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やっぱり今日は苦しい…

今年も3月11日が過ぎようとしていますね。週末、訪れた京都の天龍寺で、あれから8年が経つのか…としみじみ思い返しました。京都へは夫と娘が二人で結婚式へお呼ばれしていて、父娘二人旅の予定だったんのですが、前日に「やっぱりお母さんも一緒がいいー」と娘のリクエストがあり、“ふと”便乗することにしました。無意識でしたが、3.11直前の週末に一人で夜を過ごすことを、避けたかったからなのかも知れません。

案の定、心が乱高下して、夜は眠れず…東京の家に帰宅するなり夫と大喧嘩しましたが…。3.11と結婚式は命日反応やらフラッシュバックやらで、何年経ってもひゅーっと気持ちが塞ぎ込んだり、イライラが募ったり、涙が流れ落ちてきたり…心の粘膜が薄い薄い氷のように、儚く破れやすく、感情の洪水が起きると自分を守る防波堤が簡単に決壊してしまうのです。(命日反応については、以前、知人のブログが私の心を軽くしてくれたのでリンクを貼っておきます。)


多くの人がそうであるように3.11は私の中でいろんなものががつん…と蠢いた時間でした。特に3.11から1か月足らずで他界した母との最後の時間への想いはとても強いです。3.11の後、実家のある益子町は東北ほどの被害はなかったけれど、それでも私が18歳まで過ごしたいつもの姿とはかなり異なる姿でした。近所の鉄道もしばらく運休していたので、いつもとは違うルートを使い毎週、益子へ通いました。ブルーシートで補強された屋根が連なる光景は、自分が今住んでいる東京から数時間しか離れていない場だとは信じられませんでした。3.11の翌々日、東京の百貨店ではホワイトデーのお返しを買う人々でごった返していて異様さを覚えたこと、私は一生忘れられないでしょう。

3.11の直後、東京と益子を行ったり来たりしながら、日常と非日常を往復し、母の最期の生と死の狭間を過ごす日々は、私の心も大きく揺さぶりました。都会と田舎、モノを消費して生きる社会、長時間労働…社会の中にある色々な構造の中で揺さぶられ、自分はどう在りたいか問い続ける日々。震災の8ヶ月後にした結婚まで含めて、私にとっての2011年は人生で一番しんどい時期でもありました。結婚式が辛すぎて、しばらく人の結婚式行くのもしんどかったのですが、流石にそのトラウマは翌年、自分らしい結婚披露宴パーティーを開くことで解消しました。(転んでもタダじゃ起きません!!)お陰で、家族と全力で向き合う姿勢も手に入れたし、結婚に夢を見ずに現実的に幸せを掴む行動を模索することもできました。

そう!!あれから8年経って良い方向へ変わったことは、たくさんあります。母の他界から5年以上かかりましたが、ようやく東北へも足を運べるようにもなりました。現地で生きる大好きな人たちもたくさんいます。それでも…きっと何年経っても3月11日はとても苦しい日であり続けるのでしょう。私は一生をかけて、あの時感じた多くのことと折り合いをつけて生きていく…そう覚悟を決めております。

最後に被災して亡くなられた方々のご冥福を心より、本当に心よりお祈りし、今なお復興中の被災された皆様にお見舞い申し上げます。

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石島小夏
3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