脱サラ田舎暮らし
家から5分の道の駅では野沢菜が値引きの赤いシールが貼られ50円になっていた。寒い山でしか取れない山菜のこごりも100円。
せっかく愛情込めて作った野菜も食べてもらえなければ意味がない。
その値段なんだろうなとつくづく胸が痛くなった。
母親がこごり好きなので、実家用とおばあちゃんの家とご近所さん用に10パック買って送った。
天ぷらにしたよと写真が送られてきた。
あるところでは需要があるのに、ここでは余ってしまうのだ。
先週10人だった長野県の感染者数は50人を超え、コロナの影響で学校も休校になってしまった。
仕方ないと思いつつ悲しい気持ちも正直ある。
だからといって現状を嘆くよりも、
前を向いて今できることをしよう。そう思う。
今まで読めてなかった本も読めるし、
Udemyというインターネット学習プログラムにも入った。
こんな時だからこそ少しずつ。
ゆっくり好きなことをやればいいと思う。
ここ最近思ったことをメモにとっておきながら久しくnoteを更新できていなかったので、自分の思いも含めて棚卸ししておこうと思う。
コロナで色んなことを考えるいいきっかけになった。
今までの普段の生活を振り返ってみたときに、遊ぶことには事欠かない施設や物、手段が溢れている。
そういうものがずっと増えてきた。
ゲームも毎年最新版が出るし、遊んだり体を動かす為の施設がどんどん建っている。
でも、増えれば増えるほど、なぜか逆に気分は虚しくなってくる。
本当に楽しく人生を謳歌できている充実感、なにかを成し遂げた達成感、生きがい、そういうものが本当の意味で満たされなくなってきていると思う。
例えば、ワールドカップを観て日本代表の躍進に心を躍らせる。アドレナリンが出て興奮する。
でもそれが生きがいになるのだろうか。
おそらくただの観客であり見物客にすぎない。楽しんでいるつもりでも、どこか傷ついている。そんな気分になることがある。
いつからか薄々気づいてはいるが、見ないようにしていることがあった。
大人になって、ほとんどの人はあきらめて、適当に日々をこなしているように思う。
小さい時はだれでも「人生は最高のものなんだ」って思っていたし、「大人になったら。」と夢を見ていた。
なのに、いつのまにかあきらめ、でもどっかで、「このままでは終わらない、いつかは。」と焦っている。
自分もその1人。
でも、そんな矛盾に落ち込み、腹の底に煮え切らない思いを持ってる人こそ、良心的で、想像力に富んだ人だと思っている。
そんなことも考えずに生涯を終える人も多いと思う。
だから、自分の生き方を掴もうと思う。
外からどう見られたっていい。
自分を、自分自身を創っていく。
いつかは。。
そんなことを思っている人たちで一緒にその日を迎えに行きたい。
最近プッカがマイブームです。
おやすみなさい。
ケータ
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