僕がヤフーを辞めた本当の訳 PART1
ヤフーに入社した訳
思い起こせば、私がヤフーに入社したのが2009年5月1日。
当時は、ヤフーは、六本木の東京ミッドタウンというオシャレなビルにあり、まさかこんな所で仕事することになるとは、と思ったものでした。
これからはインターネットの時代だなと思って、ヤフーに転職しました。
転職が決まって、親に報告したら、ベンチャー企業だったヤフーを知らず、「そんな会社に転職して大丈夫なのか?」ととても心配されたのでした ^^;
最初、広告のサポート部門への配属で、コールセンターで、私の同期は、4人でした。
入社後、役員から、「君は、400人に1人の選ばれた人材なんだから、頑張ってね!」と言われ、1600人のうちの4人なんだ。結構、激戦だったんだなと実感した。
今は、ヤフーに吸収されましたが、当時は、オーバーチュアの仕事をしていました。オーバーチュアはネット広告の会社です。入社したのは、Yahoo! JAPAN。だけど、仕事は、オーバーチュアの仕事で、オーバーチュアの社員としてお客様対応するという、なんか不思議な感じで仕事をしていました。
セカンドネーム
今は、その風習はなくなってしまいましたが、Yahoo! JAPANに入社して、驚いたことがあります。
それは、セカンドネームです。
私のいた部署は、セカンドネームが必須だったのです。
しかも、自己申告制。
どんなものでもいいのですが、中にはこんな名前もあります。
ボブ、キャサリン、マーカス、リンダ、サリー、トミー、ポニョ、ペイ、色々な名前がありますが・・・
全て日本人です ^^
今思えばおかしいのですが、顔と名前が全く一致せず、一体誰やねんという状態でコンタクトセンターは運営されていました。
なので・・・
入社して早々、そんな風習を知らない私は机の上のメモに、「寺下さん、◎◎の資料まだもらってなければ、私のところに取りに来てください マーカス」とか書いてあって、「マーカス?え、どこ?」と言いながら、いるはずのない外国人をすごく探した覚えがあります。
私も入社して、2週間以内に自分のセカンドネームを申請することになりました。
しかし、なかなかいいものが見つかりません。
私は、色々悩んだ結果、訳あって「アラスカ」で提出することにしました。
しかし、同期の猛反対にあい、同期の瞳さんが「私が名前をつけてあげる。やっぱ、テラパパがいい。」と言って、私のセカンドネームは誕生したのです。
なので、当時一緒に仕事をしたメンバーや上司は、今でも、私のことを「パパ」とか「テラパパ」とか言います。
パパとかテラパパも案外悪くないかと思いましたが、難点が一つ。
センターは若い女子が多いので、エレベーターで他部署の人もいる中、「ねぇ、パパー」とか甘い声で若い女子から声をかけられると、セカンドネームの風習を知らない他部署の人は「???」とエレベーターの中は一気にカオスな状態となり、
周りから変な疑いをかけられたり、白い目で見られるのです。
でも、テラパパというニックネームのおかげで、名前をすぐに覚えてもらうことができました。
これまでオペレータさんを統括する仕事が多かったため、オペレータさんの仕事をするのは、現場の立ち上げで実際の電話を体験する以外初めてのことです。
20代のオペレータさんが多く、OJTで教えてくれたのも20代のオペレータさんでした。
20代の中におじさん。
なかなか違和感があります。
しかも、毎日スーツで通っていました。社会人として当たり前ですが、ヤフーでは当たり前ではありません。周りは、ポロシャツやTシャツにジーンズです。スーツを着ているのは、部署では、営業関係の人と私だけ。1ヶ月ほどして、上司から「服が堅すぎる」と言われ、上から下までカジュアルな私服に変身したのでした。
オペレータ業務から学んだもの
オペレータ業務で学んだことがあります。
それは・・・あるべきSV像やマネージャー像が見えてきたことです。
オペレータ業務を経験したからこそ見える景色があると分かったのでした。
SVやマネージャーになると、オペレータ時代に感じていたことを忘れてしまいます。また、オペレータ時代に見えていた景色もSVやマネージャーになった途端、違う景色が見えてしまい、分からなくなってしまうのです。
つづく。