【第512回】『アウトロー』(クリント・イーストウッド/1976)
南北戦争の末期、ミズーリ州の田舎にあるのどかな農村地帯。農夫ジョージー・ウェールズ(クリント・イーストウッド)は息子(カイル・イーストウッド)に畑の耕し方を教えている。馬が鍬を引く姿、その耕した土に父親は等間隔で種を蒔いていく。やがて100mほど離れたところから、「お風呂沸いたわよ」と息子を呼ぶ母親の大きな声。ウェールズは少し微笑みながら、息子を家に帰らせる。典型的な田舎の農夫の幸せな家庭生活。そのかけがえない日々が無残にも音を立てて崩れていく。まるで『奴らを高く吊るせ!』の冒頭部分のように、馬の蹄のけたたましい音が辺りに鳴り響き、後ろを振り返ったウェールズは家のあたりに立ち込める灰色の煙を目にすることになる。ここでは『奴らを高く吊るせ!』の時のように、不安は目には見えない。馬の蹄の音が聴覚に訴え、次に家の付近から立ち上る灰色の煙が視覚に訴え、最後にウェールズが惨劇の現場を目撃することになる。ウェールズが目撃するのは、焼かれたマイホーム、妻の悲鳴、息子の絶叫。彼は必死に家族を助け出そうとするが、北軍と手を組んだならず者集団“レッド・レッグス”の手により、顔に瀕死の重傷を負うことになる。そこから画面は暗転し、すっかり焼け落ちたマイホーム、土に埋められた十字架が映し出される。麻袋からこぼれた息子の手という1つのショットだけで、観客に全てを明らかにするイーストウッドの天賦の才能。やがて南北戦争は終結し、ブラッディ・ビルのゲリラ部隊で銃の腕を買われ、エースにまで上り詰めた男は、リーダー格のフレッチャー(ジョン・ヴァーノン)の説得により、北軍に降伏し、代わりに無罪放免を手にいれる誘いを求められるが、ただ一人ウェールズだけはその申し出を断る。妙な胸騒ぎを覚えながらことの次第を見つめていたウェールズの眼前で悲劇は起こる。
皆殺しにされる戦友の中から、ウェールズは半人前のジェイミー(サム・ボトムズ)を救い出し逃げる。この2人の逃走劇にマイケル・チミノの『サンダーボルト』のサンダーボルトとライトフットとの関係性を思い出さずにはいられない。ジェイミーの背中に命中した銃弾は、僅かに心臓を逸れたものの、このままではいつ死ぬかわからない。父親に編んでもらった上着の刺繍を恥じつつ、ジェイミーは人生の師の絶体絶命を救い、死に絶える。ここには70年代初頭から繰り返し描いてきた若者の死が反復される。渡し舟の主人が北軍が来たら『リパプリック賛歌』を、南軍が来たと思えば『オー・ディキシー』を歌うような、広く空気を読むことが求められた南北戦争の時代の中で、ジェイミーは南軍を信じ真っ直ぐに生きた。そんなジェイミーが若過ぎる非業の死を遂げる。この若者の死と入れ子構造のように、今度はチェロキー・インディアンの老人ローン・ワイティ(チーフ・ダン・ジョージ)が現れる。彼は聖霊の声に耳を傾け、ウェールズを正しい方向へと導いて行く。ここから物語は枝分かれ状に次々にマイノリティたちを仲間にしていく。もともとはナバホ族の少女だったが、いかがわしい交易所でこき使われ、何度も輪姦されたことがもとで、シャイアンに鼻を切られ追放されたリトル・ムーンライト(ジェラルディン・キームス)、彼女の愛犬ボーンまでもがウェールズについてくるが、彼は気に留めることもない。ここにもイーストウッドらしいマイノリティへの愛情が香る。やがてテキサスに向かう道中、幌馬車を襲われた口達者な老婆セイラとその孫娘ローラ・リー(ソンドラ・ロック)を助けることになり、マイノリティ集団を従えたウェールズは女と老人さえも従えながら、追っ手を巻いてテキサスへと向かう。この疑似家族での長距離移動の主題は、続く現代劇『ブロンコ・ビリー』や『センチメンタル・アドベンチャー』の源流として位置づけられるのは云うまでもない。
当初、今作の監督には脚本も書いた『ミネソタ大強盗団』のフィリップ・カウフマンが決定していたが、紆余曲折の末、イーストウッド自身がメガホンを取った。原題にもなっているOutlaw=無法者がイーストウッド生涯のテーマである「法と正義の行使の不一致」と深くリンクするのはもちろんのこと、瀕死の重傷を負った男の復讐劇、マイノリティへの視点など幾つもの主題が、緊密に結びつき、西部劇に新たな息吹を添える。噛みタバコで黒く染まったイーストウッドの唾、馬の首を無理矢理押さえ付け、地面に伏せさせる異様さ、先住民族との友情も白人至上主義に疑念に抱き続けるイーストウッドらしい。前半部分、北軍への降伏をフレッチャーたちに迫られた時、イーストウッドはこれまでの彼に与えられたキャラクター同様に、孤高の一匹狼であろうとする。しかし妻と息子を失い、ブラッディ・ビルのゲリラ部隊を失い、ジェイミーをも失ってからの彼の決断は、実際の家族の崩壊〜疑似家族の誕生というまったく新しい領域へと踏み出していく。ここで出会ったセイラの孫娘ローラ・リーがソンドラ・ロックというのも実に感慨深い。彼女は最初、性に飢えた男たちの格好の的となり、幌馬車から地面に叩きつけられた後、柔らかい乳房と白い臀部を太陽にさらしながら、男たちの欲望を突っぱねるように絶叫する。イーストウッドにとって、運命のあばずれ女となったソンドラ・ロックとは、続く『ガントレット』でも暴走族の欲望に悲鳴を上げ、『ダーティ・ハリー4』では男たちに強姦されたトラウマを抱えるヒロインを好演している。このイーストウッドの異様なまでの輪姦を想起させる場面の反復こそが、『恐怖のメロディ』を処女作としたイーストウッドの性的嗜好を露わにする。『荒野のストレンジャー』や『ペイルライダー』のように、今作を挟む2本の西部劇がどこからともなく現れ、どこかへ消えていく亡霊のようなヒーロー像を造形していたとすれば、今作のウェールズはそれとは対照的に生き延びることを自らの倫理としている。『荒野のストレンジャー』ではあざ笑う材料にしか過ぎなかった連帯の主題を、ここでは『荒野のストレンジャー』以上に非力な集団に知識と哲学を教え込む。この弱者やマイノリティへの助言の主題が後年、『ミリオンダラー・ベイビー』や『グラン・トリノ』に結実するのは云うまでもない。
#クリントイーストウッド #ジョンヴァーノン #サムボトムズ #チーフダンジョージ #ジェラルディンキームス #ソンドラロック #フィリップカウフマン #アウトロー