蓮華の中心にあって、それを展開せしめる花托
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本マガジンでは、これまで様々な文脈で車輪と同一視された蓮華輪の重要性について論じてきた。今回はそこで提示された様々な事実関係を再確認しつつ、話を進めていきたい。
車輪と蓮華が融合したところに生まれた蓮華輪のデザイン、その中心には『花托』と呼ばれる、車軸と同じような核芯が存在している。
この『花托』は雌しべの集合体であり、その周りにある装飾の様な放射状のフリンジが雄しべだ。雄しべの花粉が雌しべに受粉する事によって結実し、その実が花托という莢の中に孕まれる。
色々な写真を見ると、ひとつの花托が持つ実の数は二十前後から多ければ五十以上に及ぶ。その種が水中に落ちて発芽成長し花開いたものが蓮華に他ならない。つまり蓮華輪の中心軸である花托は、同時に蓮華を世界に展開させる『根本原質』であるとも言えるだろう。
ここで重要なのは、蓮華輪の中心にあるのが花托という雌しべの集合体、つまり女性原理であるという事実だ。それは種を孕む、という視点から古代インド人にも明らかだっただろう。
車輪との比較で言えば、構図的にはハブの軸穴に入るオス型の車軸の位置に花托はありながら、それは女性原理へと転じている。
この蓮華輪のデザインは、モンスーン世界に生きる先住民の世界観を象徴し、南インドのドラヴィダ世界では、ラクシュミ女神や女性たちによって描かれるコーラムやランゴーリ、シャクティやバクティなど女性原理と密接に関わりながら、現代に至る吉祥文様の万華鏡世界を展開してきた。
その中心に女性原理の花托があるという事は極めて重要だった。それはドラヴィダ系など太古より地母神を信仰してきたインド先住民が、文字通り女性原理の中心性を表さんとして生み出したデザインだったに違いない。
そこには、オス型である車軸を中心に据えたラタ戦車の車輪が侵略者アーリア・ヴェーダの男性原理を象徴し、メス型である花托を中心に据えたモンスーン蓮華文化の蓮華輪が先住民の女性原理を象徴する、という、対置の構図があったと私は見る。
それを前提に、古代インドで最初に蓮華輪が花開いたサンチーのストゥーパに立ち返ってみよう。ストゥーパは男性であるブッダの遺骨を納め、その頂部中心に突出したチャトラの軸柱は男性原理を表していた。
この軸柱が、理念的には直下の地中に蔵された仏舎利から生える形でストゥーパの中心を貫き、ブッダそのものを暗喩していた可能性については、これまで様々な形で論じてきた。
一方、前回詳述したように、お椀型のストゥーパ躯体が卵ならば、それは産みなす力としての臨月の母胎(さらには母の乳房?)を象徴し、欄楯やトラナと合わせて周囲の構成そのすべてが女性原理を表し、唯一男性原理であるブッダ(の遺骨)を守る(孕む)という心象世界が見えてくる。
(サンチーでは確認できないが、ナガルジュナコンダやサンゴールに見られる車輪様のストゥーパ基壇を前提にすれば、それは中心の車軸を男性原理とし、その周囲で展開する女性原理の車輪世界を構成している)
サンチー第2ストゥーパの周囲をめぐる欄楯には、一面に女性性を象徴する蓮華輪デザインが施され、第1ストゥーパの欄楯の入り口であるトラナには、地母神を表すヤクシニーやラクシュミ女神、結界としての蓮華輪があしらわれていた。
つまり中心にある男性原理の仏舎利(ブッダは男性)と、それを象徴していただろうチャトラの軸柱を取り囲んで、女性原理であるアンダ躯体と欄楯やトラナがそれを守っているという構図になる。そしてそれは、男根であるリンガとそれを取り囲む女陰であるヨーニというシヴァ・リンガムの構図と、全く同じである事に思い至る。
