うろんな「エドワード・ゴーリーを巡る旅」
過日、渋谷の松濤美術館で開催中の「エドワード・ゴーリーを巡る旅」へ。
シュールで、オカルティックで、不穏で、背中が寒くなるほど残酷で、でも隣の部屋で起こっていそうなリアルさ。
このひとにしか描けない世界観だなぁと思う。
白井晟一さんが手がけた建築がまた、ゴーリーの世界観にグッと没入させてくれる。
ずらーっと展示された原画を(目を凝らしつつ)観ながら、ペン1本でこんなにも豊かに、緻密に表現できること、異様なまでの集中力に驚かされる。
安直なわたしはつい、すごく“ねちっこい”か、冷徹な人なのかもと想像してしまったけれど、
「少年時代は飛び級を繰り返すほど早熟だった」とのことだから、いつもちょっと斜に構えた視点で、世の中や周囲の人々を見つめていたのかもしれない。
実はバレエの大ファンで、猫が大好きらしい。
ちょっと意外だけれど、バレリーナを描いた作品はどれも軽やかで、音楽が聴こえてきそう。
日本で人気が出たのは、柴田元幸さんの翻訳の素晴らしさが大きいだろう。
その最たるが『うろんな客』。
ある日やってきた奇妙な生きものが、17年以上も家に居着いてしまう奇妙奇天烈な物語。
家族にちょっかいを出すけれど、とくにひどい害がある感じでもなく、たぶん、その家の人々も生きもののことを“準レギュラー”的に受け入れている。
“怪しい”でも“うさんくさい”でも“不審な”でもなく、“うろん”。
なんて言い得て妙なんだろう。
なんなら、この家の人々もなかなか“うろん”だ。
あぁ、ゴーリーの絵本を買おう。
ここ数日、騒音トラブルに悩まされ、寝不足続きのフラフラする頭でこれを書きながらふっと思いついた。
眠れなくていらいらしているような夜にゴーリーの本を開いたら、意外と気持ちが軽くなるんじゃないだろうか。
もしかしたら、ゴーリーの“アンハッピーエンド”な物語の数々は、不条理にまみれたこの世界を生きる人をちょっとだけ元気にする、カンフル的な存在なのかもしれない。
(すべて個人の感想です)