経営者から学ぶ~日清食品創業者・安藤百福「自分の....。」~
半澤洋です。
東京都中央区を本社に、
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ずんだ専門店ずんだらぼ
の3ブランドを展開しています。
私のファーストキャリアは食品メーカーでした。
偉人が昔だから大好きで、勉強するのがすきです!
反復のためにもnoteに書いていこうと思います。
起業するときに考えたのは自分の年齢です。
やはり本当に起業への意識が高い人は学生のときから起業している。
すでにメーカーに所属している自分ではもう遅いのでは?
大学のときにもっと勉強しておけばよかった。
と後悔していた時もありました。
しかし、経営者のなかには遅咲きの方々もたくさんいます。
日清食品の創業者、安藤百福氏はその一人です。
「衣食住というが、食がなければ衣も住もあったものではない」
という信念のもと、食品に対しての熱い想いを持っていた。
ある日、戦後の大阪の闇市でラーメンの屋台に長い行列ができているのを見て、
「一杯のラーメンのために人々はこんなにも努力するのか」
と強い関心を覚えた。
1948年に「中交総社」(後の日清食品)を設立するが、諸々の事情で1957年に全財産を失う。
財産を失い、再出発を考える中でラーメンの記憶がよみがえり、
「家庭でお湯があればすぐ食べられるラーメンを作りたい」
と真剣に考えるようになり、挑戦を続ける。
安藤百福、48歳のときである。
苦労は報われ、チキンラーメンは日本で大ヒット。
その後、安藤は世界へ販路を広げようとアメリカに赴く。
アメリカ進出にあたっても、
「米国人はたんぱく質を好むから麺類は成長性がない」
「猫舌で熱いものはダメ」
「麵をすするのはマナー違反」
など、マーケティング会社に依頼した不確かなデータよりも、
「自分の目で見て、肌で感じることが大切だ」
と信じ、直接現地のスーパーで試食販売をした。
そして、
「工夫は必要だが、間違いなく売れる」
と確信。
66年には三菱商事と合弁にアメリカ日清を設立した。
データよりも自分の目を信じ、今では世界で愛される商品となり、20世紀最大の発明の一つにあげられるまでになった。
早熟の成功者もいれば遅咲きの成功者もいる。
年齢や性別、学歴や職歴にとらわれず、自分の信念を貫いて今後も挑戦を続けていこうと思います。
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