前回の投稿はこちら ↓
リグ・ヴェーダに収められた1028の賛歌の内、インドラに捧げられたものは実にその4分の1を占めている。彼は駿馬に牽かれた黄金のラタ戦車を駆り、先住民である肌の黒いダーサ(ダスユ)を征服し、その富をアーリア人に分け与える軍神として、また、ヴァジュラ(金剛杵)によって蛇の悪魔を殺し、閉じ込められた川の水を開放する雷神として讃えられている。
【注記】
以下に掲載するヴェーダ詩節の翻訳についてですが、辻直四郎訳、Sacred Text英訳、その他ネット上に見られる最近の英訳等を比べるとかなり異なる事が分かります。
これはそもそもヴェーダの言葉というものが「てにをは」的な助詞を持たず、単に単語を羅列しているだけ、という事情がある様です。
そしてその単語の並びも、おそらく当時の詠み人たちの詩想の高まりによって自由自在に倒置・省略している、のでぶっちゃけ現代人がそれを正確に読み解くのは極めて難しいのだと思われます。
専門家でもない私が様々な情報をもとに試訳してはいますが、基本ここで最も重要なのは、「リグ・ヴェーダ(あるいはインド・アーリア人の生活)の中でいかにラタ戦車(及びその車輪)というものが重要な意味を持っていたか」というただ一点を明らかにする事です。
リグ・ヴェーダが成立したBC1500〜1300年前後、それはちょうどインド・アーリア人がインダス川の流域に侵入した時期と重なっている。おそらくラタ戦車に乗る軍神としてのインドラは、侵略するアーリア人の自己賞賛を投影したものなのだろう。
また、蛇殺しと閉ざされた水の開放は、大規模な農耕を知らなかった遊牧民のアーリア人が、インダスの優れた水利技術を引き継いで灌漑農業を行っていた先住民の集落を破壊し、水神でもある蛇が守り棲む豊かな森を切り開いて定住していったプロセスとの関連だろうか。
この他、通読していて分かったのは、リグ・ヴェーダに登場する実に多くの神たちが、スーリヤやインドラと同様、ラタ戦車に乗る姿で描かれ、称賛されている、という事実だ。
以下に、実際のリグ・ヴェーダの詩節を引用していく。
この古代戦車に関する様々な文脈を考慮すると、おそらくアーリア人のインド亜大陸侵略の原動力になったのが、この駿馬に引かれて軽快に疾走するラタ戦車だったのだろう。
インダス文明の末裔であり農耕民だったインド先住民は、ある意味、遊牧のアーリア人より遥かに高い文化レベルを誇っていた部分もある。けれどこと武力においては彼我の関係が逆転する。アーリア人はラタ戦車を用いた戦争の達人だったのだ。
インドの二大叙事詩・マハバーラタの戦いを見ると、
「御者クリシュナがラタ戦車の馬を御し、アルジュナが車台から弓で敵を射る」
という基本戦法が見て取れる。この戦いはリグ・ヴェーダの十王戦争に比定されており、この戦法の起源はおそらくアーリア人のインド侵入以前に遡れるはずだ。
一方のインド先住民を見ると、インダス文明の時代以来、彼らは鈍重な牛車は持っていたが家畜化された馬は持たず、当然馬に引かれ高速で疾駆する戦車の存在など知らなかった。
そんな彼らが、高い機動力を持って疾走するラタ戦車とそこから速射される弓矢、という見たこともない斬新な攻撃にいきなりさらされたらどうなるだろう。おそらくほとんど抵抗のすべもなくアーリア人に征服されてしまったのではないだろうか。
そうやって、やがて彼らは被支配者として・カースト・ヴァルナのシステムその最底辺に、隷属階級シュードラとして位置づけられていったのだ。
このプロセスは、近世以降の西欧人による世界征服のプロセスと重ね合わせると理解し易いかも知れない。
1492年、コロンブスの新大陸『発見』によって象徴的に切り開かれた大航海時代。その後南米を侵略したスペイン人は、わずかな人数でインカ帝国を滅ぼして、その莫大な財宝を略奪する。一説によれば、馬を見た事がなかったインカの人々は、騎乗した肌の白いスペイン人を神だと思い込みなすすべもなく降伏したのだという。
そして北米においては、ピルグリム・ファーザーズとその後継者たちが、圧倒的な武力の優位を背に先住民『インディアン』を討伐し、その土地を奪い、南へ西へとその領土を拡大していった。
彼ら白人は、自分達以外の先住民、あるいは『発見された人々』を『カラード(有色人種)』と言って蔑み、アフリカの黒人達は最も色が黒い最下等の者として奴隷化され、アメリカ大陸に売られていった。
それらの侵略と破壊と収奪が、キリスト教の神の名において行われた、という事実も忘れてはならない。それはインド亜大陸を侵略したアーリア人が、ヴェーダの神インドラの名においてその殺戮と破壊と略奪を賞賛した姿と、恐ろしいほどに似通っていると言える。
中南米諸国では、現在でも先住民系の多くが貧困と差別に苦しんでいる。また北米における黒人を差別した公民権法や南アフリカのアパルトヘイト、オーストラリアの白豪主義など、物質文明と武力において優れた白人が、相対的に劣った有色人種を侵略によって蹂躙支配し差別的な社会システムを作ってきたのは周知の事実だ。
つまり、侵略者アーリア人によるヴァルナに基づいた先住民支配システムとは、いわば近代に先駆けて3000有余年前に確立した『アパルトヘイト』なのだ。
西欧人の圧倒的な優位は大砲や銃に代表される火器だったが、アーリア人の場合はラタ戦車であった。リグ・ヴェーダの神々の多くが、疾駆するラタ戦車に乗った姿で描かれている事はその証左だろう。彼らにとってはこのラタ戦車こそが、先住民を征服し、富を奪い、自分達を豊かにする原動力であり、神的な威力の象徴だったのだ。
その後の調べで、それは高性能のスポーク式車輪を備えた、当時としては最先端の機動戦車だった事が分かっている。
これまで見てきたインド的車輪シンボルを見てみると、ブッダの法輪もヴィシュヌ・クリシュナのスダルシャン・チャクラも、コナーラク太陽寺院の車輪もマハバーラタで活躍するラタ戦車の車輪も、全て美しいスポーク式になっている事が確認できる。
正にこのスポーク式車輪を履いたラタ戦車を駆って、アーリア人は東へ東へと進軍して来たのだった。戦車だけではなく、移動運搬用の荷車にもこの高性能の車輪は使われ、その東征を支えたに違いない。
彼らは一体どこから来たのか。このアーリア人とスポーク式車輪の起源を求めて、私はさらに時の流れを遡っていった。
次回の投稿はこちら ↓