営業は奴隷じゃねぇんだよ。~皮の巻~
いいかい?営業職のみんなは、オレのマーケティングで躍るダンサーなんだよ?コチラには目線もむけずにマックのPCをいじくる姿はまるで、「自分はエリートだ」という概念が、細身のコーデュロイパンツにねじ込まれたような仕上がりだ。
ある日、突然やってきた親会社の人は、大きな理由はないが、単純に嫌な印象を受けた。どこにでも居る、いけ好かない人。それは多分「嫌いな人」の定義が自分の中に確立されていて、そこにハマった証拠なのだろう。
そういえば、マーケティングってそもそも何だろう。
〇営業は奴隷じゃねぇんだよ。~皮の巻~
●マーケティングとはそもそも何か。
●マーケティングの目的を定める。
●MUJIで見てみるマーケティング。
●マーケティングで踊るための営業職。
〇マーケティングとはそもそも何か。
マーケティングとは何か。
それを知るにまず、世界中のマーケティングの頂点と言われている3人の意見を参考にしたい。
・フィリップ・コトラー:ニーズに利をもって対応すること。
・エドモンド・ジェローム・マッカーシーマッカーシー:4P(Product/Price/Promotion/Place)のこと(※日本語では製品・価格・販売促進・流通)。マクロとミクロ、利益性と社会性。
・ピーター・ドラッカー:マーケティングとは販売を不要にすること。
まだ概要は見えてこないが、マーケティングが成功すると、「社会的に求められていることを、寸分の狂いなく製品化して、販売努力など必要なく売り切ることができる」という現象が起こるようだ。大きく分類すると、「市場調査」ということになる。
次に、日本企業でマーケティングが優れているとされている3社と、その商品につてい考えてみる。
・任天堂:任天堂スイッチ(約2000万販売)
・SONY:ミラーレスカメラ「α7/α7R」(発売2018年2月~現在10月まで全カメラの中で販売台数1位を継続)
・TOYOTA:プラグインハイブリッド(2018年10月時点で2017年の売上の145%。米国での市場を席捲した)
上記3社の3商品は、販売前から予約が殺到していた。これは、ピーター・ドラッカーが唱える「販売を不要にする」というマーケティング概念に限りなく近いことになる。
精度のよいマーケティングをこなせば、販売努力すらせずに商品をソールドアウトにすることができる。しかし、そんなこと本当に可能なのだろうか。
〇マーケティングの目的を定める。
マーケティングが、精度の高い市場調査と理解した上で、マーケティング研究者である一橋大学の経営管理研究科、山下裕子教授が「戦略研究としてマーケティングは主要ではなくなりつつある」と発言していることに触れる。
つまり、精度の高いマーケティングは販売すら不要にする必殺技ではあるが、「戦略として使用されなくなってきた」ということ。
考えられる理由としては、「実は誰も正確にマーケティングを定義できないから」だ。
そもそもマーケティングとは、アメリカのマーケティング協会が定義したものを基準としている。しかし、その定義は時代の進化とともに、変化して今もコレといって定まっていない。
1948年
商品およびサービスを生産者から消費者あるいは需要者に流通させる事業活動の遂行
1985年
個人や組織の目的を満足させる交換を生じさせるために、アイディアや物資やサービスについての着想、価格決定、プロモーション、および流通(distribution、取引と物流)を計画し実施するプロセス
2003年
顧客に価値を創出、伝達、提供するとともに、組織とその利害関係者に利益をもたらすように顧客関係を管理する組織的機能および一連のプロセス
2007年
顧客、クライアント、パートナー、および社会全体に対し価値をもつ提供物を創造、伝達、配分、交換するための活動、一連の機関そしてのプロセス
上記の通り、そもそも定義が変わり続けているのだから、何をすればいいのかなど、正確に回答できるはずがない。マーケティングとは、言葉だけが一人歩きして、大きなくくりとして「市場調査」とされている希望や理想や概念的なものなのだ。
例えば、消費者に商品を届けるのが困難だった40年代は「流通させる事業活動」など物流によった定義づけが行われている。物流が進化した現代になれば定義を変えるのは必然だ。
近年、マーケティング手法はビジネス書にまとめられている。しかし、製造・輸送・保管・販売・宣伝などノウハウは記載されているが、定義を決定づけるものではなく市場調査のノウハウにとどまっている。
少し乱暴ではあるが、マーケティングを「精度の高い市場調査」とした上で、必要になるのは「何が目的なのか」を個々が決めることだ。
