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【アート#007】未来を見据えた革新的なビジョナリー|天才、ブルネレスキ

フィリッポ・ブルネレスキ(1377-1446)は、ルネサンス期イタリアの先駆的建築家であり、「ルネサンス最初の建築家」です。彼の名は、その革新的なアプローチと技術で、西洋建築史において重要な地位を占めています。

彼はフィレンツェで生まれ、金細工師の徒弟としてキャリアをスタートさせましたが、その技術的な才能と数学への強い関心が、彼を建築の世界へと導きました。

ブルネレスキは最もよく、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の巨大なドーム、通称「ドゥオーモ」の設計者として知られています。このドームの建設は、当時の建築技術の限界を超える挑戦であり、ブルネレスキは工学的な問題に対する革新的な解決策を導入しました。

彼の建築スタイルは、古典古代の原則、特に比例、幾何学、そして古典的なオーダーへの復帰に特徴付けられます。ブルネレスキは、空間、視点、光を操作することによって、建物の内外における調和と統一感を生み出しました。これは、サン・ロレンツォ聖堂[1]やピッティ宮殿のファサード[2]など、他の多くのプロジェクトにも見ることができます。

ブルネレスキの貢献は建築に留まらず、彼はまたパースペクティブの法則を体系的に研究[3]し、その結果をルネサンス期の画家たちが使用するための方法を開発しました。これによって、西洋美術における空間と形の表現が革命的に変化しました。

[1]ピッティ宮殿のファサードはブルネレスキの作品ではありません。ピッティ宮殿は、実際には15世紀後半にルカ・ピッティによって建てられ、バルトロメオ・アマンナティやジョルジョ・ヴァザーリなど他の建築家たちが拡張や改修を行いました。ブルネレスキの影響が取り入れられているという意味です。

[2]ファサードとは、建物の正面から観た外観のことを指しています。サン・ロレンツォ聖堂のファサードについては、実際には、サン・ロレンツォ聖堂の本堂はブルネレスキが設計しましたが、ファサードは未完成のまま残されています。16世紀にミケランジェロが新しいファサードの設計を依頼されましたが、これも実現していません。

[3]ブルネレスキがパースペクティブの法則を「体系的に研究した」という記述も、少し誤解を招くかもしれません。実際には、ブルネレスキは一点透視図法の発展に寄与しましたが、この理論を体系的に研究・定式化したのは、彼と同時代の別の芸術家、レオン・バッティスタ・アルベルティでした。ブルネレスキはパースペクティブの実用的な応用において先駆的な役割を果たしましたが、その体系的な理論化は彼一人の功績ではありません。


サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(しばしば「フィレンツェ大聖堂」とも呼ばれます)は、イタリアのフィレンツェに位置する、ルネサンス建築の代表的なキリスト教・カトリックのな教会です。

教会の名は「花の(聖母)マリア」という意味です。

フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されています。

大聖堂本体はゴシック様式で建設され、ルネサンス期の建築家ブルネレスキによって設計された大ドーム(ドォーモ)が特徴です。このドームは、その巨大さと革新的な構造で知られ、当時の技術の粋を集めて建てられました。

画像はイメージです

フィレンツェ大聖堂のドーム、通称ドゥオーモの建設は、実際には当初から明確な設計図が存在しなかったと広く認識されています。これは、中世後期からルネサンス初期にかけての建築実践と、当時の技術的・知的な状況を反映したものでした。

大聖堂の建設が始まったのは1296年で、アルノルフォ・ディ・カンビオの設計に基づいていましたが、ドームの部分に関しては具体的な計画がなかったとされています。この巨大な大聖堂のための適切なドームを建設する方法については、技術的な解決策が存在しなかったため、当初はあいまいなまま残されました。

当時の建築技術では、そもそもこれほど巨大なドームを建設すること自体が困難であったため、最初の設計者たちには具体的な計画を立てる能力が欠けていました。ドームの直径は実に約44メートルもあり、これを支える技術的な知識や材料学的な理解は当時のヨーロッパにはほとんど、あるいは全く存在していませんでした。

大聖堂の建設は、何世代にもわたるプロジェクトでした。建設が進むにつれ、設計は進化し、変更されました。そして、ブルネレスキがドームの設計を引き継いだ時、彼は当時の知識、技術、利用可能な材料を考慮して、完全に新しいアプローチを考案しなければなりませんでした。

ブルネレスキがドームの建設に関与したのは1420年からで、彼はこれまでにない工学的な技術と建築的な発想でプロジェクトに新たな方向性を与えました。彼の設計は、従来の方法とは大きく異なるもので、二重シェル構造、ホーミングのアーチ、そして垂直リブによって支えられるドームというものでした。

