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夏空と鳥の青さは、すこし似ている

幸福と呼ばれるほとんどの事柄は相対的だと思う。
生きることに、その命のしくみに嫌気が差すほどに。

水底に棲まう僕から見上げると、誰かにとっての幸福は水面を揺らし、景色を歪めるだけのものである事が多い。大抵は劣等感まで揺さぶられてしまう。

……同じ水底の住人に劣等感を揺らされる事も多い。
頻度こそ少ないが、距離が近いそのぶん。抱くコンプレックスも。受ける余波も。とてつもなく大きい。逃れようにも彼らは隣人だ。近所付き合いだってある。まあ…傷を舐め合うくらいだけれど。

話がそれてしまった。


……なら、人生における絶対的な幸せを探そう。
そう思った16歳の僕は見つけた。
死とドパミン。これが僕にとっての青い鳥だ。
そんな思考に酔いつぶれた。酒にも酔って、薬に溺れた。
そんな16歳の結論から未だに抜け出せていないと強く感じる。

そういう日々をただ見送って過ごす毎日。積もるのはむなしさと埃くらい。
けれど生々しいほどに、手の中の鳥は衰弱していく。

でも、僕が死ぬまで死んではくれないらしい。

幸福はそういうものなのかもしれない。

空がやけに青い。
また夏が来た。


......初めて学級崩壊を目撃したのは小学四年の頃だった。
主な原因は担任教諭の挙動不審さと、その容姿にあったように思う。
彼は、授業の中で緊張したり怒ったりする場面があると声がうわずってしまう。
叱るべき場面ではかなり酷くどもってしまう。けれど然るべき怒りを、然るべき言葉で最後まで伝える。
そういう先生だった。

あまり教師に向いているとは言い難い繊細さの持ち主。でもそれ故なのだろうか。生徒が何かを相談すれば、それがどんなに矮小にみえる悩みでも。満面の笑みでとても親身になってくれていたのを覚えている。

外面こそ『理想の教師像』からかけ離れていたものの。
精神の形そのものは、これ以上ない程に理想的だったのではと思う。

とはいえ、虐待を受けていた僕はといえば。
なんの相談もしなかったし、できなかったのだけれど。 

......親の問題点を指摘できる子供なんて、ほとんど居ないだろう。
たとえ機能不全家族だろうが、子供にとってのそれは世界のほとんどすべてだ。家の中が世界そのものなのだ、と認識しても何もおかしくはない。
何度殴られようと軟禁されようと。それらの理由が馬鹿馬鹿しいほど深刻な不条理さを伴っていても。

言えるはずもない。

セカイそのもの、あるいはその創造主にも等しい存在が『間違えている』だなんて。
自分の世界の不具合なんて誰だって認めたくはないだろう。気づきたくもないだろう。子供に限った話でもない。
多分その問題への正答例は視野、つまり世界を広げてしまうことなのだ。が……僕がそれに気づかされた14歳の頃には、もう手の施しようがない程に僕の世界観は凝り固まっていた。

狭まったままの視野は、それ以上広がりそうにもなかった。

こんな風に『変われない』と妄信すること自体が、凝り固まって狭まっているのかもしれない。

そういうアダルト・チルドレンの問題点はきっと、歪なままある意味で完成してしまうことにあるのだろう。そのゴールテープをきった先には、生きづらさというムダに重たいトロフィーを抱えた自分がいるだけだ。


ずいぶん前置きが長くなってしまった。自分語りをする友人も居ないので読んでくれている方にはどうか許してほしい。


その心がイケメンな先生の容姿は、具体的には今で言うキモオタを絵に描いたような人だった。
満面の笑みを溢せば、それはやけにイヤラシい印象を与える。眼鏡の奥で笑む瞳はたとえるなら、某ご当地マスコットキャラクターの『まり○っこり』そっくりで。いつも酔っ払ったように顔も赤らんでいた。

……学級崩壊の原因は、どちらも彼の生まれつきのもので。そのどうしようもなさが当時の僕には強い絶望感を与えた。

発端は確か、相談に乗ってもらっていたクラスメイトの女の子。
「あの担任まじ変態。真剣に話してるのにニヤニヤ見てくんの。ほんとサイテー」「うわ、なにそれ」ガヤガヤ

その日から一瞬で、先生はクラスの悪役になった。その女の子がクラスの中心にいたせいもあるだろう。そして小学生男子にとって悪役を倒せるチャンスなど見逃せるはずもない。ましてや被害者が身近な女の子であれば、格好つけたくもなる。

