ひかりてうたふはな 処暑 天地始粛
「天地はじめて粛(さむ)し」
夏のあいだ、あめつちは、モンスーンアジアの日本ではすっかり混ざり合い、肺を湿潤し、皮膚を通して心身に浸透してくる。
それがスッと引いてきて、天と地それぞれ離れ、自ずからの模様を描き始める。そのことが「粛」という文字で表されている。
夏の終わり、久しぶりにエイサーを見に沖縄の浜比嘉島へ出かけた。ずっと旧暦のお盆の行事としてそのかたちは守られている。その舞や唄や身振りは島の歌そのものとなる。あめつちの間に立ち、間をつなぐものだ。中国の冊封、薩摩の琉球処分、アメリカの占領、日本復帰?などなど。翻弄された島々の歴史を乗り越え、自分たちの島(字)の声を体現するものでもあるのだろう。その土地の綾、生きてきた人々の情の綾をエイサーは描いている。
花は木は、いつでも自粛している。深くその筆を下ろし、みずからの
今をおのずから描き切る。小さくても、生そのものの輝きを描くことが「粛」。それは「祝」と音通している。「宿神」の「宿」とも。だとすると「石神」「境」「崎」、「咲く」ということとも。
連作「白い島」。
琉球の、ブルームーンの月の白さ、石灰岩の白、波を輝かせる眩しい光の白などなど。
◇台風のやや逸れたまふ南に super blue moon見参
◇黒雲も隠しおおせず月の瀧もうひとつの世底光りして
◇琉球の光と波や君襲う混じりて揉まれなみだあたらし
◇沖縄で月は「チチ」とかおもかげのハハは揺らいでニッコリわらう
◇石垣で首もたげたり月天に火龍果吐きしサボテンの群
◇月代に石灰岩のほの青くオオオカガニはカシカシと去る
◇君の手をアーケードからホテルまで人の波縫い坂だと気づく