原始仏教の時代、出家する僧侶のほとんどがバラモンなど社会的地位の高い男性だった。ブッダ自身は最後の最後まで尼僧の出家に対しては反対していたともいう。つまり原始仏教とは男性原理が圧倒的優位な世界だった。
だがブッダの死後時が経ち、やがて在家信者を主体とした大乗化の大きなうねりが到来する。それは同時に、女性原理の逆襲をも意味していた。その背後には、仏教自体が男性優位の北インドから女性優位の南インドへと広く伝播していった影響もあったのだろう。
シッダールタがセクシーな美女の誘惑をマーラと呼び完全にそれを退けて覚りを得たとしても、彼自身が女性の胎から生まれたという事実は絶対に否定できない。女性原理の存在なくしては、いかなブッダと言えども覚りはおろかこの世に誕生する事すら出来ないのだ。
そう思ってサンチーのトラナに刻まれた地母神ヤクシニーの造形を見ると、それはシッダールタの実母であるマヤ夫人が、サーラ樹に寄りかかって彼を産み落としたという絵柄と酷似している事に気づくだろう。
時代はかなり下がるが、この女性性の台頭を示す絵柄はジャイナ教寺院にも残されている。仏教サンガと同じ様に出家主義を掲げ、仏教以上の苦行・禁欲行に邁進したジャイナ教でさえも、このムーブメントからは逃れられなかった、という意味で極めて興味深い。
この様な女性性の思想は現代ヒンドゥ教の女神像の中にもはっきりと表れている。それが一際目立つのが蓮華と最も深い関わりがあるラクシュミ女神だ。一般に美しい蓮華座に坐っている姿で描かれる事が多い彼女が、紀元前に刻まれたサンチーでの姿そのままに蓮華に立っている構図も存在する。
座っている時は分かり難いが、立っている絵柄を見ると明らかに彼女は蓮華の中心、つまり花托の上にあたかもその化身であるかのように顕現している事が分かる。
一粒の種の中には、蓮という植物の全てが凝縮され内包されている。逆に言えば種は蓮という生命存在の全てに浸透している展開因だ(現代人はそれを遺伝子DNAと呼ぶ)。
その種を孕んだ花托は、花びらが散り雄しべが落ちても、最後まで茎と一体化した軸柱として水面上に立ち続ける(その姿は一体のチャトラの様にも見える)。花托の上に直立するラクシュミの姿は、蓮華というひとつの世界の中心に聳え、そこからすべてが展開するという意味で、世界の柱として屹立しその全てに浸透し支えるヴィシュヌ神の、女神版だったのではないだろうか。
この場合、花托は雌しべと雄しべが合体した種を孕むので、ヴィシュヌの中心軸柱性も決して蔑ろにされている訳ではない(これはシュリ・チャクラ・ヤントラと同様だ)。
実は古代インドでは、世界を車輪の転回と見立てる世界観と並んで、世界を蓮華の展開と見る思想も存在した。それが、大乗仏教を通じて日本にも伝わっている蓮華蔵世界観だ。
蓮華蔵世界。それは華厳経や梵網経の中心テーマとなる思想で、前回紹介した須弥山世界の発展版とも言えるものだ(年代的には俱舎論よりも華厳経の方が古いが、思想的な時系列では逆だと見る)。
その壮大無比な世界観を、西村公朝著「仏像物語」からかいつまんで説明すると以下の様になる。
須弥山世界観にも登場した金輪、その上に広がる大海に巨大な蓮の華が咲き、さらにその上はまた海となってそこからも無数の蓮の華が咲いている。それぞれの蓮華の上に須弥山を中心とした世界が成り立ち、これを小蓮華と呼ぶ。
ひとつの小蓮華には一人の仏がいて教えを説き、その小蓮華が千集まって小千世界を造り、それが千集まって中千世界を造り、さらにこれが千集まって大千世界を形作る。千を三回かけたことからこれを三千大千世界と称している。
