今年の紅白を見て~ジェンダー論的観点から~

改めて、日本におけるジェンダー表象を考えねばならないと思わされた年末

元より、紅白歌合戦という番組には、その影響範囲の大きさからも、性別二元論の規範化を推し進めるのでは無いかとの懸念がまとわりついていて、あまり好意的な見方をできなくなっていた。
しかし、最近は中々テレビを見る機会が減ったことと、最近は多少なりともジェンダー観の見直しが図られていることはしっていたので、何となく紅白という番組もかつてあった違和感を覚えずに見られるのではと思い試聴してみた。
だか結果、受けた印象は、改めてこの社会におけるジェンダー表象を再考せねばという決して前向きでは無いものだった。

カモフラージュとしての配慮

率直に感じたことを書くと、まず気になったのは、紅白内におけるジェンダー配慮であろうものが、薄っぺらく形だけに感じたというところになる。
歌う男性歌集を囲うアイドルの演出に感じる家父長的な空気、性的搾取を連想させる歌詞、かと思えばジェンダーニュートラルな演出もありと、なんとも全体通してチグハグな印象を受けた。(これが、各ミュージシャンそれぞれ別個の意思でやってるものですとあれば、そこまで気にならないのかも知れないが、いかんせん紅白という番組は番組サイドの意図が大きく見えてしまう、、)
あくまで一音楽番組のことと言えばそうなのかもしれないが、しかし私にはこの番組に感じるものが日本社会に広くあるジェンダー観と、相互に補強し合っている関係にあると感じられる。それは、普段から世の中について感じる違和感と、全く類似の感覚を得たからという個人的な結論だ。
配慮の格好は見せつつも、根底にある父権主義、ミソジニーはそのまま保持されている。そう印象付けられてしまう現状を、改めて考えなければならないと新年早々思わされてしまう。

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