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人は、簡単に変わらない。

「いや、その上司はもう変わらないよ、ほんとに。」

確かに彼の言う通りだ。
いや、彼に言われるより先ずは私が1番わかっている。

良くも悪くも、人は簡単に変われはしないし、変わったとしても自分の理想通りになってくれる訳ではない。

●あれから・・・

「今すぐは無理だから、退職は体制が整ってからで」

かいつまんで話すと、私の退職話は去年末、
一旦社員としての籍は抜き、パートとして出勤日数・時間を減らして勤務する…と言う折衷案に落ち着いた。

この形態になってから数ヶ月、かつてより自分時間を持てる事となった私は、ここから1年を"休養期間"と定め、比較的落ち着いた状態で日々を過ごしている。

以前はフリーランスして生計を立てていた私にとっては、時給にせよ日給にせよ「その日、自分が働いた分だけ」と言うわかりやすい成果報酬を得る方が気持ち的にラクなのだ…と言う事がわかった。

この感じなら退職せずともやって行けるかも知れない。

後は他にも無理のない範囲や時間帯でできるパートと掛け持ちして…など、今後どうしたいのか?を考えながら、以前よりずっと短くなった勤務時間中は仕事に集中する。

相変わらず細かい衝突はあったが、社内で表立った配置転換や軋轢もなく、また、私の退職話を「こちらの責任でもある」と省みたと話す上司も、比較的柔軟な態度で応じてくれていた。

このまま何もなければもちろんそれで良かったのだが。

●フラッシュバック

ある忙しい日、
久しぶりにその上司の機嫌がMAXまで悪かった。

私が直接的原因なのだが、わざと物音をさせたり大きな声を出したり…その機嫌の悪さを隠す事なく撒き散らす、いつものパターンだ。

嵐が吹き荒れる如く過ぎていったその時間、私は今すぐ飛び出したい衝動を必死で抑えながら業務にあたる。

足は震えていたし、声も出ない。
その他のことは何も考えられなかった。

思い返すと、クレーマー客に叱責された事はもちろん、この上司からの叱責や態度に私の心はじわじわと蝕まれて言ったのだ。

例え相手は"conaの今後のため"と思っての事であったとしても、その人格否定とも取れるやり方は、私の心のバケツをたちまち卑屈な感情でいっぱいにしてしまう。

実はいつも怒りをぶつける相手を常に探していて、些細な事でも間違いを見逃さぬよう機会を窺っているのではないか…そんな気すらしてくる。

退職意思がMAXだったあの頃、私には、上司が「お前の存在そのものが迷惑だ!」と言っているようにしか聞こえなかった。


できなかった事は私も悪い。
ずっと同じようなミスを繰り返しているのだから、本当に私も悪い。

今回もそうだった。

そしてこの出来事は、再び私の心に暗い影を落とした。

死にたいと久しぶりに思った。
自分は必要ないと。

私が会社やお客様に迷惑をかけている事は知っている。
そうしながらも働いている事を心苦しく思っていない訳でもないし、つまり、退職に関して"全て会社のせい"だとは思っている訳ではない。

一種の心的外傷を負った状態なのだろう。
あの頃と同じように、この日の出来事も何度も何度も思い出して気持ちが晴れる事はない。

こうしている今も。

●人は、簡単に変わらない

「いや、その上司はもう変わらないよ、ほんとに。」

確かに彼の言う通りだ。

いや、彼に言われるより先ずは私が1番わかっている。
良くも悪くも、人は簡単に変われはしないし、変わったとしても自分の理想通りになってくれる訳ではない。


今回も、
直接的原因は現場で起こっているが、実際の所は上司のプライベートな事情とリンクしていたりもする。

仕事ができる、忙しい上司ではあるが、意外に打たれ弱く、以前から私的に起こった問題に対し、 業務時間外に折り合いをつけられず、現場まで持ち込んでしまう所がある。

今回も兼ねてから聴いていたプライベートなあれこれが、どうやら上手く行ってない上に、別件でも大きな衝撃を受け、その上の出来事だった。

先輩たちは「悪い癖が出た」と軽く流しているが、私にとっては"これからも"この状態がしばらく続くのなら耐えがたい。

ただ、嵐を耐え抜く事もできず折れてしまうだろう。

少しずつ元気を取り戻しつつはあったが、それが過ぎ去るのを待てるほどには、私の枝葉はまだ回復していなかったのだから。


どの職場にも大なり小なりの嵐はやってくる。

傷ついた自分自身を癒すに必要な時間もまた、人それぞれである。

私は人よりもそれが遅く、こういった出来事の後、自分を仕事に向かわせるために大量の精神力を費やし、相変わらずそれだけで体力をすり減らしてしまう。

上司も私も、人間としてはあれからほとんど変わっていないのだろう。

●原因は

退職理由の直接原因となったのは、乱暴に言えば暴言客の存在と気分屋上司のパワハラ紛いの叱責だが、

  • 怒鳴られると頭が真っ白になる

  • 何度も思い出しては落ち込む

  • 自己否定がとまらなくなり社会に不要な人間だと思い始める

これらの症状の原因はもっと過去に遡った出来事にある。

以前記事にしたこともあるが、
私は過去に"適応障害"と"アダルトチルドレン"を医師から指摘されている。

この頃に従事していた仕事は、マニュアルが複雑でクレームになりやすい業種だったにも拘らず、慢性的人員不足のため教育は粗雑で、口頭での簡単な説明とマニュアルだけで現場に放り出される劣悪な業界だった。