先生がクラス全体から敵視されるのは自然な流れだった。
『ほんと気持ち悪い』『クソだよな』
そんなセリフが休み時間の度に飛び交う。
自尊心の育まれていなかった僕にとっては(完全に被害妄想なのだが)自分が言われているようでそれらの悪意にビクビクと肩を竦めていた。

その頃の教室には、信頼を置いているクラスメイトが三人ほど居た。友達百人みたいな人には少ないと思われるかもしれないが、むだに警戒心の強かった僕にとっては多い方だった。

A君は正義感が強く、スポーツ万能で人気者だった。
僕なんかの冗談にも屈託なく笑ってくれるやつだった。ぶっちゃけスクールカーストの頂点と底辺の関係ではあったが、二人だけで遊ぼうぜと放課後なんども家に誘われたりもした。(何度か遊んだのちにそれが父親に発覚。こっぴどく暴力を振るわれてから行けなくなってしまったが)

Bさんは精神的に成熟していた。小学生女子と男子なんてやけにいがみ合ったりしていた様に記憶しているが、彼女にそんなシーンは殆ど見られなかった。後で知ったが僕を学業成績でライバル視していたらしい。今ごろは大学生か。

Cさんも比較的大人な女の子だった。ただ、根暗な僕がいつも以上に根暗な表情をしているとくすぐってきたりと、まるで男友達のようなちょっかいをかけてくれたり、楽しそうに会話してくれた。彼女も自宅に遊びに誘ってくれたりしたがその誘いは大抵休日で。土日は父親が家に居て軟禁状態の僕が行けるはずもなく、断り続けるしかなかった。(おそるおそる直談判でも試みようかと少し思ったが、父には当時高校生の兄の恋路を踏みにじった前科があった為にやめておいた。内容はあんまりなので割愛)

登場人物の紹介が長くなってしまったが、これだけ書けるほど彼らの存在は僕にとって大きかった。けれどABCに僕は心理的に裏切られる事になる。端的に言えば、他のクラスメイトと一緒になって担任の悪口を言っていた。

賢い、ある意味当然の選択だと思う。いじめと同じで、同調しなければ自分が標的になるかもしれない。わざわざ逆風に身を投じることもない。ただA君に関しては明らかに自分から担任を罵倒していたが、スクールカーストの頂点ともなるとそういうのも役割の1つなのかも知れない。

まるで流行の最先端を走る様に。

そんなシーンを目撃した日から、信頼という言葉の味がわからなくなった気がする。冷静に見れば失望する事でもない。が、当時の僕は精神的に幼かった。……今でも幼いか。

結局、休み時間の度に僕は教室から逃げ出すことにした。
階段下のスペースで別クラスの知り合いとホッカイロでキャッチボールをして過ごした。
当の担任に見つかって怒られたが、それすらなんとなく嬉しかった。

この人はあれだけの悪意を受けとめながらも変わらずにいてくれるんだ、と身勝手に感動していた。

まるで無邪気な悪意や狂気は、狭い教室を伝播し加速する。
時間が経てばその熱はかなりのものになっていた。

気づけば、授業中だろうがなんだろうが。女子は休み時間と変わらずお喋りをして過ごし。男子は机の上に立って『センコー野糞!!センコー死ーね!!ダンダンダダダン』と爆笑しながら足を踏み鳴らしていた。

その頃から、学校に行ける回数は減っていった。先生ではなく、僕が。
授業が罵声で聞こえないからとか、そんな理由ではない。
悪意の飛び交う教室が息苦しいのは確かだが、我慢できない程ではない。

自分でもよくわからなかった。

ただ、平日の昼間に1人。自宅でぼんやり過ごしていると、先生の泣きだしそうな表情がしばしばフラッシュバックした。


……なんでこんな話を書こうと思ったんだっけ。
長文を書いているうちに忘れてしまった。
忘れてしまう程度のものなのだろう。
あるいは、忘れるべきだと脳が判断したのだろう。

めんどくさいのでそう判断する。


とりあえずは、いつも同じぬかるみに足をとられている。
そういうことを書きたかったんだとおもいます。

おわり。


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※絵はどちらも自作です。へたでもうしわけない。

※みんなのフォトギャラリーに上げておきますので、奇特な方は是非お使いくださいm(__)m

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