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【プレスナー】一軒のコーヒー店が呼び起こした社会の目覚め
2018年4月12日、フィラデルフィアの静かなスターバックス店舗で、歴史に刻まれる出来事が生まれました。春の柔らかな陽光が降り注ぐ午後、ラショーン・ネルソンさんとダンテ・ロビンソンさんは、一人の友人を待つためスターバックス店内に入ります。彼らの目的は、先に席を確保して友人が到着するのを待つこと。誰もが日常的に行うこの行為が、後に全米、そして世界を揺るがす議論を巻き起こすとは、本人たちさえ予想していませんでした。
スターバックスは「第三の場所(サードプレイス)」として、自宅や職場以外の心地よい居場所を提供することを理念として打ち出してきました。通常、顧客は店内でリラックスし、読書や作業、友人や家族との会話など、自由な時間を過ごすことが許されていると認識されていました。特にアメリカでは、スターバックスは高速インターネットや電源コンセントを提供し、客が長居しても比較的寛容な店舗文化を築いてきたと考えられていました。
——もちろん、混雑時には「席を確保する前にオーダーをお願いします」という声かけが行われる店舗もあり得ます。当時の店舗の混雑状況について、具体的な報道や目撃者の証言は見当たらないものの、事件当時の映像や写真からは、店内が極端に混雑していた様子は確認できない。加えて、他の客が席を求めて溢れかえっていたとの情報も特に報じられていません——。
入店した二人に対し、スターバックスの店員が声をかけます。「飲み物を注文しなければ、店を出てください」と。しかし、二人はその場を離れる理由はないと考え、友人を待つ間、穏やかに座り続けました。
しばらくすると店員は警察を呼び、そして数名の警察官が到着します。警官らは「不法侵入」の疑いで、なんと二人を逮捕してしまいます。手錠をかけられ、店から連行されるその様子は、居合わせた他の客のスマートフォンによって撮影され、SNSを通じて瞬く間に広がりました。
この動画はたちまち人々の怒りと悲しみを呼び起こします。「なぜ彼らだけが、注文をせずに席に座っていただけで退店を求められたのか?」「彼らは何も悪いことをしていない」「これは明らかな人種差別だ」と、多くの人々が声を上げます。
なかでも注目されたのが、周囲で同様の行動をしていたであろう白人客との対応の差です。BBCの取材に対してある白人客は「私たち白人が同じことをしても、どうしてこんな目に遭ったことがないのか、他の白人はみんな考えている」と述べています[1]。同様の行為をしていた白人客が退店を求められなかったことを示唆しており、対応の差が存在した可能性を示しています。
「怒り」を受けたスターバックスの迅速な変革
この事件を受け、スターバックスは企業として迅速かつ包括的な対応を実施します。同社のCEOであるケビン・ジョンソン氏は、事件直後に公式声明を発表し、ラショーン・ネルソンさんとダンテ・ロビンソンさんの人権を侵害したことを認め、個人的に面会して謝罪の意を伝えました。これは形式的な謝罪にとどまらず、企業としての責任を果たす第一歩となります。なぜなら、ジョンソン氏はその後、ある「大胆な行動」を取るからです。
同年5月29日、あろうことか、スターバックスは「全米にある約8,000店舗を一時的に閉店」し、従業員約175,000人に対し、「人種的偏見と多様性」をテーマとした特別な教育プログラムを実施したのです。当然ながら、この規模の対応は、当時の企業としては前例のないものでした。
この教育プログラムの設計には、さまざまな専門家が関わりました。たとえば、全米有色人地位向上協会(NAACP)やアドボカシー団体「アンチディファメーションリーグ(ADL)」が協力し、偏見の科学や人種問題に関する歴史的背景を従業員に教える内容を提供しました。また、プログラム内では、従業員が実際に自分自身の無意識の偏見と向き合い、それを克服する方法についてのワークショップも実施されました。
調べてみたところ、具体的な内容は次のようなものです。
偏見の認識テスト
