上手くならなければいけないのか?
気が付けばもう6月ですね。
なんだかスキッとしない天候が続いていやですね。
さて、今回は上手くならなければならないのか?ということについて書いてみましょう。
結論。上手くならなくてもいいです。
終わり(笑)。
これだとひどすぎるのでもう少し続けてみます。
そもそも、上手いってなんですか?技術があることですか?表現力があることですか?その両方を兼ね備えていることですか?
いまあげたこと、全部正しいでしょうね。
そういいつつあえて言えば技術があることでしょうね。表現力も技術がないと実現しないものですから。
じゃあ練習しなきゃいけないじゃん!そうなんです。そうなんですが、何を表現したいか分からない、特にそんなこと考えたこともない、とにかく弾ける範囲で弾ければそれで楽しいと言われればもう何も言う事はありません。
なんかクラシックだと、「音楽的意味」という謎の言葉を使いたがる人がいます。
「音楽的意味」
これはなに???
もう私の理解の範疇を超えてます。
「音楽的意味」がないとダメなんですか??
そんなこと言ったら、私の大好きなパガニーニやヴィ二アスキーあたりの小曲なんて意味ないものだらけですよ!!って怒られそう(笑)。
そういうのは音楽じゃないんですか?
もうね、屁理屈じゃなく真面目にそう思ってますよ。
「音楽的意味がない」ものもあるからクラシックはじめ音楽ってすごいと思うんですけどね。
全部意味あるものだったらこんなつまんないものは無いですし、とっくに音楽なんて消えてたでしょう。
話が脱線しました。
なんだっけ?
あ、上手くならなければいけないのか?でしたね。
無理にうまくなる必要はないですね。
ただ表現したいことがあるのならば、上手くなる必要はあると思います。
というわけで、話が飛びまくってごめんなさい。
では。
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