【第540回】『ピンク・キャデラック』(バディ・ヴァン・ホーン/1989)
片田舎に立つマーケット、鳴り続ける電話のベル、無法者の男はゆっくりと受話器に耳を傾ける。そこに届いたのはカントリー専門のラジオ局KZTSのDJクレイジー・カールからの当選の声。カントリー歌手なら誰が好き?との問いに無法者は迷いなく「ロイ・エイカフ」と答えると、あなたにドリー・パターンとのデート権が当たったという。満更でもない様子の無法者に、畳み掛けるように告げた6時に大きな車で迎えに行きますの言葉。彼は保釈金を踏み倒して逃亡した無法者たちを取り締まり、カリフォルニア州のサクラメントにある裁判所に送り届ける凄腕の追跡屋トム・ノワック(クリント・イーストウッド)。まるで西部劇の賞金稼ぎのように、ある時はDJ、ある時はカウボーイ場のピエロに扮し、厄介な無法者たちを裁判所に強制送還していく。その鮮やかな手口が素晴らしい。ノワックが次に友人のバディ(ジェリー・バンマン)から依頼されたのは、保釈金を踏み倒して逃亡した人妻ルー・アン・マッギン(バーナデット・ピーターズ)の追跡。やり甲斐のない仕事だと一度は首を横に振るが、断りきれずに男は人妻ルー・アンを追って、リノの街角で捜索活動を始める。
マイケル・チミノ、ジェームズ・ファーゴに続く3番弟子であり、長年イーストウッド組でスタントマンとして体を張ってきたバディ・ヴァン・ホーンの最後の監督作。『ダーティファイター/燃えよ鉄拳』、『ダーティハリー5』の大ヒットの余勢を買い、クリント・イーストウッドの人物造形はこれまで以上にライトな砕けた印象が、今のシリアスなイーストウッドしか知らない層には新鮮に映るかもしれない。早撃ちガンマンでも刑事でも無いトム・ノワックはもはやダーティでも何でもないが 笑、恋に不器用だった西部の男『ダーティ・ファイター』シリーズのファイロ・ベドーの発展系と言える。ファム・ファタールのような綺麗で気の強い女に強引に迫られたら嫌と言えず、情にほだされ、危険な仕事を買って出る。今作では夫であるロイ(ティモシー・カーハート)に愛想を尽かし、女は家族3人で住む貧乏なトレーラーハウスから、夫のピンク・キャディラック(クーペデビル コンバーチブル)に乗り、逃亡を図る。このピンク色に光る巨大な車が、男性器のメタファーであることは想像に難くない。人妻ルー・アンは悪の組織に染まってしまった若い亭主を見限り、巨大な男性器の暗喩を持ち歩きながら、姉夫婦の勧めでネバダ州にあるカジノの街リノへ繰り出す。ここで老いぼれた1人の男に命を助けられる。ヒロインは夫への喪失感からたった1人の逃避行を試み、その過程で1人の老いぼれた男に出会う。そうなればロマンスの行方は一つしかない。
歳の離れた若い男の逃避行は『サンダーボルト』や『アウトロー』でも何度も試みられてきたし、実の息子との魂のロード・ムーヴィーとなった『センチメンタル・アドベンチャー』など、2人きりの逃避行はイーストウッドにとって繰り返し用いられた重要なモチーフである。その中でも今作に肌触りが最も近いのは、証人護送を命じられた刑事が罠にはまり、ソンドラ・ロックと逃避行を続けた『ガントレット』だろう。ただ『ダーティファイター/燃えよ鉄拳』のバイカー集団、『ダーティハリー5』のB級ホラー映画監督を模した単なる統合失調症の男など、バディ・ヴァン・ホーンの映画はいつも敵役がびっくりするくらい弱く、イーストウッドに見られるような持続的サスペンスの緊張感がない。今作ではカルト的人種差別集団の「純血団」なる組織が、ルー・アンの夫ロイを仲間に加え、数億円の大金を狙ってノワックとルー・アンをひたすら付け狙うのだが、あまりにも前時代的に映る。ルー・アンの保釈金裁判を裁く判事が、『アルカトラズからの脱出』のイングリッシュだったり、裏社会に通じた偽造業者の男リッキーZが『ダーティファイター』シリーズのオーヴィル役で知られるジェフリー・ルイス(ジュリエット・ルイスの父親!!)だったり、イーストウッド組の懐かしの常連俳優たちが次々と顔を出す展開には、同窓会的な楽しさがある。ガン・アクションやラストのカー・チェイスはいささか寂しい気もするが、もはや『ダーティ・ハリー』シリーズのハリー・キャラハンを脱ぎ捨て、老いを迎えたイーストウッドにとってはこの適度な塩梅こそ相応しかったのである。
89年と言えばソ連のペレストロイカ、ドイツのベルリンの壁崩壊を経て、冷戦構造が急速に終結に向かった、アメリカの世界戦略の転換点でもある。イーストウッドが『ファイヤーフォックス』で描いた米ソの緊張感は急速に緩み、平和に向かう中で、イーストウッドとバディ・ヴァン・ホーンは「よそ者から白人の権利を取り戻す」という理念を掲げる急激に右傾化したカルト集団を「純血団」の思想に当てはめている。それから27年余りが経過し、現在ではドナルド・トランプが「純血団」と同じく「よそ者から白人の権利を取り戻す」と息巻いて、アメリカ全土の支持を集めているのは何の皮肉だろうか?アメリカは同じ間違いを再び繰り返そうとしている。余談だが、今作でルー・アンの姉を演じたダイナ(フランシス・フィッシャー)はソンドラ・ロックと別れた後のイーストウッドを支え、翌年に結婚。1993年にイーストウッドとの間に娘フランセスカをもうけている。この母娘とイーストウッドとの共演は、『トゥルー・クライム』まで待たねばならない。
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