だからこそ今、マーケティングの目的を定義する必要がある。
「潜在的欲求の言語化し、それを証明するためにマーケティングを行う」
これをマーケティングの目的とする。
〇MUJIのブランドマーケティング。
良品計画(東京・豊島区、松﨑曉社長)のブランド「無印良品(MUJI)」を参考にする。
無印良品(MUJI)は日本を代表するグローバルブランドだ。中国、アジア諸国では高品質でシンプルな日用品のブランドとして、欧米では「禅」の精神を日常生活で実践するブランドとして、熱烈なファンをかかえる。
無印良品(MUJI)が海外で特に評価されているのは、品質以上に、日本文化や日本の美意識と結びつけられているからだ。全870店舗のうち418店舗が海外店舗だ。
松﨑社長は、「無駄を省いた日本的な『わびさび』が消費者に受け止められて特徴を出せた」と語っている(2012年11月:日経トレンディネットより)。
しかし、もちろん最初からファンが居たわけではない。
簡単に歴史を紹介すると、無印良品は1980年に西友の1ブランドとして誕生した。バブル時代の好景気と、アメリカンファッションを後追いする時流のせいか、無印良品の「素材は良いものを使っているので個々の生活に取り入れてください」という消費者主権のスタイルは全く評価されなかった。
方向性の転換は何度も良品計画の議題に挙がったそうだが、メーカー都合を優先したブランド商売、つまり「とにかくブランド物を着て!」と消費者に考える余裕を与えない商売では、本来ファッションが持つ楽しみや思想がなくなってしまうため、方向性を貫いた。
良品計画はブランド物を製造している製造所から仕入れを行い、ブランドタグをつけずに店頭に並べた。商品はほとんど同じなので、この手法ならば、ブランドタグがない分、同じ使い心地を3割安く提供できる。
ブランド物と同じ品質(良品)をノーブランド(無印)で販売するスタイルは、「本物と同じ使い心地を安く販売する」と目的を言語化して、市場に対して、それを可能とする理由を訴えた続けた結果として、受け入れられた。ブランドにこだわりがない人を中心に、少しずつ広がって、現在の熱烈なファンを築くようになったのだ。
もし、良品計画が一般的なマーケティングを行っていたら、アメリカ産のアウトドアブランドが売れているから大量に仕入れて来期販売する…といった内容になっていただろう。「ブランドタグがなくても良質なものを提供してみせる」という目標のために、市場調査を行うと、ブランドを買わない人は大勢居る…といった全く違う結果が得られる。
〇マーケティングで踊るための営業職。
近年のマーケティングは、スッカリIT化してきたが、結局長い会議を終えてみると「ターゲットは女性とする!」という声だけだった…というケースは珍しくない。
ターゲットを〇〇代の女性(男性)に絞り…どうちゃらこうちゃら、と語っても、「何のために」かは自分で決めるしかないのだ。
どうしたらいいのか、わからなくなった時におススメしたいのは、企業の理念に寄り添ってみることだ。
・SONYの企業理念:ユーザーの皆様に感動をもたらし、人々の好奇心を刺激する会社であり続ける。
・TOYOTAの企業理念:様々な分野での最先端技術の研究と開発に努め、世界中のお客様の要望に応える魅力あふれる商品・サービスを提供する。
上記は一例で、マーケティングは「誰に、何を、何個」と作戦会議のための文言として使用するためのものではなく、最初に「何のために」を考えるところから始まる。
また、一般的に営業職とマーケティング職は、溝が埋まらないとされているが、それは「マーケティングは現場を知らない」、「営業のくせに実行力がない」などと揶揄して敵対しているからだ。
まずは、自分たちが「どんな世界を実現するために商売をするのか」を言葉にする。言語にできれば、何をするべきか体も動くようになる。
ソロバンを弾くのは後でいい。
体中で大きく息を吸い込んで、細身パンツのイケ好かないエリートに目をやる。そしてニッコリ笑ってみた。
マーケティングで踊るためには、まず理想のストーリーを恥ずかしがらずに言葉にしてみよう。
【追記】
営業職に関してまとめている、「営業は奴隷じゃねぇんだよ。~肉の巻~」
「営業は奴隷じゃねぇんだよ。~骨の巻~」も合わせてご覧いただけますと幸いです。
参考論文は研究者の「関根孝」さんの研究を参考にさせていただきました。
発表日時:2018年7月
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