そしてこの途方もなく巨大な三千大千世界の上空中心に、そのすべてを統括する法身の仏が大光明を放って鎮座している。これを毘盧遮那如来と言い、その頭からは、三千大千世界すべての仏が、絶えずポコポコと生み出されているという。
また、浄土系のサイトから、以下の内容を補完的に引用しておく。
蓮華に蔵されるという事は、蓮華に世界が「孕まれる」事を意味し、三千大千世界というある種『無限増殖性』は、おそらく蓮華の花托が持つ多胎性・豊穣性に由来するものだろう。
上の概念図を見ると、蓮華の中心にある花托と世界の中心に聳える須弥山が同一視され融合している事が見て取れる。すなわちこの壮大な蓮華蔵世界観は、前回紹介した須弥山輪軸世界観が女性性の象徴である蓮華輪世界観へと転じた発展形なのだ。
この須弥山と花托との同一視は、チベット仏教における須弥山図にも鮮明に示されている。そこでは上の概念図と同様、須弥山が盃の様な逆円錐形として描かれ、それは花托のデザインそのものの現れなのだ。
前回投稿では仏舎利塔ストゥーパが大世界ドームそのものだった可能性を示したが、ここで思い出されるのは、ストゥーパの造形の多くが蓮華輪と一体化した形で描かれていたという事実だ。
上の画像はLoriyan Tangai出土のストゥーパで、西暦2世紀頃の作と推定されている。そのハルミカ部分は逆ピラミッド状の特異な形を示し、方形ながら既に花托の盃形の影響を受けており、蓮華蔵世界観の走りとも考えられるだろう。
これら蓮華輪をその表面にまとったストゥーパは、ストゥーパを大世界と観た時、正に世界が蓮華に胎蔵されている事を直接示すヴィジュアルだと言っていい。
この様に見てくると、ストゥーパとは時代と共に変遷する様々なインド的世界観を、そのまま映し出して来た鏡の様な存在なのかも知れない。
華厳経や梵網経の蓮華蔵世界観は、本国インドでは仏教の滅亡とともにほとんど失われてしまったのだが、前出の西村公朝著「仏像物語」が解説する様に、遠く極東の日本にまで流れ着き、奈良東大寺の大仏『毘廬舎那如来』として現代に伝わっている。
華厳経が成立したのは西暦三世紀頃と言われ、それはちょうどサンチー、バルフート、アマラヴァティからナガルジュナ・コンダへと続く蓮華輪の文化が絢爛と花開いた時代と重なっていた。
東大寺の大仏をはじめとした御仏たちが蓮華座に坐す造形は、実際には『花托』を台座としており(ピラピラの花弁には座れない)、花托が孕む『始原の種』性と接続している。それはそのままラクシュミ女神が蓮華座に坐し、あるいはその中心の花托に立つ姿と重なり合い、つまりこの大乗的な蓮華蔵世界観は、ヤクシニーやラクシュミといった女性原理の復興という時代背景の中で、その影響下で生まれたものと推定できるだろう。
そう思って見ると、法身の仏のイメージは父の厳しさよりもむしろ母の慈愛を強調していないだろうか。そしてあたかも花托から無数の種が飛び出す様に、毘盧遮那如来の頭からは無数の仏たちがポコポコと生まれて来るのだ。
この毘盧遮那如来、サンスクリット語ではヴァイローチャナ、つまり遍照と言い、密教の大日如来の祖形とされている。以前私は「大日如来は遍照の太陽神格であり、同じ太陽神であるヴィシュヌの仏教におけるカウンター・パートだったのではないか」と書いた。
この遍照とヴィシュヌとの相関を裏付けるように、ヴィシュヌ派の神話の中に蓮華蔵世界との明らかな類似を見る事ができる。バガヴァタ・プラーナによれば、世界の創造はヴァイクンタの海に横たわるヴィシュヌの臍から芽生えたローカ・パドマと、そこから生まれたブラフマーに帰着すると言う。
