労働と私(最近の悩みについてのつぶやきと決意)

世間一般で働くと呼ばれる行為を始めてから2年が経った。そしてこれも世間的には褒められたことではないのであろうが、すでに一度の転職を経験している。
働くことは時に楽しいかもしれないが、少なくとも賃労働者として働く上ではとてつも無いリスクがまとわりつく。それはすなわち、雇用する側、資本家の意思一つで我々の生活する作用してしまう程の無理難題にも8時間という長時間の拘束にプラスしてでも取り組まねばならないところに関してのリスクである。
詳細は省くが、現在自分は労働資本として、とてつもなく非人間的な行為を課せられている。金を払ったからという理由で、理不尽な罵倒を長時間聞くという空虚極まりなく、かつ苦痛を伴う仕事である。
労働社会では金を担保にこうした理不尽も仕事として正当化され義務となる。悲しき、血も涙もない世の中である。
そこで、この辛さから自分を解放するために以下の決意にしたがって暫くの行動指針にしたいと考える。
1)労働者の私も生き抜く金を得るためと割り切って最低限の仕事しかしない。
2)家族と過ごす時間を最優先に、彼らの生活を助けることを労働の第一の目的とする。
3)それでも辛い時は一目散に逃げる。そしてこの行為を生存の為の必要な術として恥じない。
4)プラベートな為事を充実させる。かつそこで得たもので空虚な賃労働の隙間を埋める。

ただ辛い最中ではあるが以上のことを守りながら、大切な人達のために生きていきたい。

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