私から言わせれば、"失敗は許されない"と繰り返し言われるほどの難しい仕事である上に長時間勤務、体力的にも精神的にも厳しい仕事であるのだから、現場に立たせる以前にきちんと教育すべき。フォローを入れるべき。

それがクレームを防ぎかつ、離職を防ぐ簡単で確実な手立てだ、そう思うのだが、どこの現場も同じく粗雑な新人教育に許されないはずの失敗が頻発。

その上、小さな事を論って事を大きく育てるのが得意なクレーマーと、それを受けた上司から、人格否定とダブルでこれ以上ないほどに叱責を受け、心身共に疲れ果て、追い込まれ、やがてほとんどが離職していく。


私も例に漏れず離職した"ほとんど"のうちの1人で、
自分に理解できるミスならまだしも、実は何も起こってない所にクレーマーがわざわざ作り上げた"ミスとされる出来事"まで全てにおいて頭を下げてきた。

向いてない、と言われればそれだけかも知れないが、正直今でも何が悪くてあんなに客が怒っていたのか理解もできない。

育てもせずに放り出し使い捨てにする業界のやり方もいまだに理解できない。

いずれにせよ、私はこの頃、心に最も深い傷を負った。

今でも思い出しては、幾度となく自分を傷つけてしまうくらいには。

●共依存の図式

私は恐らく、
うちの上司がしているのと同じく"怒りのぶつけ先を探している人間"につけ狙われやすいのだろうと思う。

私を的に気分を晴らそうとしているのかは不明だが、いつも何故か"どこか上手く行ってない人"達が攻撃を仕掛けてくるこれは私の中で確かなセオリーだ。

いや、誰しも一点の曇りもない完璧な人生を歩んでいる訳ではないし、どこか上手く行かない…そんな問題を多くが抱えているのだろう。

だが通常は、それを赤の他人に責任転嫁したり況してや全く関係のない出来事はおろか事実を捻じ曲げ、ともすれば捏造してまで他人を糾弾し溜飲を下げたい…などとは思わないはずだが。

自分に自信が無さそうに見える、とか、もろもろ。
原因は自分にもあるのだろう。

だからと言って、他人に謂れのない怒りをぶつけ、見下す事でしか自分を保てない人間もまた、人間としてどうなのか?と問われれば、強い言葉を使うがそれはまさに異常者であるとしか言いようもない。

私はきっと、ずっと、こういう人種の心無い言葉や態度に傷つき続けているのだと思う。

そして何故かそれでも、そう言った人達に頭を下げたり、どうにか機嫌を取ろうと動いてしまう自分がいる。


一説によると、
アダルトチルドレンとは家庭など身近な環境において愛情を受けられないまま大人になった者が陥りやすい傾向にあるとされている。

恐らく、人と接する時に限ってその傾向が無意識とは言え強く出るのだろう。

一方で"異常者"は、それを目ざとく感知し、コントロールしようとする、そういった図式が出来上がる。

これも一種の依存状態で、DV被害者などに見受けられるソレと同じだ。

心のどこかで、愛を渇望しているのだろう。

一方の相手も"バカにしていい相手・マウントを取れる対象"として、という意味では私のような者の存在を必要とし、依存している。

●私は恵まれていた

この共依存にひとたび陥れば、
そんな環境や人から「離れよう」、まして自分を変えようなどとは不思議だが何故か思わない。

「離れよう」そう思えたのは、私のプライベートな友人達、彼や彼の両親が、まっとうな愛を私に向けてくれているからだ。

そうでなければこの共依存に疑問を感じる事もなく、生きづらさと向き合う事もなかったのだろう。


今回も、この話を聞いた彼は、

給料や退職後の同僚・先輩への配慮より何よりも、私にとって最善の道を選んでほしい。

俺にとってそれは退職一択だと思う。
conaの意思を尊重するけど、できれば辞めるのが1番いいと今も思っている。

うちの両親も心配している。

と、周りではなく自分に配慮するよう諭してくれた。

私の周りも、私の話を聞けば「あり得ない」と激怒し、もっとconaが輝ける場所にいてほしいと言ってくる。

私には"健全な第三者の目"から見た意見があったし、私自身にもそれに納得し、行動を起こそうとする自尊心がまだ残っていた。

どうでもいい人や過去の出来事との共依存を断ち切ろうと思い立った去年のあの日。

ペースを落として勤務する事に決めたあの日。

何も変わってないようで、実はちゃんと自分を取り戻すための一歩を、私は踏み出せているのだと思う。

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