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時代を超えて「カッコいい」と評価されるには
平野啓一郎さんが、新書『「カッコいい」とは何か』を上梓された。まだ読めてはいないのだけれど、それについて書かれていた佐渡島庸平さんのnoteが興味深かったのでレビューしておく。
佐渡島さんは平野さんが上記のタイトルに至った経緯を以下のように書いている。
ゼロからプラスへと、人を高みへと持っていくものとは何かを考えたときに、平野さんは、はじめ『憧れ論』というものを書こうとしていた。
人は何かに憧れることによって、もっと先に行こうと思って努力ができる。だから、憧れとは何かを解き明かしたいと。憧れについて思考を深めていくなかで、「カッコいい」と思うから憧れるということがわかってきた。
なるほど「カッコいい」から憧れるのだと。確かにそうだ。
ディズニーランドで「アナと雪の女王」のアナに扮した女の子が多いのも、みんながスティーブ・ジョブズのプレゼンをこぞってマネをするのも、「カッコいい」、「かわいい」を土台に「憧れ」の存在に近づこうとしているからなのかもしれない。
しかし個人的には、突発的に出現した「カッコいい」には余計なものがついていると感じている。それはキャラクター性だ。
佐渡島さんはナチスのデザインについて以下のように書いている。
今でもアートの世界でナチスのデザインが使われたりするのは、そこに思想的な共鳴があるのではなく、カッコいいデザインが時代を超えて生き残っているからだ。
無論、現代において思想的な共鳴はないのだろうけれど、当時あれほどの人気を博してしまったのには、「(あのヒトラーが使う)ナチスのデザイン」というヒトラーのキャラクター性があったからに他ならない。
これがヒトラーではなく、田舎の農家のおじさんが突如このデザインを使いだしたとしても、あそこまで広がることはなかっただろう。
ヒトラーは、自身のキャラクター性をもって、ナチスのデザインがこの時代に「生きている」ことを国民に知らしめたのだ。言い換えれば、そのデザインが「カッコいい」かどうかを評価する機会を多くの国民に与えたのである。
一方で、国民に広く知れ渡るためにキャラクター性は必要だけれど、いつまでもキャラクター性がくっついていると、人は「カッコいい」かどうか正しく評価できなくなってしまう。
例えば、以前テレビでファッション業界の人が「来年は、ノースリーブGジャンを流行らせようと考えていたけれど、お笑い芸人のスギちゃんが人気になったことで流行を変えざるを得なくなった」と言っていた。
アイテムそのものがcoolなものだとしても、いつまでもキャラクターを象徴するアイテムに留まってしまうと、そのキャラクター性に引っ張られ、「ダサい」となってしまうのだ。
スギちゃん自身は「流行を変える男。ワイルドだろうぉ~」と笑っていたけれど。
ダラダラと書いてしまったが、簡単にまとめると、時代を超えて「カッコいい」と評価されるポイントは
時代を超えて「カッコいい」と評価されるには
・デザインそのものがcoolであること。
・インフルエンサ―によって広く国民に知らしめること。
・時期が来たら、インフルエンサ―の手から放すこと。
だと思う。
当然、所属するコミュニティ、また時代によって「カッコいい」の判断基準は大きく左右される。そのため最初に広めるべきコミュニティは、慎重に判断しなければならないけれど。
ぼんやりとそんなことを考えながら、今日も活字を読んでいます。
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