マスクの下の自分を忘れないで。
何とか系という言葉が日常的な会話の中で、
気軽に使われるようになったのは
いつ頃からだったのでしょう?
電車の車両の種類とか(昨日書いた話の残り香ね。)、
系統という意味合いであったりとか、
数学や地質区分、生物学で使われたり(辞書見ました。)
だったのがいつの間にか、
すごく自然に普段使いされるようになりました。
最近は分からないけれど、
言葉をぼやかすために使われたりもしていました。
「もう帰りたい系かな。」とか、「キモイ系」とか。
「もう帰りたい。」って言うと言葉が強すぎたり、
「気持ち悪い」とはっきり言うのが憚られる時に、
使用されることもありました。
(「系」が付くとちょっと軽くなる気がしますね。)
この何とか系という言葉や、
その系統を表す別の言葉を使って、
服装や髪型、メイクなどの外見的なものに限らず、
生き方や考え方など内面的なものまで、
様々なものが分類されています。
その中から好感が持てるものを素敵だと思って、取り入れる。
そのこと自体は良いと思うし、
取り入れることで毎日が楽しくなったり、
豊かになるならそれでいいと思う。
ただこういうのって、
知らない間に自分はこういう系統だから、
と自分自身に対してそこからはみ出ないことを
課してしまうときってあったりします。
知らない間にそれをしちゃうのね。
取り入れた系統が好きなだけで、
その人そのものがその系統になった訳でないのにね。
noteを書いていると悩みます。
以前どこかで見聞きした誰かの話に対して
賛同する気持ちが自分の意見かのようになってしまい、
自分の書いた記事は誰かの話そのままになってしまっていないか、
と悩むことがあります。
ただ賛同しているのなら、
引用文献を書いて、
「これ、すごく響いたのでシェアします!」
と書けばいいだけです。
その誰かの話を自分の視点で見つめて、
自分がどの様に捉えたのかを書いたうえで、
伝えたいことを伝えることが出来ているか。
今もこうして、書きながら考えています。
だけれども、
あまり考えすぎると益々混乱していきますね。
この考えは自分の考えのようでいて、
実は別の誰かの考えを自分の物だと
勘違いしているのでは・・・
だとか。
それから、
これが好きだと思っていたけれど、
これを好きでいる誰かに憧れているだけで、
本当に自分はこれが好きなんだろうか・・・だとか。
もしこんな風に混乱してしまったときは、
その「考え」を「自分」がどう感じ、どう捉えているかを
「自分」が知っていれば良しとします。
その「好き」が「自分」を楽しく豊かに、
幸せにしてくれるものであれば良しとします。
「考え」にも「好き」にも
「自分」が存在していれば良しとします。
「考え」や「好き」が
「自分」の悩みや苦しみの種になっているのなら、
その「考え」や「好き」の中に
「自分」は存在していません。
ここ最近はマスクをすることが当たり前で、
目元以外の表情が見えませんね。
他人からは見えませんが、
その「考え」や「好き」の中にいる時に、
自分の口角が上がっているのかどうか、
それを意識してあげるといいかもしれませんね。
マスクの下の自分を、
忘れないでいてあげましょう。
『ほとんどの人々は他の人々である。
彼らの思考は誰かの意見、
彼らの人生は模倣、
そして彼らの情熱は引用である。』
オスカー・ワイルド
This Masquerade
なんとなくマスクの下というとこの曲をイメージします。
この動画だと日本語訳と英語歌詞が同時に見られるのと、歌声も素敵なので良かったら。
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