従業員が自身の無意識の偏見を知るための診断ツールを活用。実体験の共有
従業員同士が職場での差別や偏見に関する体験を共有するセッションを実施。ケーススタディ
実際の職場で起こり得るシナリオをもとに、どのように対応するべきかを学ぶ。継続的な学びの場の提供
教育プログラム終了後も、多様性と包括性に関する学びを深めるためのリソースを全従業員に提供。
また、プログラム終了後、従業員からのフィードバックをもとに今回のプログラム内容をも改善し、それ以降も継続的にトレーニングを実施する体制を整えました。この取り組みは、場当たり的・一時的な対応などではなく、企業文化全体の変革を目指すものです。
しかし、この決定には、当然ながら反響もさまざまでした。一部の店舗運営者やビジネス関係者からは、全店舗の閉鎖が顧客サービスや利益に影響を与える可能性を懸念する声が上がり、偏見を取り除く教育が短期間でどれほどの成果を上げられるのかといった疑問も浮上しました。
それでもジョンソン氏は、「利益よりも人権を優先する姿勢」を明確に示し、批判にも毅然と対応します。
その後の影響は、アメリカ全体に波及——2020年、アディダスはアメリカでの新規採用者の30%以上を黒人または中南米系とする方針を発表。黒人コミュニティを支援する活動に対し、4年間で2,000万ドルを寄付する計画を明らかにしました[2]——2021年、アップルはミシガン州デトロイトに黒人起業家を支援する施設を開設することを発表。同社の「人種的公平と正義のイニシアチブ」の一環であり、黒人コミュニティへの支援に1億ドルの予算を充てる計画の一部です[2]——していくことになるのです。
さらに、スターバックスは従来の店舗ごとに若干異なっていた利用ポリシーを「飲み物を注文していなくても、店舗を自由に利用できる」という一律の新しい方針に変えて打ち出し、こうして誰もが安心してくつろげる「真の第三の場所」として再定義したのです。
被害者の選んだ「未来への投資」
「逮捕される」という苦痛を経験したラショーン・ネルソンさんとダンテ・ロビンソンさん。彼らは自分たちの苦痛をただの被害体験として受け入れるのではなく、それを「社会的な変革の出発点」と捉えました。自らの痛みを「社会の痛み」へと昇華させ、そこに未来を見出そうとする彼らの壮大なビジョンそのものです。
スターバックスとの和解の際、「和解金は1ドルで構わない」とした彼らは、自分たちよりも「同じような不平等や偏見に苦しむ若者たちの未来を切り開くための具体的な行動」を求めました。その結果、設立されたのが、「20万ドルの基金」です。この行為は、自身の個人的な利益を超えて「社会の未来」を選び取る行動そのものでした。
この基金の目的は明確です。偏見や差別がもたらす社会の不平等を減らし、特に若者たちが教育を受け、起業を通じて自己実現を果たせるよう支援することです。ネルソンさんとロビンソンさんは、自分たちの経験を過去の傷として終わらせるのではなく、「次世代がより良い社会で生きられる未来」を築くための礎にしようと考えたのです。
彼らの想いに、私は目頭が熱くなります。同時に、なぜ、こんなにも素晴らしい選択ができたのか?とても気になるところです。彼らの生い立ちや背景を調べることはできないので、「哲学概念」を用いて考察してみましょう。
ドイツの哲学者ヘルムート・プレスナーは、人間が持つ本質的な特性の一つとして「自己を中心に据えながらも、他者や社会との関係性を通じて自分を相対化できる能力」を挙げ、「脱中心的位置性」——漢字ばかりで嫌ですね——と名付けました。この概念は、自己を絶対化するのではなく、他者や社会を意識しながら「自己の位置を再構成」できるという指摘です。
ネルソンさんとロビンソンさんは、まさにこの「脱中心的位置性」を実践したといえるでしょう。彼らは、被害者としての自分たちの立場に閉じこもるのではなく、その経験を他者の立場に重ね合わせて捉え直しました。
すなわち、「自分たちだけでなく、同じような状況に置かれた他者たちがどうすれば未来に希望を持てるか」を考え、そのために自らの経験を社会変革の礎として提供するという行為に踏み出したのです。
