自死、人格の仮面
先日フォロワーがこんな記事を書いた。
それを読んだ上で、
自死が程遠い存在のゾがどんな気持ちで読んだのかは気にならなくもない
— 紅色の繊夏(そひか) (@Sohika_QLOCKS) October 17, 2020
と言われた。というわけで長々と書いてやろうと思う。後半は殆ど自分語りだし、中二病になった事のない人間は読むに向かない。
さて、"ミゾヲチは病まない"。精神的な強さと鈍さはかなり近いところにあり、「肉体派のミゾヲチ」でいる時は何しろ脳筋の為そひかの言う通り自殺とは程遠い。ただ「文学青年のミゾヲチ」を考えてみると、大正〜昭和初期の純文学に浸った人間が自殺から遠くにい続けられるかというと、それはない。ただし今属しているTwitterの界隈で見ると肉体派という要素が少数派となり、強調されている面がある。
折角なのでこれについて少し触れておくと、例えば大学生がいないコミュニティに入った時(去年までの話)、俺がそのコミュニティとズレたものを(能力にしても考え方にしても)持っていた場合、その理由は「大学生」に依拠される。また大学生同士のコミュニティに入り、そのコミュニティにオタクがいなかった場合は「オタクだから」がイレギュラーの理由として扱われる。オタクな大学生のコミュニティでは「創作者だから」・・・・・・といった具合に、コミュニティの中で異質な存在であれば、異質である事の理由はそのコミュニティに無いと客観的に判断できる属性に求められる。「大学生だから」は大学生コミュニティでは使えず、「オタクだから」はオタクな大学生のコミュニティでは使えず、といった具合に枠を小さくしていくと、次第にその理由は細分化されると共に(絞り過ぎるとそれだけでは語れなくなる為)数が増えていく。結局、最終的には「ミゾヲチだから」としか言い様がなく、大学生だから凄いのではなく俺だから凄いのであって、オタクだから知識が偏っているのではなく俺だから偏っているのであって、という事になる。わかりやすい理由を求めたくなるのは人の性というもので、無論それは俺も例外ではないのだが、特に俺の場合は属性が多いのでコミュニティによって異質となる要素が全く異なる。
ミゾヲチはツイ廃で、物書きで、絵書きで、同人作家で、(純)文学青年で、中世文学専攻で、卒論は九相図で、武闘派で、ミリオタで、愛煙家で、秘封民で、マキシマリストで、和服常用者で、仏教思想寄りで、神社巡り趣味で、ゾンビ映画マニアで、比較的高IQで、人形愛好家で、鬱ゲーマニアで、バキの愛読者で、古民家在住で、グロ趣味で、間違ったものが好きで、筋金入りの中二病で、カルピス納豆巻き教教祖(また別の機会に語る)で、とまあ挙げていくと切りがないのだが、先の話に戻すとそひかと俺が共通して属しているコミュニティは東方の秘封クラスタである。変人や逸般人の多い界隈で、多少変なぐらいではそこまで目立たず、またそもそも東方二次創作クラスタに属するコミュニティなので同人作家である事はスタートラインであるとすら言える。その中で見ると、空手経験者且つその中でも特に闘争本能が強く、血なまぐさい一族の生まれである脳筋野郎という人物像は珍しい方らしい。まあ創作やるようなオタクは体育会系とかも少ないからな。
即ちミゾヲチは元がTwitter向けペルソナでありながらも、属す界隈の性格により俺が想定したミゾヲチとはややズレた解釈―――脳筋の武闘派という解釈をされる事が多いのだ。
・・・・・・と言いつつ、「お前らが思う程野蛮で粗暴な人間ではない、もっと繊細な文学青年なのだ、だから俺だって自殺を考える事もあるのだ」などと主張するつもりはない。そひかの「自死から程遠い存在のゾ」という解釈それ自体は正しく、しかし感想を述べる為には(俺が思う)自死に向かう感情の種類について説明せねばならないのである。
・自殺願望とは、ハッキリした現実の理由から逃避すべく自殺を願う事である。もうこんなハズレカードでの人生は嫌だ、死んでしまいたいといったものか。※単一の理由のみによって自殺する事は、余程芯の通った人間でなければまずあり得ない旨留意されたい。
・希死念慮とは、なんとなく、漠然とした感覚で自死を願う事である。消えたい、眠ったままでいたいといったもの。
・自殺念慮とは、理由はなんとなくでありながらも希死念慮より明確に自殺を意識している事である。自殺の手段やその様子を思い描き、機会を伺っている状態ぐらいだと捉えればいいか。
他にもあるようだが取り敢えずこの中から語ると、少なくとも希死念慮や自殺念慮については、生まれてこの方全く経験が無い。俺は趣味の為に生きており、惰眠を貪る暇など無い。俺は俺の趣味と欲望に忙しい。ミゾヲチの存在は毅然として立つ。
自殺願望については些か微妙なところがある。自殺者の多い純文学を読んでいてその世界に憧れた、という面もあるが、一つ面白い自殺衝動のようなものがある。
―――美し過ぎるものを見ると死にたくなる。
