井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#9
既成のものさしを手放せないもったいなさ
(9) 不安になる理由は自分の中にあった
親になると、教育というテーマが突然「自分事」になります。「どういう子育てや教育がいいのか」を知りたくて、本や講演などで学んだことのある人は多いのではないかと思います。
自分自身も子育て中の親なので、仕事としてだけでなく、自分事として子育てや教育、学びなどについて探究してきました。
本を読んだり、講演を聞いたりしても、なかなか不安が解消しない、という人は少なくないと思います。それは内容を受け止めた後に、どう実践していくかが最も難しく、かつ大事だからだと思います。
例えば、「その通りに声かけを数回してみたけど、想定された反応が得られなかったからあきらめた」という声があります。私にもこの経験はあります。本当は、子どもに関することで、数回試したくらいで何か変化を実感することは難しいのですが、仕事を始めとする現代社会のスピード感に慣れていると、短期間に数回試しただけでも「やったけどダメだった」と早々にあきらめてしまいがちかもしれません。
あるいはそもそも、自分の現状にその手法が合わなかったということもあります。子育てや教育は、人間対人間の営みなので千差万別の個性と状況とそれまでの経緯があり、一律に語るのは難しいものです。実際、子育て本の文面にもたいてい但し書きがありますが、数行おきに書いてあることはまずないので、読んでいるうちに忘れがちです。
「しばらく実践していたけど、数カ月したら忘れてしまった」。これもよくあります。忙しい毎日の中で、元に戻る力が働きます。本当に忘れないで実行し続けたいなら、仕組みで環境を作るしかないとも思います。
さて、多くの専門家を取材する中で、「子どもをよく観察すること」「余計な口出しや手出しをせず待つこと」というアドバイスをよく聞きました。そして記事にも書いてきました。しかし、「書くは易し、行うは難し」です。
自分自身の子育てとなると「行うは難し」でした。やはり不安だらけの日々もあります。例えば、今私は一時的に米国在住です。日本と米国現地校の両方の勉強が視界に入ってしまうので、親としては心が乱れます。「日本に帰った後に学校の授業についていけるように日本の学年の進度に合わせた勉強もしておかないといけないのではないか」という不安が浮上しました。
でも、現実の時間は限られています。それを優先すると、子どもが心のままに過ごせる余白時間が確保できません。何より、言語の壁が立ちはだかる新しい環境に飛び込んだばかりの時期は、「成長意欲を持ってほしい」「好奇心を持ってほしい」などと要求することだってどだい無理な話でした。
そこでハッと気がつきました。私の不安は「日本の学年に合わせて、日本の学習の進度についていく必要がある」という思い込みに起因していました。頭では分かっていたつもりでも、既存の枠組みを手放せていないのは自分だと発見しました。
もちろん状況が許せばできるとよいですが、それを最優先目的とすることで、「子どもの余白時間が減る」「心理的な安心安全を大事にできない」「内側からの意欲を育む余裕がなくなる」「子どもが自走する機会を奪う」などの状況に陥ってしまうのなら、「もったいない」と思いました(ここでの「自走」とは、親がやらせたいことを子どもが自らやるようになるという意味ではありません。詳細は後の回で書きます)。
そこから、すべてプロセスを重視しようと意識を切り替えることができました。
本当の意味で「学ぶ」とは「自分が変わる」ということかもしれません。そして、何かを学んで変わるためには、誰かの力を借りながらも、自分で発見して「ハッと」する必要があると思います。それは、子どもでも大人でも同じではないでしょうか。
n=1の現在進行形の事例ですが、「学ぶ」ことは「変わる」ことだと少し実感できたエピソードとして単純化して記しました。「もったいない」と気づくためには、やはり子どもを観察する必要があります。子育て手法に正解はなく、「正解は子どもの中にある」ということに、体験として気づくことが大切だと今感じています。
どこかから与えられた既成の枠組みに自分をはめこむためにもがくのはもったいないことです。子育ての日常に連続してやってくる小さな選択の瞬間に、子どもを観察することでよりよい選択肢を見つける――実践することは簡単ではないですが、その姿勢を大人が持ち続けることが大事なのだと思います。
(#10に続く)
書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親)
新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ねる。現在、米国在住。