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経営者に学ぶ停滞からの脱却(サムスングループ社長・イ・ゴンヒ)

半澤洋です。
株式会社インターンの代表として、
人材紹介(キャリアスタンドアップ)
グルメフェス(ふるさとグルメてらす)
ずんだ専門店ずんだらぼ
の3ブランドを展開しています。


仕事で高いパフォーマンスを出すために大事なことはルーティーンだと常々思っています。
毎日の当たり前を変え、高いクオリティで毎日過ごせるように、
起きる時間
メール処理を終わらせる時間
などを決めて仕事をしています。
基本は朝5:30に起き、朝8時までにはメールの処理が終わるのが日課です。
その後に緊急性は高くないが重要なことに日中取り組み、夜は主に中長期に活きてくるコミュニケーションを大事にしています。

こうしたルーティーンや仕組化は高い一定のパフォーマンスを上げる一方、停滞を生むリスクも同時にあります。

今回はサムスンのイ・ゴンヒ氏から停滞からの脱却を学びます。


停滞の危機

父のイ・ビョンチョルは資源のない韓国が経済的に自立するには製造業の育成が欠かせないと、第一製糖や第一毛織、韓国肥料などを次々に設立。
サムスンの前身となる「三星電子工業」を設立したのは1969年のこと。

当時は日本の協力を得て白黒テレビなどを生産していたが、82年に飛躍の基礎となった半導体事業に進出した。

イ・ゴンヒがサムスンの社長となったのは1988年。
「第二創業」を宣言し、国内最大手となったサムスンの改革を進めようとした。
だが社員の危機感の欠如から、思うように進まなかった。
すでにサムスンは利益を十分に出していたし、国内最大手の地位は安泰だった。
誰もが「サムスンが一番だ」と信じ、危機感を共有する者はほとんどいなかった。

世界を知り、現場を知り、世界ナンバーワンを決断


イ・ゴンヒに再度改革を推進させるきっかけになったのは93年。
出張先のアメリカで目にした量販店の片隅に置かれたサムスン製品のみじめな扱いだった。
また、洗濯機の生産現場で不良部品を社員がカッターで修理する様子を見て愕然とした。
当時サムスンには不良品が多かった。

「3万人がつくり、6000人が不良品を修理する会社に競争力なんかあるはずがない。」
「ナンバーツーでは生き残れない。世界ナンバーワンを目指さなければダメだ。」

と誓ったという。
イ・ゴンヒは世界の超一流企業を目指すという「新経営」を掲げて改革を断行した。

サムスン電器



慣例や仕組み、は同時に慣れを生み出す可能性があります。
それを打ち破るには、現状を知り、どの領域で勝負するかを考える必要があります。

今日も世界と戦う企業になるための仕事をします。


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