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豊かな感性が新しい扉をひらく

こたえは一つではないし、優劣もない。自分が感じたことを信じ考えを深めていい。
そういうCo-musubi文化の中で育った子どもたちは、その感性を閉じることなく自由に物事を見つめ言葉にします。

たとえば、オンラインで各家庭をつないで行う先日のおはなし会。低学年の子どもたちの「なぜだろう?ノート」からピックアップした「光るってなんだろう?」という問いから対話をはじめました。
すると参加していた子の傍らから元素好きな小6の兄が登場し、エネルギーと絡めて説明をしてくれました。
最終的にその日の対話は「星ってどうやって生まれるんだろう?」という問いに発展し、各家庭の本棚にある星の誕生にまつわる書籍や図鑑を取り出し調べタイムに。

自分たちで調べたり仮設を立てたり想像したりして、その内容を書いて送ってね。星の誕生についてでなくても、自分が気になったことでもなんでもいいよ。とその日のおはなし会は終了。

すると早速、子どもたちから様々な角度からの「星はどうやって誕生したのか?」のまとめが届きました。

その中で、「超新星爆発」について熱心に調べ丁寧にまとめを書いて送ってくれた小学4年生の男子くんは、お母さんにこのように自分の考えを説明をしたのだそう。

「超新星爆発はエネルギーがすごくて、それはその星が周りの星たちにありがとうって感謝して死んでいくから、輝きも強いんだと思う。」

コミュニティの大人たちで、彼の純粋な優しさと豊かな想像力への感動を共有しあい、
「この感覚こそ、覚えたことを全て忘れたあとでも残る学びだね。」
と、Co-musubiの学びの根っことなる大切なことを改めて心に刻む事ができました。

また別の日、小学6年生の男子が学校の宿題である自主学習で書いたという作文がとても彼らしくユニークで面白いのだ、と彼の母親であるメンバーから共有してもらいました。

宿題について、自分の想いを率直に書いたその作文は、
「僕は正直、宿題は好きではありません。」
からはじまります。


僕は宿題が好きではない。
世の中に宿題が好きな人なんていないだろう。
もし仮に宿題が好きだという人がいたとしたら、その本当の理由は宿題に持つその人のイメージカラーによるものではないか。
例えば僕は算数が好きだ。
多くの人は算数を苦手だと感じているし、そのイメージカラーを青だと感じているのではないだろうか。
算数を楽しいと感じる僕は、黄色だと感じる。
実は色によって時間の感じ方は違っているそうで、明るい色のほうが時間の感じ方が短い。
その人が感じるカラーによって、宿題へのイメージも変わるかもしれない。

という内容の作文。
自分の感性に自信を持って、自分の正直な考えを作文に綴り学校に提出していました。

彼らが、生まれ持った感性豊かなその個性や自分の考えを失わず、自信を持ち、孤立を感じず、胸を張って表現できるその影には、もしかしたらCo-musubiでも何度も学んだ宮沢賢治や岡潔、ゴッホや南方熊楠など偉人たちの「世界はもっと色鮮やかで抽象的で複雑で美しいのだ。」「時代が追いつかず周りに理解されずとも自分を信じて貫いていい。」という生き方に肯定され育ってきたことも関係しているように思います。

私たちの生きるこの世界は、豊かな感性を持った偉人たちによって新しい扉がひらかれてきました。

けれども学校や現実の社会は、言葉で言い表すことのできる整理された秩序立った論理によって動いていることがほとんどです。

Co-musubiの文化の中で育ったこどもたちは、その感性を閉じることなく自信を持って、そして幸いなことに無自覚に、この社会の中で飄々と、颯爽と生きていきます。
社会が「知っていること」で個人の思考を満たそうとしても、こどもを取り巻く大人たちが、彼らの自由で素晴らしい発想の世界の理解者となれば、彼らは広く大きな視野で、細部まで丁寧に感じ取れる鋭い感性を持って、未来を自由に羽ばたいていく人に育っていくのだと、彼らの姿を見て確信しています。


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