インド語で臍を意味するnabhiは、同時に車輪のハブを意味する。そこから蓮華の柄茎(これはこれまでの論述を前提にすれば車軸と重なる)が生える、という構想は実に興味深い。
蓮華の化身ラクシュミ女神がヴィシュヌ神の神姫である事を考えると、蓮華蔵世界の主『毘盧遮那如来』とは、ヒンドゥ教におけるヴィシュヌとラクシュミの両属性を併せ持ち、男女という性差を統合超越し、更に創造神ブラフマーの属性をも統合した、仏教版の最高神格であったと考えられる(その延長線上に密教の大日如来)。
毘盧遮那如来の頭から無数に生まれて来るのは世界の教師である仏だったが、ラクシュミ女神の場合はその手の平から世俗の富を象徴する金貨が無限に溢れ出している。この辺りに、同じ最高神でも仏教とヒンドゥ教が持つ価値観の違いが如実に表れていると言えるだろう。
古代インド人が、なぜ蓮華の中に女性性を見出し、その蓮華と車輪を重ね合わせて蓮華輪デザインや蓮華蔵世界観を生み出したのか。その根源的な疑問に対する解答らしきものを発見したので、以下に紹介したい。
最後の旅を終えてこの原稿の仕上げにかかっていたとある休日(2011年夏)、私は思い立って東京上野の不忍池に蓮の花の現物を見に行ってきた。それは偶然食べたコンビニ弁当にレンコンが入っていたのがきっかけだった。薄く輪切りにされた丸いレンコンの形が、そのまんまスポーク式車輪そのものの形である事に気づいたのだ。
一瞬、笑い話と流してしまいそうになって、私はハタと立ち止った。これまでの経験上、形の連想は古代インド人の得意とする所ではないか。これは蓮華が実際に池に生えているところも見る必要がある。そう考えたのだ。
実は、古代インドではこんなにも蓮華が重要な意味を持っていたのに、現代インドでは水蓮はどこにでもあるが、蓮の花を見る事はこれまでほとんど無かった。
それはおそらく文明の進展と共にやってきた乾燥化が大きな理由かも知れない。これまでインド全土をくまなく旅してきた私も、考えてみれば現地で蓮華が実際に池で咲いている姿をまじまじと見たことはなかった。
もちろん今までに蓮の花そのものを見た事はある。だが蓮という植物の全体像その詳細はいまいち曖昧だった。そこで百聞は一見にしかずと、ごく軽い気持ちで不忍の蓮池を訪ねたのだ。
だがいざ本物の蓮を目の当たりにした時、私はあまりにあっけない謎解きに、またしても呆然と立ち尽くす事となった。
蓮という植物は、水底の地中に埋まる地下茎と、葉柄という茎によって立ち上がる葉と、花柄という茎によって立ち上がる花という三つ部分で成り立っている。地下茎の先には蓮根が育ち、ひげ根を生やす分節から伸びる一本の葉柄に一枚の葉が、一本の花柄に一輪の花が開く形になる。
最初に驚いたのが、真っ直ぐにすっと直立する柄茎だった。それは長さ1~2メートルほどもあり、長さと言い太さと言い、そのまんま折り取って手にすれば棒術に使えそうなくらい、ダンダそのものだったからだ(ただし、表面には細かいとげがたくさん生えており、握ったら痛いだろう)。
そして調べてみると、蓮根だけではなくこの柄茎もまた、輪切りにすると美しいチャクラ・デザインを表す事が判明した。下の画像などはまさしく『8本スポークの車輪』だろう。
ちなみにこの蓮の茎、日本では余り知られていないが、インドを含めモンスーン・アジアの各地で蓮根と共に食用とされているので、古代インド人も茎と根ともに常食していた可能性が高い(8/28追:その後発見した原實氏の研究PDFによれば、パーリ・ジャータカをはじめマハバーラタ、パドマ・プラーナなど複数のインド古典書に、食用の蓮根がインドラ神によって盗まれる『蓮根盗難物語』が存在するという)。
