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もし大切な人と別れたら
みなさんこんにちは、ココです。
2つの記事に、ハートマークありがとうございます。谷川俊太郎さんの詩との出会いが、少しでもみなさんの助けになりますように。
今日ご紹介したい詩は、谷川俊太郎さんの「さよならは仮のことば」です。
大切なひとといつか別れなきゃいけないこと、誰もが知っていることで誰もが目を伏せていること。
わたしは、死んだらお母さんはわたしのこと忘れちゃうのかな、わたしがもし死んだら家族との思い出も仲良かったお友達との思い出も、ぜんぶ消えちゃうのかと思うと、今生きている意味がわからなくなったことがあります。
どうせなくなるなら全て同じじゃないかと。
でもその答えは誰にもわかりません。
今のわたしは分からなくても、魂の記憶にはあるかもしれない。
大切な人との別れは全てがそこで終わるわけではないとも思うのです。さよならは、本当の意味でのさよならではないかもしれない。
そう信じています。
「さよならは仮のことば」谷川俊太郎
夕焼けと別れて
ぼくは夜に出会う
でも茜色の雲はどこへも行かない
闇にかくれているだけだ
星たちにぼくは今晩はとは言わない
彼らはいつも昼の光にひそんでいるから
赤んぼうだったぼくは
ぼくの年輪の中心にいまもいる
誰もいなくならないとぼくは思う
死んだ祖父はぼくの肩に生えたつばさ
時間を超えたどこかへぼくを連れて行く
枯れた花々が残した種子といっしょに
さよならは仮のことば
思い出よりも記憶よりも深く
ぼくらを結んでいるものがある
それを探さなくてもいい信じさえすれば
自分と大切なひとやものとの間には、きっと見えないつながりがあって、それは生や死を超えて存在するもの。
人は見えないものを信じることは難しいでしょう。しかし、見えるものがすべてではないのはたしかです。たとえそれが見えなかったとしても、探さなくていいんです。
自分にとって本当に切実なことは、言葉では言えないのだということにも気づく。
言葉にしないのではなく、言葉にならない秘密が私を生かしている。
と谷川さん自身も仰っています。
言葉にできたら、手にとるようにわかったような気がして、安心できるでしょう。でも本当に大切なことにわざわざ名前を求めなくてもいいのかもしれません。
一緒の時間を過ごせていること、過ごせたことが、ほんとうに幸せなことです。