真理について。

真理について、現時点での見解を書いていきたいと思う。

真理とは

本当の事。間違いでない道理。正当な知識内容。
判断内容がもつ客観妥当性。意味のある命題が事実に合うこと。
論理の法則にかなっているという、形式的な正しさ。

解釈として

間違いではない道理、正当な知識内容とはこの場合主観である。

判断内容がもつ客観妥当性。意味のある命題が事実に合うこととは、この場合主観の中での客観性を意識した自身の答えである。

論理の法則にかなっているという、形式的な正しさとはセオリーによる結論ということである。

実態

論法の法則、つまりセオリーがあれば真理であると。正しくそうだと僕は考える、なぜなら彼の目線で見た彼なりの視点と感想はそう解釈するのも1つの真理である。
答えがないテーマであれば自由だということ。
つまり、

A地点とB地点という角度の違う位置について、その地点からの画角で、ある船を描いたとして描写される角度は違くとも等しく同じ船であること、それは即ち真理として同等であるということ。

この事からわかるように、真理は同一して真理である。
また、その真理に至る背景がある。
例えばA地点から見たから船の全貌が分からなかっただけで、B地点からみれば分かったかもしれない、逆もしかり。だが等しく描写した真理であるという。

僕が思うこと

真理は各々の中に作られても良い。だが自身の真理だけが正しいという絶対的な真理を求めるのは非常に難しい。なぜなら他の真理も一つの真理であるため、その真理の虚偽性を暴露しなければならない。
絶対的な真理というものは存在するとして、その真理を証明することが難しい。

日常生活に応用するとすれば、自分が何かを形にしたい、意味があるとして、そして求めた答えであるならばそれを否定された時に自分の答えも一つの真理であるし、彼の答えもまたひとつの主観としての一意見(背景のある真理にも近い)と考えられれば、相手の言葉について注意深く聞き入れられるし、自分の答えに自信を持てる。

人と自分は違う、という在り来りな考え無しの断定ではなくて、人と自分は違うが、違う理由を理解した上で真理だと認める事で自身と違う常識を持った人間と接する時に凄く役に立つ。

如何せん僕自身、人と見る視点が良くも悪くも全く違う(俗に言う世間知らずや非常識であると)、劣っている部分も優れている部分もあるだろう、だからこそ僕とは違う人間の言葉に耳を傾けるチャンスだと思う。
ただ1つ冷静に、共通認識が全く違いそれにより答えが違う時、自身も相手もどちらも正しいが、この場合の最適解の有無があり、それに対する対策を素直な気持ちで聞くこと。
彼がそう思うという理由をより理解出来る。

人と考え方、つまりやる事が違う。そう言うのは馬鹿だと言われる、いつだってそう。先人が言われ続けていざ認められた時、今までバカだって言ってきた人間が全員手のひらを返さないと行けなくなる、そういう時でも彼らをバカにせず優しくできる人になれると僕はもっと優しい社会になるんじゃないかなと思う。

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