その柄茎の先にひとつ咲く蓮華の輪郭は、実は車輪とはさほど似てはいない。大きな花弁がギザギザと飛び出しており、全体に輪縁を嵌めれば車輪に見えない事もないかな、というレベルだろう。
だが葉っぱについては、中心から放射状に展開する葉脈とほぼ真円に近い輪郭を持ち、はるかに車輪のデザインと重なる形をしている事が分かった。中心で支える柄茎と合わせれば、それは正に車軸と車輪の写しと言ってもいいだろう。車輪と重なるのは、蓮根や茎の輪切り面だけではなかったのだ。
そして、水中から伸びたばかりの蓮葉の若芽を発見した瞬間、私はわが目を疑って間の抜けた笑い声を上げてしまった。まだ展開する前の若葉の姿が、閉じたヨーニ、つまり女性の外性器そのものの形をしていたからだ。
私は本稿一連の探求プロセスを、常にとある古代インド人との『ヴァーチャルな対話(囲碁の仮想対局)』のイメージで進めてきていたのだが、頭の中でその『彼』に向かって「おいおい、そう来るのかよ!?」と思わずツッコミを入れてしまった程だ(笑)
蓮に関して明らかになった、これら呆れるほど単純な事実に、正直私は戸惑いを隠せなかった。おそらく古代インドの人々は、開いた蓮の葉と蓮根や柄茎の断面をそのデザインの類似性から車輪と重ね合わせ、全体としては円輪を見せる美しい花と香りそしてその中心に豊穣の種を孕む花托、加えて開く前の若葉のヨーニの形から、そこに女性性の表れを見出した。
そして、全体としての蓮という植物を、『車輪の神威』が女性性を担って顕現したカウンターパートと観なし、そのアイコンとして蓮華を掲げ、そこからあまたの蓮華輪デザインやその思想性を形創った(その象徴がラクシュミ女神)。
その背後にはもちろん『侵略したアーリア・ヴェーダ文化の車輪(男性原理)』と『侵略されたインド先住民文化の蓮華(女性原理)』という対置があり、蓮華輪の台頭は同時に先住民文化の再興を意味していた。
そのように考えれば、夫であるヴィシュヌ(ヴェーダ由来)が車輪を持ち、妻であるラクシュミ(先住民由来)が蓮華に囲まれている事も容易にうなずける。
閉じたヨーニとしての蓮の若葉が、展開すると丸い車輪の形になるという事実は、シヴァのリンガと合体するヨーニが、完全な円輪の姿で表されるという事実とも符合するし、それは女神のシャクティこそが『車輪世界』の展開因であるという、あの思想にもつながって来る。
また、性典カーマ・スートラでは性的に最上級の女性を『蓮女』と称賛し、女性のオーガズムが高まるプロセスを『ひとたび愛の車輪が回転し始めたら』とも表現している。
これなどは、女性性と蓮華と車輪を三つ巴で重ね合わせる心象を端的に示すものだろう。
最後に、今回の投稿内容を象徴するような絵柄が存在するので引用したい。それは蓮華輪の顔をした女神が、両手に蓮華を持ち大きく開いた足の中心にヨーニをむき出しにするという造形(出産の姿勢?)で、驚くほどストレートに女性の生殖力と蓮華との重なりを強調している。
今回紹介した蓮にまつわる様々な事実とそこから生まれた仮説。我ながらそれは、ここにこうやって書く事に躊躇いを感じるほどに単純な発想だった。
こんなにも単純素朴な連想から、コーラムやらランゴーリやら、デヴィ・シャクティやらシヴァ・リンガムやら、サーンキャ哲学やら蓮華蔵やらの、あんなにも複雑深遠な万華鏡世界が生まれたのだろうか。
私は古代インド思想が持つこのあまりにも大きなギャップ性に、眩暈に似た当惑を禁じ得なかった。もちろんこの仮説の正しさを完全に証明し切るだけの力量は今の私には無いのだが、頭の中の『彼』は一体どのような評価を下す事だろうか…
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