【アート#004】ライバル | ルネサンスのリベラルアーツ
やあ!コミュリーマンです!
「何者だ!?」
と、お感じになる方がほとんどかと思いますので、気になる方については自己紹介目的の以下3つの無料記事にお目通しいただければ幸いです^^
#001【はじめまして】コミュニケーションが苦手でも大丈夫!自分に合ったコミュニケーションと出会う場所
#002【わがままに生きたっていいじゃない】わがままに生きるってどういうこと? |コミュリーマンが考える新しいわがままの定義
#003【失業者にはなりたくない】デジタル・AI革命時代に向けての「逃走者」ってなに? |コミュリーマンが考える「失業者」ではなく「逃走者」になる方法
サムネイル
お馴染みSDO(Stable Diffusion Online)に、「ドゥッチョ」の傑作をテーマにして、ちょっと複雑なプロンプトを組んでみました。どうやらSDOさんもドゥッチョというと聖母のイメージが強くおありのようでしたよ^^
「シリーズ、アート」
このシリーズの経緯については以下の記事冒頭にサマって(サマリー=簡単にまとめる)おります、どうぞご参考くださいませ^^
ジョットを書いたらねえ、書かないわけにはいきません。
ドゥッチョまでお書きしてから、本格的にルネサンスに進みます。
本記事ではジョットのライバルとして名高いドゥッチョについて、一緒に学んでいきましょう^^(本当に、今この記事を書き始めた2023年6月28日AM4:30時点では、ほぼ知識ゼロです)
今回も情報ソースは比較的信頼に足るであろう英語版Wikipedia&moreです!
その前に
私はそもそも「アートの学び直し」を目的にしてこの「シリーズ、アート」の連載を開始いたしました。特段の強い想いはなく「アートと言えばルネサンス!」とうだけの理由です。そのルネサンスの舞台は「フィレンツェ」です。しかし、ドゥッチョの活躍の場は「シエナ」です。これは、フィレンツェの学び直しが目的ではなく、アートの学び直しが目的であるから、ジョットのライバルと目されるドゥッチョについても取り上げようと考えたからです。そして、ジョットの記事も本ドゥッチョの記事も、後のルネサンス作品に強く影響を与えていることは間違いないからこそ本記事執筆に着手している次第です。
ドゥッチョ~永遠のライバル
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(1255年頃-1318年または1319 年) はイタリアの画家で、伝統的にシエナ派の最初の巨匠と呼ばれている。
✅コミュ:おお!シエナ最初の巨匠、かっこいいですね!ちなみにライバルのジョットはフィレンツェ学派の創始者とみなされているようです。
ドゥッチョの活動の最初のうち数年間は、ほぼ間違いなくはチマブーエが教師であった。チマブーエに関するかなりの知識を有しており、それにゴシック様式で個人的な手直しを加えた。
✅コミュ:へえ!ジョットと兄弟弟子の関係にあったのでしょうか?更に学んでいきましょう!
時間が経つにつれて、ドゥッチョのスタイルはより自然さと柔らかさを実現するようになる。1つまたは少数の光源に応じた明暗法、人物やカーテンのボリュームなど、ジョットによって数多くの革新的な技法が編み出された。彼の傑作であるシエナ大聖堂の威厳は、イタリア14 世紀芸術の象徴的な作品である。
✅コミュ:見てみたいですね!作品については後述いたします^^
生い立ちと初期のキャリア
ドゥッチョの生い立ちについて、実ははっきりしていない。彼に関する最初の文書は1278年に遡り、会計帳簿の表紙と、シエナ市からの文書を入れることを目的とした12個の塗装ケースの支払いについて言及されているが、これらの作品は現在では失われてしまっている。
✅コミュ:なるほど。
私たちの時代に伝わるドゥッチョの最初の作品は、現在イタリアはトリノのサバウダ美術館に所蔵されている、いわゆるマドンナ・グアリーノである。
✅コミュ:おお、小さいおっさんに目がいきますね。そういえばY世代な私の2010年頃の記憶で恐縮ですが、小さいおっさんというオカルト的な都市伝説が流行りましたね。あ、お笑い芸人の松本人志氏も昔「見た」と言っていたな。皆さんもよければ調べてみてください。(ほんとぶっとばされろ)
この作品は1280~1283 年頃に描かれ、チマブエのスタイルと非常によく似たスタイルを示していると指摘されている。長い間ドゥッチョではないとされてきたほどだ。しかし、ドゥッチョによるこの最初の初期の作品には、すでにチマブエと比較して新しい要素が含まれている。それは、フィレンツェのレパートリーに属さない色(子供のドレスのピンク、聖母のドレスのワインレッドなど)につながる色彩の豊かさである。