醜い自分を比較してしまって死にたくなるといった事ではない(それは無い、まず無い)。「美」の中でも整然とした美や巨いものの美ではなく、哀しい、不可逆な、再現可能性の無い美をより強く感じるのだが、これは気分が落ち込めば落ち込む程自動的に感性が高まる性質が相俟っている。そういった種類の美を見た時、俺の容量を凌駕する程のものであれば、溢れ出た感情は強烈な死への衝動へと転化する。広大且つ細部に至るまで好みと合致した廃墟を見ると己も滅びたくなり、真っ赤な紅葉達を上から見た時はそこに投身したくなる(秋こそ自死の季節である)。熱暴走したPCの電源が急に落ちるような、感性の爆発的反応による己の終焉への転向がある。感性の感度が高いのか耐え得る容量が小さいのかはわからない。しかし長年意識的に積み上げてきた理性の檻と客観視癖によって幸か不幸か免れ続けているが、俺が最も精神面から死に近付くのは美への感性からだと断言できる。「末期の眼」が想起されるものの、順序は寧ろその逆に近い。ともかく文学的感性の昂りこそ最高の愉しみであり、その行き着く先は自死だ。
中学の頃ノイローゼ気味になった経験はあるが、鬱病には恐らくなり得ない。統合失調症は更に程遠い。その手の精神病になる事はまず無いだろうと言え、それは血筋や家庭環境が万全たる土台を作り上げているのが大きい。歪みに歪んだ木ではあろうが、その根は太く深く地に結びついている。
そひかの人格の仮面の話に繋がるが、意図的にやり始めたのは小学生の頃からとなるペルソナ作りを得意とし多数作り上げてきた(例えば武闘派と人形趣味は同じペルソナでは通し得ない)俺の、最も年数を費やす最高傑作がミゾヲチである。
ミゾヲチは強い。ミゾヲチは病まない。ミゾヲチは媚びない。ミゾヲチは毒である。ミゾヲチは孤高である。ミゾヲチは道徳を持たない。ミゾヲチは知識が多い。ミゾヲチは非社会的である。ミゾヲチは影響を撒き散らす。ミゾヲチはひたすら"違う"。そしてなによりミゾヲチは、単独でも歩み続けられる。
こう書き並べると自己暗示を多重に掛けているようにしか見えず、先の記事からするとかなり危険に思えなくもないし、実際あの記事を読んだ時になにより強く感じたのはそれだったのは否定しない。
が、しかし。最高傑作は伊達ではない。内省から補強と修正を繰り返し、俺が非常に得意な"理由の後付け"によって都合良く解釈され続ける。その変化まで含め「歩み続ける」とし、適合しながら趣味と思索に耽る事を好む。例えば俺の、ハマるくせに興味の対象が非常に移り変わりやすい性質は「没頭による得意分野を多数持つ事で、全ての(自分の)土俵で同時に負ける可能性を極限まで下げる事となった」(誰に対しても何れかの分野ではマウントを取れる)と解釈し、その解釈に使われる理屈の実際の有用性の高さにより高慢を保ち続け(能力が高くなければミゾヲチは演じ続けられない)、自信を失う事で何も出来なくなるといった状況を廃す。こういった"解釈"によって生まれ持った特性を更に著しく発揮させる方向に持ってゆき、それによって生じる欠点をも良しとしている。俺はミゾヲチである事を保ち続ける事でレベルを上げられ、確固たる自我を愈々強固なものにしてゆく。
俺は理想的な完璧人物のペルソナを作らなかった。己の能力と特性に合致した、即ち極めて偏ったペルソナを作り上げたのだ。我ながら上手くやったものだ。そして、ペルソナは演じ続ければ染み付くものである。
高校の頃、脳内に常に複数のペルソナがいて話し合っていた。何かを決める時、現実での判断材料の処理と結論までは秒で出ており(脳内にノベルゲーのような複数の選択肢が同時に発生し、それぞれの√の結末の予想までが直ちに行われる)、あとは"どの自分でいくか"が最も悩ましい問題となっていた。脳筋の俺ならこう行動する、理知的な俺ならこう行動する、刹那的快楽主義者の俺ならこう行動する、さあどの俺で行動しよう。
別にどれでも構わなかった。ペルソナはそれぞれ趣味とそれに関するスタイルで固められ、軸となるべきメインのペルソナが決まっていなかった。歳を経て、それら全てを統合するのに成功したのがミゾヲチである。あまりにも噛み合わない多数の属性を、一つの気分を通底させる事でミゾヲチのまま扱い続けられる術を覚えた。コツ? 教えなーい。
ここまで来れば最早揺るがない。「ミゾヲチ」が使えない場面では適当なペルソナで対応し、さっさと帰ってくるのがいい。我ながら上手くやったものだ。ペルソナ作りの天才なんじゃないかとすら思う。まだ幾つかバグる点があるが、のんびり補修していけばいいだけの話だ。誤解されやすい事については慣れた。多面性が強過ぎる人間の性である。
最近はミゾヲチの解像度が上がり、解釈一致か解釈違いかを行動決定に用いるようになった。「ミゾヲチがこれを避けるのは解釈違いだわ」で動けるようになった。高校の頃と比べるとまあ楽になったもんだ。
ただまあ・・・・・・フォロワーからの解釈が過度なものになって逃れ難くなる事はままある。ごく最近の例でいうと「ミゾヲチさんなら素手で割れるでしょ」と言って渡されたオニグルミ。あんなん割れるかよ。人間、限度がある。いやぁ人間辞めてえなあ。・・・・・・ミゾヲチ概念への解釈の暴走に振り回されかねないという脆弱性という事になるが、これもまたそのうちパッチが出る事だろう。
といったところだ。納得したかい? しなくてもいいがね。自分語りができて満足した。
然らば。
追記:アンチ君による呼応記事。