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あとから持った日本の誇り
海外生活を通して以前日本で暮らしていた以上に感じる気持ちについて、今日は書いていく。
私は日本にいる時、人生について考えたり将来について考えることがあった。
その時の自分の世界は今よりもっと狭いものだった。
タイのチェンマイの暮らしで、
日本と違った雇用形態の不安定さや想像以上だった労働賃金の差を知る。
そして、国の政府の曖昧さ不安定さの中で生きる国民。これが普通とされていることにも驚きを感じた。
チェンマイ滞在中、ラオスビエンチャンへ行った時にはラオスに住む日本人の方と会う機会があった。
ラオスの独特な閉鎖的な街の制度。
映画の中の話ですか?というちょっと恐ろしい話なども聞けた。
チェンマイ滞在中、香港の男の子と友達になった。彼は毎年夏休みに一人旅でタイに来る。彼から、リアルな香港の今の話を聞いて目頭熱くなる。
若い子たちが身体張って政府と対立し戦う、そうしない限り彼らの自由は奪われてしまうから。何も言葉が出なかった。
同じくチェンマイ滞在中、興味があって
ベトナムハノイの技能実習生の学校へボランティアへ行く。
そこにいる生徒たちは、とても一生懸命毎日8時間以上日本語や日本の文化を学ぶ。年齢は18歳から25歳ほど。
親の為にも出稼ぎを日本でする、その為に寮と学校の往復。彼らの日記を読ませてもらったが、親に会いたいと寂しい気持ちを綴ったものがあった。
そんな若くして、お金のために国を出る選択をする。そんな考え自分にあっただろうか。
チェンマイの暮らしでは、
出稼ぎで働くラオス人やミャンマー人に度々出くわす。
出稼ぎで家族と離れるということ、それが当たり前と言った話を聞く。
以上が国の不安定さや、労働の価値観についての話。
そして、タイでバンコクへ行った際やベトナムハノイに行った際に現地の方に言われて知ったこと。
日本が橋を創ってくれたんだよ、と尊敬する言葉。
内容忘れたけど、ラオスでも日本の恩恵あってとてつもなく親日対応だった。
そして今、コロナ禍の台湾でも同様。
日本からのワクチンの提供で台湾がかなり盛り上がったのを体感した先日。
実際に、台湾のワクチンが得られない状況を知っている立場の私としても
今回の日本からのワクチン提供に、思わず感動してしまった。
色んな視点での現実、色んな歴史、色んな政治的な事情ももちろんあるだろう。
しかし、私はこの経験で外から日本を見ることができた。
そして、なぜ日本が素晴らしいと言われるかも昔より理解できている。
どんな理由でも、当事者からしたら
救いの手を差し伸べられたことは忘れないだろう。一生恩に着ると思う。
そんな風に周りを救おうとできるのは、まず自分をうまく管理できている状態あってからだ。
その考えも、もちろんわかる。
でも、同時進行でもいいのかな。
今はその気持ちのが強い。
自分と誰か、一緒に一歩ずつ救う。
自分も助けて、次に誰かも助けれたら。
そう昔の日本人が積み重ねてやってくれたおかげで、今の日本人として存在できている。
そのことで海外でも人から守られる存在でいれる。私の力でもなんでもない。
この感謝は、日本を離れてから強く感じている。
昔の人の残した救いが、消えることなく現地の人々に受け継がれる。
してもらって嬉しかった人々は、
未来に出会う日本人へ感謝を届ける。
何もしてない日本人の私は、今まで色んな場所でその感謝を色んな言語で受け取ってきた。
そして私は、その過去の救ってくれた日本人へ尊敬と感謝の気持ちをもって過ごしている。
そして、海外生活を通してもっと知りたいことも増えた。
人生の意味とか将来どうとかはもう、とうてい興味はない。
知らないことが多すぎて、それを知るには時間が足りなすぎる。
ただ、ひとつずつ知っていきながら生きていきたい。
たぶん、それだけ。
それとともに、日本人という誇りもある時からもち始めている。
この誇りも大切にしていこうとおもう。
過去の日本人がしてきたように、自分と一緒に誰かのことも手伝ったり支え合っていけたらな。今は、そう思っている。
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