このような行動は、個人が自己中心的な枠組みから脱し、他者と共感し、社会全体の未来を見据える「人間の可能性」を示しています。基金の設立という具体的な結果は、偏見や差別に対する抵抗の象徴であり、また同時に、「他者の未来に自らを重ね合わせる行為」の結果なのだと思います。
偏見からの逸脱が生む未来
ネルソンさんとロビンソンさん、そしてスターバックスCEOジョンソン氏の行動は、私たちに一つの問いを投げかけます。
それは、
「私たちの中に染みついた偏見から、どう逸脱すべきか」
という問いです。
偏見は、私たちの血の中、骨の中にまで染み込んだ「見えない慣習」のようなものです。それは、無意識のうちに他者との距離を生み、社会全体の成長を妨げます。しかし、この「偏見」という習慣から逸脱することは可能です。ここで最も重要なのは、それが「意識的な選択によってのみ成し遂げられる」という点です。
ネルソンさんとロビンソンさんは、自分たちが受けた苦痛を社会全体の未来を変えるための突破口にしました。ジョンソン氏は、事件を受けて偏見の存在を認め、それに対して行動するという苦渋の選択をしました。彼らの行動は、組織を、そして社会を偏見から逸脱させるための模範となりました。
「偏見からの逸脱」は、特別な人だけが成し遂げられるものではありません。ネルソンさんとロビンソンさん、そしてジョンソン氏が示したのは、私たち一人ひとりが持つ可能性です。自らの中に根付く偏見を認識し、それを超える行動を選び取ることで、未来を変えることができるのです。
この語が伝えるのは、「偏見からの逸脱」という挑戦が、私たちの社会全体の未来を切り開く鍵になるということです。
それは難しい道かもしれませんが、意識的に選び取ることで、より良い未来を築く力は、すでに私たち自身の中にあるのです。
スターバックスの現状評価
2022年度(2021年10月~2022年9月期)の年間売上高は約322.5億ドル(約4兆6,700億円前後、1ドル=145円換算)で、前年(2021年度 約290.6億ドル)比で2桁成長を遂げているようですね。
2022年度はインフレや人件費・原材料コスト上昇、米国内での従業員待遇改善などの投資負担はあったものの、純利益は約3.28億ドル。ただし、純利益は前年(約41.99億ドル)より減少はしている模様です。そういえば「中国市場のコロナ対策の影響」というニュースも報じられていましたね。
2022年度の営業キャッシュフローは40億ドル超。自社株買いを増やして1株当たり年間配当は約2.12ドル、2023年には2.24ドルと増配傾向。有利子負債は約140億ドル規模で投資適格。バランスシート上で株主資本が負になることがあるが、これは長年の自己株買いと「ブランド・エクイティ」によって、信用力も現金の創出力も毀損されるものではない。
2023年度第3四半期(2023年4~6月)における発表「FY2023 Q3決算」を見るとグローバルで需要が回復していることがわかります。売上高が前年比+11-12%の91.7億ドル。営業利益は16.0億ドル、営業利益率が約17.4%、1株当たり利益が前年比+19%の$1.00。原材料・人件費高騰などを考慮すると良好だと言えると思います。
グローバル既存店の売上高は+10%。米国既存店売上高:+7%。中国既存店売上高:+46%(コロナ規制後の顕著な反発か!?)グローバル店舗数が2023年度第3四半期終了時点で約37,200店舗以上、これは前年比+7%。デジタルモバイル注文・決済アプリ「Starbucks Rewards」会員数は、主要市場で増加傾向にある。2023年Q3時点で米国におけるアクティブ会員数は3,000万人超を突破し、前年同期から2桁%増加。中国との相性も良さそうだけど、このデータは見つけられない。
今朝のブルームバーグによる報道を見ると、賃上げ率が予定より小幅になるらしいですね。今年は「不買運動」などもあったために、コロナ以降では最悪の業績になったといいますが、それでも「世界のスタバ様」は、きっと「迅速な変革」でもって、ポジティブなニュースを届けてくれるでしょう。
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