みどりのゆび日記~薔薇の行方②
品種改良された新しい薔薇は昭和生まれに比べると病気や害虫に強く、驚くほどさっさと目をつけて花を咲かせ、わりと早めに散っていく(そしてまた次の花芽の準備に入る)。手入れの仕方も、品種によっては「八分程度に咲きはじめた時点で切る」場合もあって、薔薇の時間も現代人の生活サイクルに合わせて忙しなくなっているのかもしれないと思う。
車のように新作や廃番があって、有名なブランドや作家もいる。農薬や肥料がスポンサーのようにセットで紹介される。やはり薔薇とはナチュラルではなく、人の手が生み出した「花の芸術」なのだ。
そんなこんなで、庭には成り行きで関わった薔薇の花たちが最盛期を迎えている。が、自分の仕事部屋からはまったく見えない。だから早朝の薔薇仕事を終えてしまうと、日々の仕事に追われて庭に薔薇が咲いていることさえ忘れていることもある。結果的に日中よく庭に出る86歳の母が、近所の人や道行く人に薔薇を褒められ、まんざらでもない様子だ。もしかしたら、あの高齢女性が育てた薔薇だと思う人もいるだろう。ちなみに母はもともと虫や土が苦手で庭仕事はほとんどしない。特に薔薇は切り花のアレンジメント専門で庭では触れたことすらない。父はアーチが復活してさぞ喜んでくれるだろうと思っていたが、実はどこか悔しそうな雰囲気だ。高齢者の心理はなかなか難しいなと思う。
そんなある朝、薔薇の手入れをしていると母が珍しく窓からひょっこりと顔を出した。夫(叔父)が亡くなり独り暮らしをしている80代の妹(叔母)のために小さな薔薇の花束を作ってほしいと言う。イギリスの会社に長く勤めていた叔父の影響で、叔母が暮らすマンションの部屋はつつましいイギリス風のインテリアがよく似合う。きっと薔薇も似合うだろう。母と同じ環境で育ったはずなのに、彼女は油絵やステンドグラスづくりを楽しみ趣味も良い。「育った環境とセンス」は実はほとんど関係がないと解る。
その朝は、残念ながら早々に咲いた新しい四季咲きの薔薇たちがちょうど第1期を終えたばかりだった。これからは1年ほど前に庭の隅で発見したオールドローズ(の蕾)や、半世紀前から庭で咲く昭和の一季咲きの大輪(の蕾)しかない。仕方ないので、90歳間近の父親専用の花壇(畑)から矢車草を少し頂いて、先ほどの薔薇の蕾たちと合わせた小さな花束をつくった。母はそれでも喜んで薔薇の蕾の花束を持ち、ひとり電車で叔母の家に向かった。どうやらその日は叔父の命日だったらしい。
後日、叔母にあげた蕾が咲いたと、母がスマホの写真を見せてくれた。叔母も喜んでいるという。80代のおばあちゃんたちがスマホで写真を送り合っている光景。あの頃からの未来にいるのだなと思う。写真を見ると確かに私が育てたアミロマンティカが叔母の家で咲いている。
特に思い入れもなく成り行きで関わった薔薇仕事。虫だらけ、病気だらけの薔薇たちに最初は早朝から半泣き状態だったが、今は花たちが自分の知らない間に誰かの心を少しだけ癒してくれていると思うと、オンガクも薔薇も結局やっていることは同じだなと思う。しかも育てるプロセスが面倒(難曲)の方がオモシロイ気もする。
そういえば子どもの頃、家に遊びに来た叔父から「ピアノを弾いて」と頼まれたことがあるが、その貴族的な雰囲気に反抗して弾かなかった記憶がある。半世紀の時を越えて、小さな薔薇のオンガクが少しはお詫びになっただろうか。
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