【第640回】『ラスト サムライ』(エドワード・ズウィック/2003)

 日本は剣で作られたとする神話、イザナミとイザナギの神を紹介する古事記の一節。クレーン撮影されたカメラが草むらに正座する男の前に回り込む。彼は目を瞑り、静かに瞑想する。武士の社会が長らく続いていた帝国日本も、欧米に則した近代化へ進み始めていた。戦さのスタイルは様変わりし、新たな洋式鉄砲と軍隊に希望をかける人々の圧力に押され、従来の武士の勢力は絶滅の危機に瀕していた。1876年サンフランシスコ、ウィンチェスター社の銃のプロモーションのために西海岸を訪れていたネイサン・オールグレン(トム・クルーズ)は、楽屋で小さな椅子に腰掛け、ウィスキーの瓶を呷る。南北戦争時代、北軍の士官として戦場に赴き、大尉にまで上り詰めた男は典型的なPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていた。彼の脳裏にはインディアンの部族に奇襲を仕掛けた光景が残像のようにこびり付いて離れない。子供たちは逃げ惑い、絶叫し、その場に倒れ動かなくなる。阿鼻叫喚の地獄絵図。良心の呵責に苛まれた男は、戦場での体験から逃れるようにウイスキー浸りの日々を送る。そんな折、南北戦争の英雄に意外な声が掛かる。日本の実業家にして大臣の大村(原田眞人)はバグリー大佐(トニー・ゴールドウィン)を介し、南北戦争の英雄に日本の軍隊の教授職のオファーがかかる。

 当時の日本はまさに明治維新の転換点にあった。阿片戦争後、世界的に帝国主義の波が強まる中で日本は当初、鎖国体制を極力維持し、旧来の体制を維持しようとした。しかし江戸幕府は、朝廷の意に反する形で開国・通商路線を選択したため、攘夷運動は尊王論と結びつき、尊王攘夷運動として広く展開される。こうして長州・薩摩の血みどろの抗争を経て、将軍慶喜は大政奉還を行う。王政復古の大号令が発令して明治政府が成立した。当時の日本は近代国家建設のために急速な近代的軍備の増強が必要であり、外国の力を必要としていた。オールグレンに白羽の矢が立ったのもそういう表向きの理由があってのことだが、大村は同時に不平士族の領袖である勝元(渡辺謙)たちを一掃しようと目論んでいた。勝元のモチーフは西南戦争の指導者となるが、敗れて城山で自刃した西郷隆盛に違いない。大金のオファーに目が眩んだオールグレンは当初は明治維新の裏方として活躍しようとするが、急場凌ぎの軍勢で彼らに挑んだオールグレン率いる部隊と相対し、南北戦争では起こらなかった敗北を喫し、勝元に生け捕られる。自分の弟の命を奪った憎き白人であるオールグレンを氏尾(真田広之)は真っ先に処刑しようとするが、勝元はそれを許さないばかりか、妹のたか(小雪)に手当てをさせ、面倒を見させる。なぜ生け捕りにした自分を殺さないかということは物語の主題と共振する。

 日本の描写は『キル・ビル』や『ウルヴァリン: SAMURAI』程ではないが、少なからず可笑しな描写は散見される。武士と農民が共存する勝元村のレイアウトや密度、そこで働く人々の描写、中盤以降命を狙った忍者(!!)、何より英語がペラペラの武士がいたのかという致命的な疑問にはあえて目を瞑りたい。賛否両論巻き起こったこの映画が日本でも大ヒットを記録したのは、大スターであるトム・クルーズが勝元やたか、信忠(小山田真)や飛源(池松壮亮)と触れ合ううちに、西洋とは一線を画す精神世界である武士道に触れ、その神秘主義のような武士道精神の虜になるからに違いない。本国アメリカで酒浸りの生活を送っていた主人公は、極東の島国で南北戦争のトラウマを癒し、日本人の文化から愚直に学ぼうとする。そのひたむきな姿に心打たれる。自分が愛した男を無残にも殺した仇である西洋人に対し、徐々に好意を寄せるたか(小雪)には今ひとつ感情移入出来ないが、最初は半目しあった氏尾(真田広之)との友情が心地良い。寡黙なサムライを演じた福本清三や思いっきり勝新な中尾(菅田俊)ら日本の俳優陣が素晴らしい演技でトム様と渡辺謙を下支えする。CG全盛時代の現代において、あえて生身の人間同士を対峙させた戦の場面の素晴らしさ。榴弾砲や回転式機関銃ガトリング砲さえも備える政府軍に対し、戦国時代から300年ほとんど進化の見られない装備で玉砕覚悟で武士道の精神を塗した愚かな展開は決して映画的な美談に留まらない。日本軍がアメリカの地で玉砕した先の大戦の記憶をも暗喩しているように思えてならない。なお、『ジャック・リーチャー』の試写会には今作で幼い飛源を演じた池松壮亮がトム・クルーズとエドワード・ズウィックの祝福に駆け付けた。当時まだ中学生だった池松の成長した姿に、トム様は目を丸くし喜んでいたのが印象的だった。

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