ぼくはママのヒーロー
当時、私は家に着替えを取りに寄るだけのような、ワーカホリックな毎日を送っていた。
新婚なのに、週末を含めほぼ出張。新幹線のなかでも必死にPCとにらめっこ。未熟な自分を成長させたい、と上司の無理難題に応えていた。
今思えば、パワハラやモラハラ、セクハラの類だったのだと思う。事あるごとに罵声を浴びせられていた。常識がないと笑われたし、結婚や妊娠のことなど、踏み込んだ話もされた。嫌だな…と思う気持ちはあった。しかし、期待を寄せてくれていることは確かで、それに応えることが社会人として、あるべき姿だと思っていた。
ある日、出張先で偶然予定が空いたため、たまには家で休もうと思い、飛行機の搭乗前に急いで上司に連絡。そのまま飛行機に飛び乗った。
飛行機から降りると、上司から着信。「急に休むだと!?こっちは働いてるんだぞ!!」と罵声が飛んできた。
その瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。
今までは、罵られて、恥ずかしさと怒りで頭がぼーとしても、素直に「はい」と答えていたのに。
私は何も言わずに、電話を切った。
あぁ、もうやめよう。何もかもやめよう。そう思った。
家に帰り、ほかの上司に泣きながら連絡。しばらく休ませてほしいと伝えた。
そのあとのことは、あまり記憶にない。おそらく、一日中テレビの前でぼーっとしていたか、天井を見つめたまま動かなかったのだろう。
とんでもないことをしでかしたのに、どこか晴れ晴れとしたような、フワフワとした不思議な気持ちだったことは覚えている。
それから2週間ほど経ち、現実を少しずつ受け入れられるようになってきたある日、お腹に赤ちゃんがいることがわかった。
心の病気にはならないと自信を持っていたが、妊娠によるホルモンバランスの乱れは、いとも簡単に心の安定を崩した。(それからというもの、このホルモンというものに振り回されて生きている自分を自覚するようになる。)
会社に事実を伝えることには恥ずかしさのようなものもあった。もう、このまま辞めてしまうしかないのでは、と思ったことも事実だ。
しかし、まだやりたいことがたくさんあったし、このまま辞めてしまっては、非難の目で見られる上司がかわいそうだと思った。彼は不器用ながらも、一生懸命に私を育てようとしてくれていたのだから。
結局、その後はひどい悪阻と切迫早産でほとんど働けず、その間に例の上司は他部署に異動となった。今でもモヤモヤとした気持ちは消えないが、引き続き同じ会社で働きながら、一度や二度つまづいても何とかなるもんだな、と実感している。そして、異動になった上司も、後味の悪い気持ちを味わっていなければよいなと願っている。
自分でない他の命がお腹に宿り、そのパワーによって自分が動かされる。そんなファンタジーのような不思議な体験であった。
頑張りすぎてしまう私を上司から引き離してくれた勇気にあふれた赤ちゃんは、やはりとんでもなくパワフルで、そして優しい心を持っている。
将来の夢は仮面ライダーだそうだ。きっと、もっと優しくて強い人になって、多くの人の力になるだろう。
そんな息子にパワーをもらいながら、これからは自分でもブレーキをかけられる生き方を身に着けていこうと思う。