「暮しの手帖」と「ほんとうのこと」
子どものころ、家にあった背の高いガラス戸の本棚には、ちっとも興味をそそらない、古くさく茶ばんだ難しそうな本がいっぱいあった。
背表紙を良く見ると、古事記だの万葉集だのの日本の古典と一緒に、ロシア文学が並んでいたりした。
それはどうやら、見栄っ張りな父が、自分でも読まないくせに本棚に挿していたものだったらしい。
ちょっと興味を持って開いてみても、古書店から買ってきたらしい本は文体が旧いせいもあって、どうしてもなじめなかった。
そんな本棚の一番下、廊下にはいつくばらないと見えない場所に、母の本があった。
クッキーの作り方の本だとか、少しばかりの料理本にまぎれて、「暮しの手帖」が収まっていた。
当時、まだ子どもだったわたしは、たぶん、留守番か何かでひとり家にいて暇をもてあまし、その本棚から「暮しの手帖」を引っ張り出して読んだのだと思う。
まだ、花森安治さんが現役の頃で、その独特の世界観とデザイン、そして記事の内容にとても引き込まれた。
「バター」ではなく「バタ」。
「いたしましょう」のように、文末までがやや古めかしくて丁寧な、記事の文体。
写真も印刷の線数が粗いもので、どことなく古い図鑑を見ているような氣持ちになった。
戦時中の回顧記事なども載っていて、それらを廊下に座り込んで何度となく読んでいるうちに、わたしはいつも、遠方ゆえに夏にしか会えないけれど、大好きだった祖母のことを思い出していた。
背が高くて切れ者の顔をした祖父と正反対の、小さくて可愛くて働き者の祖母。
祖母から、優しくゆっくりした口調で名前を呼ばれると、いつでもハッとした。
亡くして四半世紀以上が経つのに、未だにその声を覚えている。
誌面のなかでも、後年に「工程写真の撮影にはルールがある」と知った料理のページは、特に好きだった。
いわゆる「お惣菜」の作り方が事細かに載っているのが、いつも美味しいおばんざいを食べさせてくれた祖母を思い出したポイントだったのかもしれない。
わたしは小学生低学年にして、あの世界に夢中になった。
そして、母の本棚にあった雑誌だったから、「母もあの『暮しの手帖』の世界が好きなんだろう…」と思った。
実際、わたしはすごく好きだし、実は今でも読んでいる。
過去には「エプロンメモ」「すてきなあなたに」を単行本で読んでニヨニヨしている中学生だったし、なんとなく氣持ちを落ち着けたいときには、優しいあの文体にひたった。
成人してからは氣になった号だけ読んでいたけれど、「ご馳走の手帖」という別冊は、発行がなくなるまで長く愛読していた。
古い食器や家庭道具が好きで、渡米後でも買い集めて使っているのは、そうやって埋まった「種」が、芽吹いたからじゃないか…とすら思う。
わたしの太陽星座である水瓶座は「歴史を感じるものが好き」だそうなので、そこともバッチリ合ってしまったのかもしれない。
わたしが、ふとしたきっかけで、母にとっての「暮しの手帖」がどんなものであるのかを知ったのは、最近だ。
電話口、なにかのきっかけで母の口から「暮しの手帖」の話が出たときに、わたしが「今、お世話になっている人がアメリカまで贈ってくれて、今でも読んでるよ」と言ったら、母は露骨に機嫌が悪くなった。
そして「わたしはちっとも、面白いと思ったことはない」と言い放った。
ぇつ?
本棚にはいっぱい「暮しの手帖」があったよね?
中の数冊には、手擦れだってついてたよね??
廊下の本棚の一番下に、数十冊はあったよね???
なんで????
…事実はこうだったのだ。
わたしの同級生のとある家族と、わたしの一家は構成が似ていた。
お互いの家が近く、長女(姉)・長男(弟)という子どもの順番に加え、長女どうしは同級生で同じクラスで習い事が一緒、長男どうしは学年は違っていたけど学校は同じ。
家族でなんとなく仲良くなり、お互いの家を行き来するのには時間はかからなかった。
ただちょっと違っていたのは、向こうの家の子どもたちは出来がよく、勉強から複数の習い事もしっかりこなした上に活発で見栄えもよくて、それぞれの学年で目立つ子たちだった、ということだ。
自分の出来が悪かったとは思わないけれど、わたしも弟も、特に目立つ子どもではなかった。
ある日、酔っ払った父が向こうの家とわが家を比べて愚痴を言いだし、母に言い払ったのだそうだ。
「あんたの子育ては間違ってるよ。
向こうの家の奥さんは『暮しの手帖』を読んで、ちゃんと家に尽くしてるのに、あんたはなんだ?
だから子どもたちだって、ああなんだ。」
と。
父は、自分の思い通りにならない子どもたちに、腹を立てていたらしかった。それは父自身の問題でもあるのに。
夫婦間のこととはいえ、とんでもないハラスメントだが、父はそういう人だから、わたしとしてはそこに驚きはない。
が、すさまじい暴言を吐かれた母は、父への嫌味として「暮しの手帖」を買って家に置くようになった…とわたしに語った。
好きでもなんでもない雑誌を、嫌味として置いたのだ、と。
それにはさすがに驚いた。
まさか、そんな夫婦間の問題から家に来た「暮しの手帖」が、わたしの色んな好みやセンスの一部になっていたとは。
個人的には、頭の中がグルグルするくらいに衝撃だった。
そのあたりから父母の関係を色々と考えたりもしたけれど、考えたって答えが出る話ではないから、頭の隅に引っ掛けておくていどにした。
結構なビックリではあったけど、わたしは今も「暮しの手帖」が好きだ。
毎号を読んで「ぁ、これいいなぁ」と思った料理を作ってみたり、氣に入りの連載コラムを読んでニヨニヨしている。
「これは保存版」と思った号はまるごと保存してあるし、そうでないときは必要なページを保存している(これはわたしの「物を持つ」の考えに従ったもの)。
まぁ、嫌味であれ何であれ…。
買っておいてくれた母には感謝している。
わたしは、「暮しの手帖」を読んでいて楽しかったし、読んだことからいろいろを学べたと思うから。
最近、わたしに贈ってくれていた人とのご縁が切れてしまったので、たぶんそのうち、在米のわたしは読めなくなってしまうと思うけれど…(「暮しの手帖社」の書籍には電子版がない)。
贈り物がいつ来なくなるのかは、知らない。
だけど、いずれまた読めたらいいな、と思っている。