✅コミュ:このあたりもチマブーエに師事していたことの証左になりそうですし、それをドゥッチョ独自の革新的技術によってイノベートしたかもしれませんね^^
もう一作品、長らくの間チマブーエ作品と考えられてきたのが以下の「マドンナ・ルチェライ」である。
この作品の特徴的な点として、胸から足まで複雑なラインを描く聖母マリアのドレスの奇抜な金色の裾、木製の玉座のゴシック式の方立と三重のランセット窓、聖母マリアのマントなど、ゴシック起源の装飾モチーフが作品の特徴となっている。マリアはもはやビザンチンの暗号に「浸されている」のではなく、柔らかく垂れ下がるひだによって柔らかくなっている。何よりも、これらのゴシック様式の要素は、依然としてビザンチンの伝統に固執し続ける 巨匠チマブーエからのさらなる離脱を示している。
✅コミュ:こうやってシエナ最初の巨匠としての名を馳せていくとととなったのでしょう。
傑作
ルネサンス以前のイタリア美術の最も重要な絵画の 1 つとして名高い、シエナ大聖堂の多翼祭壇画「マエスタ」をご紹介する。
シエナ大聖堂の主祭壇用に制作されたこの作品「マエスタ」については、1308年-1311年にかけてつくられたとされている。マエスタはドゥッチョの最高傑作であると同時に、イタリア芸術の最も象徴的な作品の 1 つである。この作品は1311年6月に完成を見たが、完成前から高い名声を誇っていたとされる。
✅コミュ:これだけ威厳のある作品ですもの、一人でも多くの人が見たがったのではないでしょうか^^しかしまあどのタイミングで「完成!」と言えるものなのでしょうね。
この作品には更に「裏面」がある。裏面は聖職者のビジョンを意図したもので、キリストの受難の 26 の物語が小さなパネルに分かれて表現されているのだ。
中央の名誉の場所は、より幅が広く高さが2倍の磔刑像と、エルサレムへの入場を備えた左下隅の二重パネルによって与えられている。ちなみにドゥッチョはさまざまなシーンで、ジョットの建築背景の「視点」に関して最新であることを証明したが、他のシーンでは、空間表現を自発的に逸脱して、映画のシーンのテーブルセットなど、興味のある細部を強調している。
✅コミュ:ちょっとよくわからないですよね?これは例えば、左下あたりに描かれている最後の晩餐の絵など、「天井に対して傾きすぎてね?」という描き方ですとか、あるいは 「むち打ち」におけるポンティウス・ピラトのジェスチャーのように、後ろに置かれた台座に足を置いているにもかかわらず、柱の前景に立っています。つまりドゥッチョは「絶対的な空間規則でシーンを過度に複雑にすることに興味がなかったようである。」という指摘なのです^^
この作品「マエスタ」では、ドゥッチョが登場人物の顔の写実性をすべて認識するとともに、ジョットの直接遠近法(もはやチマブーエの時代遅れの逆遠近法ではなく)に従って物事や人物を描く能力を獲得したことも示している。ローブにはボリュームのあるドレープがあり、明暗法は光源の起源に注意を払って表現されており、その傾向もジョットから受け継がれている。この作品は、玉座の大理石の象嵌から玉座自体の背面のドレープの素晴らしいファンタジー、天使の髪から聖人の装飾品に至るまで、細部と装飾の多さでも際立っている。フィレンツェの要素とドゥッチョの具象的リアリズムの融合により、細部への細心の注意がすべて装飾され、この作品はイタリア 14 世紀の傑作の 1 つとなっているのである。
ドゥッチョとジョット
チマブーエという師の流れを汲み、ドゥッチョは登場人物の多彩さに磨きをかけたようです。マントやカーテンの軽やかさや繊細さ、細部に至るまで鮮やかな色彩を駆使する技法の最初期を形成したのです。
一方ジョットは立体的な奥行きやリアルさ、三次元の描き方に革新をもたらしました。彼の描く絵によって、識字のできない多くの人々にキリスト教が広く伝わっていったというのは前回の記事にてお示しした通りです。
同じ時代、異なる土地にてこの2名の天才は競い合っていたのか否か、本記事はあくまでも学び直しの入り口であるためこれ以上の深堀はいたしませんが、一人でも多くの「リカレント」の入り口になっていただけると嬉しく思います^^
最後に
今日中にもう一記事上げたい!
それでは、また次回です。
コミュ力上げて、モチベを上げよう!
それが、本当になりたい自分になる第一歩です!
ありがとうございました!^^
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