SNSは現代人の心の鑑




最近は様々なYouTuberやインフルエンサーが増えた。

各々自ら情報を発信して社会に呼びかけるなどのアクションを興し、フォロワーを数万人単位で増やすなど活動にいそしんでいる。しかしその反面、彼らの活動に対して誹謗中傷が後を絶たない。彼らの主張に対して反論や憤懣をぶつける行為が横行しているのだ。しかし、それらは本当にただの誹謗中傷なのだろうか。様々な主張には必ず反論、反対意見が出てくるものだ。それを単に誹謗中傷として意見を無視することは宜しくない行為ではないか。100人いれば意見も100通りだし全員を納得させることは不可能である。しかし、主張する側は常に自分を優遇する内容や賛同をしてくれるアカウントのみ取り上げ、反対している意見はブロックや通報という処置を執る。これは正しいことなのだろうか。賛同する人、否定する人、どれもちゃんとした意見なのだ。しかし人間は悪いものにしか目が向かない。少しでも批判をすれば誹謗中傷として自分の主張を馬鹿にしているとレッテルを貼る始末。相手も意見に対して批判をした訳で本人の人格や性格、行為そのものを否定している訳では無いのだが。


様々な主張を取り入れないスタンスに甚だ遺憾である。


そもそもSNSでの主張に対して関係ない人間があーだこーだ言ってくるのだろうか。

関係ない話題に対して横車を押す行為に優位性を感じているのだろうか、そもそも批判する行為は気軽に出来るものでは無い。相手の言い分に対して全く反論できない、黙らせる資料が必要だからである。しかし私が見た中でそんな完璧な批判はSNSでは繰り広げられず、嘘で相手を非難するか、大勢でまとめて非難するばかりである。つまりは全く何も意味の無いdisりなのだ。

ただSNSで優位性を感じたら何の得になるのだろうか。それは恐らく主張する人間へのエンビー的嫉妬の現れなのかもしれない。エンビー型嫉妬とは、相手のあげ足を取ることで優位性を感じる嫉妬、つまりは妨害行為に快感を覚える嫉妬なのだ。ジェラシーは自身の努力に関して油を注ぐタイプなのに対してエンビーは妨害行為、陰湿ないじめなどが挙げられる。

どうして何故縁もゆかりもないYouTuberやインフルエンサーの妨害を行うのか。それは有名であることへの嫉妬が一番強いかと思われる。いまや一般人ですらSNSのフォロワーが数万人単位な人も珍しくない、しかし普通の一般人にはそんなフォロワーが増えるわけも無い。それに彼らの発言は多くの人に拡散され、恰も正論の様に捉えられる。その状態に関して自分と相反する意見でチヤホヤされることへの反感、自身のつぶやきよりも相手のつぶやきや投稿に反応があることへの嫉妬が関係ない彼らへの不満となってぶつかってしまうのだ。無論彼らの意見に違和感を感じて、主張に対して理路整然とロジカルに反論する人も居るが、大抵の批判は内容の無い感情的な中身の無い言葉なのだ。このSNS格差は埋まるどころかフォロワーが多い人はテレビでもコメンテーターのようにタレント扱いされ、ますますメディアへの露出も多くなる。自分よりも学や立場もない人間がテレビでチヤホヤされることは正直気持ちが良いものではない、かといって努力してフォロワーを増やしインフルエンサーになることは奇跡でも起きない限り難しい。自分もフォロワー数万人欲しいとか投稿がバズりたいとかSNS欲の増長はこのコロナウィルスの影響も大きく関わりますます助長している。自身のSNSの全然伸びない視聴回数や増えないいいねに対して他のYouTuberやインフルエンサーが話題の中心になっていれば、面白くないし自分の方がマシなこと言えたりやれたり出来るという自惚れが起こります。そうして相手への批判攻撃になってしまうのです。こうした格差はSNSが廃止にならない限り埋まること解消することはないでしょう。


学校でもフォロワー数で友達からの人気や立場も変わってきます。フォロワー数が多いということは人望がある証拠。SNSをやっていない人は完全にアウェイな存在になってしまうのです。学校現場ではなく身の回りでもリア充な投稿でいいねを増やして満足する人間が増えた。しかし彼らもSNSのフォロワーを常に上を目指し、数百万、果ては億のフォロワーに目標を競っている。果てしない欲なのだ。


実際の友達の数より見ず知らずのアカウントからのいいねの数、フォロワー数、視聴回数、そして常に話題の中心になりたいという決して満足することの無い欲。SNSが原因で自殺や不登校になる子が増える中、気軽に投稿出来ることが人間関係に闇をもたらし、批判のせいで友好だった関係も一瞬で崩壊をもたらす元凶になりかねない危険を孕むということを忘れてはいけない。


SNSは人間の心を映す鏡なのだろうか。

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