようなので、反応を送らぬだけで黙って読み続けている人間も多少はいるのであろうという事は当然考えられるのだが、しかし文章を書く人間は常にある程度読者層を想定し、そこに絞って文字を連ねるものであろう。私の場合、noteに限らず何かを書いたり描いたりする時思い浮かべるのは常に3、4人程度しかいないのだ。理屈と感覚は異なるとでも言っておこうかね。私の記事は常に現在進行形の黒歴史のようなものだし、そこについて若干の気まずさのようなものもないわけでもない。
久々にこんな文章を書いたのは、今日の私が明確に躁だからだ。ああ、躁でなければ書けなくなったのだとすれば、やはりマイナスの方が大きいのではないか、とも思わんでもないのは否定できんなあ。ただ、精神疾患診断が下った人間あるあるだと思うが、一度自分の状態に躁鬱等の区別が付いてしまうと、全ての行動についてその軸で考えるようになり、例えば昔はずっと躁だったのだ、とか考えるようになる。ハァ。
折角だし勢い任せで今取り組んでいる作業についても少し触れておこう。最近、創作らしい事といえばこっそり小説を書いている。こっそりというのは、私が管理しているdiscordの一つの鯖の中でちまちま書いているという事だ。東方、特に秘封とメタルマックスのクロスオーバーなのだが、昔ゲームを作ろうかと思い結局断念していたものを、やる夫スレにでもしようかと思って改めてストーリーを考えている最中である。そうした場合どれだけ時間をかけても一銭にもならんし、その性格上直接同人誌にするつもりもない。正しく趣味だ。
同人といえば、今後の方向性についても最近は迷っている。前回描いた蓮子の絵について、あれは少しやり過ぎたのだろうか等と思ったりするのだ。理由は単純で、まあ、売れない。あそこまで手の込んだ作品を5、6万では手放したくないのだが、それ以上となるとポンと出せる人間はそうそういない。結果、完成した作品と、それを抱えた金の無い私だけが残る。二次創作で稼ぎたいなどというと同人ゴロっぽくなってくるので自分でもあまり好ましくはないのだが、しかし、ねえ。これについては現物を見た人間なら理解してくれる事を期待したい。賞賛するなら買ってくれってか。まあ、私は他人の賞賛を原動力にして動くタイプではないしな。いや、感想を投げるなと言っているわけではないよ。それはそれで悪い気はせんし。
迷いに関してもっと言うと、今一番描きたい絵は、A3の画用紙での点描によるアリス・マーガトロイドの肖像画だ。自分で言うのもなんだが、最早ここまでくると二次創作、ファンアートの領域か怪しくなってくる。一体そんなものを誰が買うというのだ?
できる。間違いなく今の私ならできる。できるのだが、やったところで金銭的には完全にマイナスにしかならない。前回の絵だって、イベント参加費はおろか額縁代すら回収できちゃいない。無職には、少々厳しい。が、無職にならざるを得ないからこそ可能な作業でもある。このジレンマ!
自惚れた事を言わせてもらうと、正直これだけのものを創れるのに、それが何にもならず燻っているというのはあまりに惜しい。仕方ないので次は春例にでも申し込んで細密画のミニ色紙を数枚描いて持っていくのがいいところだろうか、と考えている。それなら誰でも十分手の届く範囲になる。
……やっぱ、勿体なくねえ?
上の文を書いてから数時間経った。午前中に入れたカフェインが切れ、今は躁の気配はない。寒い。居間は4℃しかない。
然らば。