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廣瀬神社(虚構民俗学への道)
神社の縁起によると、毛利公との関わりがある神社のようですが、だからと言って毛利とこの神社に関しての不思議な話とかがある訳ではないようです。
関わりはあるのだけど、不思議な話が何一つ無いというのは、やはり面白くありません。
では、どんな話がふさわしいのでしょうか。
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そして、神社にあるサンフレッチェの大量のユニフォーム。
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サンフレッチェというと、毛利に関しては三本の矢の逸話が有名ですが、そこからチーム名が決まったという話もあります。
ということで、こんな物語があってはどうでしょう。
昔々、広島の中州に、戦国武将・毛利元就が深く信仰していた小さな神社がありました。元就公は戦の前に必ずこの神社に立ち寄り、戦勝祈願をしていました。
ある日、いつものように祈りを捧げていると、神のお告げがありました。「そなたの三人の息子たちは、それぞれ優れた才能を持つ。しかし、一人の力では脆くても、三人で力を合わせれば、どんな困難にも打ち勝つことができるだろう。」
元就公はこのお告げを深く心に刻み、三本の矢の教えを息子たちに説きました。三本の矢は、一本ずつでは簡単に折れてしまうけれど、三本束ねれば折ることができない。息子たちは父の教えを守り、力を合わせて毛利家を守り抜きました。
時は流れ、現代。その神社は今も人々の信仰を集めていましたが、老朽化が進み、維持が難しくなっていました。そんな時、神社の宮司さんの夢に元就公が現れました。
「わしの神社を救ってくれる者がおる。それは、三本の矢をシンボルとする者たちじゃ。」
目を覚ました宮司さんは、元就公の言葉の意味を考えました。
「三本の矢…?」
すると、はっと閃きました。「サンフレッチェ広島だ!」
宮司さんは早速サンフレッチェ広島に連絡を取り、神社の窮状を説明しました。話を聞いたサンフレッチェ広島では、自分たちのシンボルが毛利元就公の三本の矢に由来することを誇りに思い、神社を救うために立ち上がりました。
選手たちはチャリティーマッチを開催し、集まったお金を神社の修繕費に充てました。ファンたちも募金活動に協力し、神社は再び美しい姿を取り戻しました。そして、感謝の気持ちを込めて、宮司さんはサンフレッチェ広島のユニフォームを神社に飾ったのです。
以来、この神社は「サンフレッチェ神社」と呼ばれるようになり、サッカーファンや観光客が多く訪れるようになりました。人々は神社を訪れるたびに、毛利元就公の三本の矢の教えと、サンフレッチェ広島の熱い思いを感じ、勇気を貰っているそうです
てな、話が残っていると良いなぁ