【第584回】『インビクタス/負けざる者たち』(クリント・イーストウッド/2009)
1990年2月の南アフリカ、道を挟んで隣同士に立つコートにはそれぞれフェンスと有刺鉄線が張り巡らされ、両者の交流を断絶していた。一方では白人たちがラグビーを、もう一方では黒人たちがサッカーを楽しむ中、仰々しい車列に護衛された黄色い護送車が通りの向こうからやって来ると、黒人たちはサッカーを中断し、シュプレヒコールを送る。「何事ですか?」という白人の問いかけに対し、ラグビー側のコーチは「テロリストが釈放されたんだよ」と苦々しい表情で答える。ネルソン・マンデラはアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞した第8代南アフリカ大統領である。南アフリカ初の全人種参加選挙を経て、大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。反アパルトヘイトの闘士として、武闘派路線へ転向し、ウムコントゥ・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を率いたリーダーは63年に逮捕され、反逆罪により27年もの投獄を命ぜられる。図らずも1990年2月のこの日、マンデラが長きに渡る不在から、再び南アフリカの表舞台に姿を現す。画面がスタンダード・サイズに変わり、マンデラの生い立ちが短いショットの連続で開示された後、再び画面はシネスコ・サイズに戻される。大統領就任初日の朝、ゆっくりと起き、シーツを丁寧に直したネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は、まだ陽も出ないうちからジョギングへと繰り出す。門の外には彼の到着を待つ護衛のジェイソン・シャバララ(トニー・キゴロギ)ともう1人の姿。護衛が黒人だらけだとイメージを損なうと判断したマンデラは、英国特殊部隊SAS上がりの屈強な白人4名を加え、護衛チームを組織する。
大統領の側近であるジェイソン・シャバララは当初、白人と黒人の混合チームに苛立ちを隠さない。1948年に制定されたアパルトヘイトにより、白人と黒人居住区とは厳密に区切られ、黒人は一方的に選挙権を剥奪された。黒人は白人に奴隷のように扱われ、黒人は往々にして白人が経営する農園や工場で働き、白人鉱業労働者は黒人の21倍もの富を得た。信じられない話だが、レストラン、ホテル、列車、バス、公園に映画館、公衆トイレまで公共施設はすべて、白人用とそれ以外とに区別され、行き来した者は厳しく罰せられた。恋愛は雑婚禁止法と背徳法により禁じられた。導入部分のフェンスと有刺鉄線の厳格な区分けは、アパルトヘイトの爪痕を確かに残す。80年代に入ると、黒人たちのアパルトヘイト撤廃への動きが各地で起きた。また国外でも国連が非難決議を採択するなど、前時代的な差別思想の撤廃が求められる中、第7代大統領フレデリック・ウィレム・デクラークはANCやPAC、南ア共産党を合法化し、ネルソン・マンデラを釈放せざるを得なくなる。初めての黒人大統領への反発は、就任早々、白人たちのボイコットで幕を開ける。国際的なメディア戦略に長けたマンデラは、黒人4人だけだった護衛に対し、黒人同等の4人の白人をチームに加える。護衛たちの姿から、マンデラの様子を見つめる手法は、ウォルフガング・ペーターゼンの『ザ・シークレット・サービス』を彷彿とさせる。彼らはプロフェッショナルとして、ラグビー観戦に現れた大統領の護衛にあたる。数万もの人々の熱狂と声援の中、不審な動きをする者に注意を払う様子はサスペンスフルな魅力に溢れているが、今作のベクトルはそこにはない。
マンデラが護衛チームの刷新と共に熱を入れたのは、南アフリカのラグビー・チーム「スプリングボクス」の再建に他ならない。富裕層のスポーツというイメージのあったラグビーは、長年アパルトヘイトの申し子と呼ばれ、優秀な黒人を育てらなかった90年代の代表チームには、黒人がチェスター・ウィリアムズただ1人しかいなかった。マンデラはチーム・リーダーであるフランソワ・ピナール(マット・デイモン)に、弱小だったチームの再建を託す。彼の家族は当初、両親だけでなく、妻(ペニー・ダウニー)までもが筋金入りの黒人差別主義者だった。マンデラ就任直後、父親はTVモニターを眺めながら。苦々しい表情でフランソワの将来を案じる。比較的裕福な家庭には、お手伝いとして黒人の家政婦が雇われている。アメリカの戦前に近い典型的な差別構造をイーストウッドは見逃さない。年上の男の若者への教育(イニシエーション)の主題はこれまでもイーストウッドのフィルモグラフィにおいて、何度も反復された。今作でもマンデラは27年に及んだ投獄生活の経験から、フランソワのリーダーシップに閃きと勇気を与えていく。フランソワがマンデラが投獄されていた独房の中に入り、当時のマンデラの様子がオーバーラップする。マンデラとフランソワは本質の部分で同化し、弱かったチームを革命の意思を背負った歴史的チームに刷新してゆく。今作はマンデラと親しいモーガン・フリーマンが原作権を買い取り、『許されざる者』と『ミリオンダラー・ベイビー』で共演を果たした盟友クリント・イーストウッドに監督オファーが届く。イーストウッドは盟友からの誘いを二つ返事で引き受け、『グラン・トリノ』と並ぶ究極的な平等主義者の物語を紡いだ。
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