今日、ドゥオーモは、初期のルネサンス、そしてイタリアにおける晩期ゴシック建築の代表とされており、フィレンツェのシンボルとなっています。

ドゥオーモのプロジェクトは、特定の完成された設計図に基づくものではなく、時間とともに進化し、様々な挑戦に対応しながら発展したものだと言えます。ブルネレスキの革新的なアプローチは、これらの困難に対処し、最終的には世界的に有名な建築物を完成させることを可能にしました。


サン・ロレンツォ聖堂

サン・ロレンツォ聖堂は、イタリア、フィレンツェに位置する重要な宗教建築物で、フィリッポ・ブルネレスキによって大きな影響を受けた建築プロジェクトです。

1419年、メディチ家のパトロン、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチの要請により、フィリッポ・ブルネレスキはサン・ロレンツォ聖堂の既存の構造の改築を任されました。このプロジェクトは、彼のキャリアの中で最も重要なものの一つとなりました。

サン・ロレンツォ聖堂は、メディチ家と深い関係があり、この家族にとっての家族の教会であり、彼らの葬儀もここで行われました。教会内のメディチ家の礼拝堂は、後年、ミケランジェロによってデザインされました。

ブルネレスキの死後、教会の建設は彼の弟子であるアントニオ・マノエッティによって引き継がれました。しかし、ファサードは未完成のまま残され、現在でもその素朴な石積みが見られます。

サン・ロレンツォ聖堂は、フィリッポ・ブルネレスキの建築的才能とルネサンス期のフィレンツェでの美術の発展を体現するものであり、後世の建築家や芸術家に多大な影響を与えることになりました。


ブルネレスキ

彼の生涯と業績は、ルネサンスの理想の具現であり、人間の創造性、知性、そして技術的能力の無限の可能性を示しています。ブルネレスキは、建築だけでなく、美術全般にわたる革新的な思考と実践によって、後世に不朽の名作を遺し、未来の芸術家や思考家に影響を与え続けることとなりました。


最後に

やあ!コミュリーマンです!

おかげさまで、コミュリーマンはnote活動開始から6ヵ月となりました!

明日から、7ヵ月目です。

素人物書きがなんとかここまで続けてこれたのも、皆さんがこんな僕の拙い記事に「スキ」をしていただけるからです、本当に感謝をしております!

さて、僕はこのコミュリーマンのペルソナ(仮面)を被ったプロジェクトと、コミュリーマンの中の人とで、ちょっとパーソナリティを使い分けています。

コミュリーマンは、活動開始から5年間の間は、「たまーに」仲間たちと協働・協創をしている何かしらがあります。たまーにですが。

そして、中の人は言わずもがな、僕の「夢は山口周師匠(自称)」と、毎日喚き散らかしております。(僕がこの世で一番恐れているのは、お師匠さんからの破門のみ、自称なのに)

そのうえで、僕自身のモチベーションを保つ一環として、「6ヵ月の日の記事は何を書こうかな?」と考えていたのですが、毎日の挑戦に追われて特にアイデアはありませんでした。

そこで、自身のアイデア帳であるMindMeisterアプリを開いたところ、以下の記事を久しぶりに拝読しました。

この記事のメッセージは、ご覧のタイトルの通りです。

本文全体の文脈をご提示せずに、以下の言葉をお読みいただくと、誤謬を生じさせてしまうかもしれませんが、とにかくご覧ください。

つまり“正しい美意識”というのはどこにもないんだと。「名画=美しい」と思える感性に近づくということは、その感性は他との差別化が進んでいないということです。

で、僕が何を考えたか、何を振り返ったかというと、「僕、名画の知識がそもそもないよね」ということを改めて痛感し、やはり少しくらいは勉強しようと思ったわけす。

そこで、じゃあ誰なのかと考えたら、その人はすぐに思い浮かびました。

そうです、本記事で取り上げた「ブルネレスキ」です。

そもそも「ブルネレスキを書きたい、学びたい」からルネサンスの学び直しを始めたのにも関わらず、まったくもって忘れてしまっておりました。

では、なぜそもそもブルネルスキなのか?というと、以下のVoicyを一度聞いてみていただきたいんですね。

この放送の後半ではアントニオ・ガウディについての感動するお話が語られているのですが、その前段に「ドゥオーモと天才ブルネレスキ」についての話が出てきます。

その話というのが、僕が今回本記事で取り上げた、「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」についてのお話なのです。

いやあ、「バトンを渡す」僕はしっかりと受け取りました。

問題は、僕が渡せる人がいるのか?

それでは、また!

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コミュリーマン
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