人は「閉じられた空間」を”居場所”と感じる(2/2)
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コミュニティは、必ずといって良いほど閉鎖性を帯びてしまいます。
今回は、この閉鎖性について書いた後、メンバーが”居場所”と感じるコミュニティについて書いてみます。
私たちが”居場所”と感じる心の正体は何か
noteのタイトル通り、私たちが”居場所”と感じるには、ある程度「閉じられていること」が必須条件となります。
なぜか?
それは、閉じられていることで心理的な仲間意識が芽生えるからです。仲間意識というのは、「その集団や仲間に対して抱いている愛着」のことで、この意識が強い人ほど、自分が損をしてもその組織のために何かしてあげたい!と思う気持ちが強くなります。
身近な例で言えば下記のとおりです。
【仕事】
「この件は、俺から先方に謝っておくよ。」
「その資料づくりは、私がやりますよ!」 など
【プライベート】
「じゃあ今度の飲み会は私が出欠確認するよ!」
「今度の結婚式の出し物、俺がムービー作るわ!」 など
こうした仲間意識というのは、集団や組織が小さくなる(=閉じられた集団である)ほど強くなっていきます。そして、自分の気持ちと同じくらい他のメンバーも仲間意識を抱いている(と感じる)ほど、その度合いは大きくなっていきます。
結果、仲間意識の度合が一定のラインを超えると、「居場所」と感じるようになります。(この一定ラインには、個人差があることも注意が必要です。)
簡単に図にあわらしたものがこちらです。
無論、安心感を感じる要因は、”場所”そのものもあります。
※興味がある方はコチラもどうぞ
では、「コミュニティは閉じれば閉じるほど良いか」と言われると決してそうではありません。実は仲間意識が芽生えすぎることも、コミュニティ運営をしていく上では問題なんです。
コミュニティが持続するには、「適度に人が入れ替わること」
私はこれまで多くのコミュニティと関わりをもってきましたが、長く続いているコミュニティには、共通していることがあります。それは、コミュニティのメンバーが定期的に入れ替わっている、ということです。
例を挙げると、私の地元である大分県のある地域には、毎週水曜日にみんなで集まって運動をする「すみれ会」というものがあります。このコミュニティは、地元の高齢者を中心に作られているのですが、なんと10年以上も会が続いています。しかも会費を設定し、運営をしています。
興味があり、見学に行ったことがあるのですが、その時に長年すみれ会に加入している80代のおばあちゃんが大変興味深いお話をしてくれました。
「ずーっとメンバーが同じやと面白くないんよ。話すことも決まってくるからね。だからたまに新しい人が入ってきてくれた方が会の雰囲気も変わるから楽しいね。まあ話してみたら結局、知り合いの妹さんやったとか、知り合いのことが多いんやけど。」
このおばあちゃんが言う通り、メンバーが固定化されると話の内容に偏りが生じてきます。その結果、コミュニティのマンネリ化がおこってしまい、コミュニティとしての魅力が半減してしまいます。メンバーが辞めたり、新たなメンバーが加入したりと、定期的に人の循環が行われることによって、コミュニティとしての魅力を持続することができます。
※この「すみれ会」はコミュニティ的にも非常に面白かったので、また今度書きます。
以上のようにコミュニティを持続していくには、メンバーが定期的に入れ替わっていくことが重要となります。しかし、仲間意識が過度に高くなってしまうと、こうした人の入れ替えが起こりにくくなってしまいます。なぜなら、仲間意識が高くなることと比例して、新しいメンバーのことを排他的・差別的に見てしまう「のけ者意識」も高くなってしまうからです。
のけ者意識が高くなってしまうと、新しいメンバーが加入しにくくなってしまいます。その結果、コミュニティ内のメンバーが固定化され、コミュニティのマンネリ化が生まれてしまいます。
仲間意識が高くなりすぎる、という事はコミュニティ的にも良くないんですね。
まとめ
これまでのお話をまとめると下記のとおりになります。
・コミュニティに閉鎖性は必要
・「居場所」と感じる心の正体は仲間意識
・仲間意識が芽生えるコミュニティづくりが必要
・持続したコミュニティをつくるには、コミュニティ内のメンバーが定期的に入れ替わること
・仲間意識が芽生えるほど、のけ者意識も芽生える
・仲間意識の芽生えすぎにも注意
コミュニティに閉鎖性は必要なものです。閉じられていることで、コミュニティのメンバーは仲間意識を抱き、そのコミュニティに対して愛着を持ちやすくなります。しかし、仲間意識が強すぎると、新しい人が加入しにくくなってしまい、結果としてコミュニティのマンネリ化が起こってしまいます。
ですので、新しくコミュニティを作る人は、いかにして仲間意識をつくっていくか、ということを気にかけつつも、仲間意識を作りすぎてしまわないことも考えておかなければなりません。
という事で、コミュニティと閉鎖性のお話でした。
もう少し書きたいことがあるのですが、あまりに長くなってもしょうがないので、また次回書いてみます。