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講演「夢の待ち方」(2018/10/13) 講演録

2018年10月13日(土)、小金井第二中学校PTAの皆様が主催された「思春期子育て講座」に、語学塾こもれびの代表・田邉と塾長・志村が登壇し、講演させていただきました。講演タイトルは「夢の待ち方~遠回りでも“夢”に出逢えた二人から伝えたいこと~」です。
以下は、その講演録です。

自己紹介

田邉:僕は語学塾こもれびの代表を務めている田邉優と申します。今年の3月に大学を卒業したばかりなのですが、大学3年生の時に隣にいる志村と一緒に塾を立ち上げて、運営してきました。つまりは、就活はしていないことになります。ずっと自営業でやっています。
英語の担当ということでご紹介いただきましたが、僕自身は一番教えるのに自信がない科目というのが英語なのです。というのも、英語に関しては家の環境の関係で小さい頃から触れることが多かったり、好きでずっとやってきたりしていたので、ある意味特殊な環境だったからです。
自分が苦労してきたのは英語以外のことです。なので、点数が一番取れて得意な科目というのは英語ではあるのですが、教えるのは自信がないと思う次第なのです。
ただ、これまで進路や人生に悩んで、その都度ごとに様々な選択をしてきました。そうした自分の体験を通して得られたことを伝えたくて、今、塾をやっています。自分の活動を通して、「みんなが進学するから何も考えずに進学する」という生き方だけではないことを伝えたいのです。僕らがやっていることが必ずしも正解だとも思っていないのですが、色々な考えがあるということを知ってもらった上でも進学を選ぶのであればそれでも良いと思いますし、「その考えみたいな感じでやってみたいな」と思うのであればそれでも良いと思うのです。良くも悪くも、それぞれの人の考えに小さなインパクトを残していけたらな、と思って活動をしています。

志村:僕は志村響と言います。ちなみに田邉はこんなことを言っていますが、彼は英語を教えるのが上手いです(笑)。
僕は語学塾こもれびで、今は英語の授業は担当しておらず、基本的にフランス語と数学を教えています。
今、フランス語と数学を教えているのにはちゃんとした理由があります。僕らの出身校は東京外国語大学という府中にある、文系か理系かで言えば文系の、外国語を研究する大学です。僕はそこで言語学というのをやって、今ではフランス語を教えているので、一見すれば文系です。さらに、大学では文学や哲学もちょっとやったりしたので、文系・理系という括りで言えば間違いなく文系ということになると思います。
ただ、僕は高校3年生まではずっと理系で、いわゆる「文転」というものを経験しています。高校3年生のタイミングで文理選択をする時に、それまではずっと自分は理系だと思っていたのですが、急に何をやりたいか分からなくなってしまって、それで文系に転向して今に至っています。
自分が中学生の頃を振り返ると、本当に絵に描いたような理系少年でした。中学生の頃の僕を知っている人が今の僕を見たら驚くんじゃないかと思うのですが、とにかく宇宙や数学に関する本をたくさん読んでいました。
それがいつの間にやら、というのも変な話なのですが、大学で始めたフランス語がきっかけで、ガラッと変わった感じです。なので、この後の話を通してお伝えしていくことになると思うのですが、皆さんは今、ご自分が中学生だったりお子さんが中学生だったりすると思うのですが、その時の興味というのが意外と変わるものなんだな、という、その実例として考えていただければな、と思っています。
それでは、ここからは僕らが運営している塾について紹介をさせてください。一応「語学塾」という名前ではあるのですが、皆さんがご想像する塾とは結構違うと思いますので。

シェアスペースとの出会い

田邉:発起人・言い出しっぺは僕なのですが、僕ら2人は大学編入を経験していて、1・2年は別の大学で過ごしていました。僕は横浜市立大学というところで、千葉の実家から金沢八景まで、片道2時間半ほどかけて通っていました。そこに2年まで在籍していたのですが、その時に、英語を中心に塾の講師や少しだけ翻訳の仕事をしていました。さらには家庭教師もやったりしていたのですが、マンツーマンで回るのはちょっとしんどいなと思い始めていました。
そのうちに、みんなから同じようなことを聞かれ始めたんですよ。質問がパターン化されていて、これは一斉に教えられた方がいいんじゃないかと思ったんですよね。1対1で向き合うのも大事だと思ったのですが、聞かれることが結構似通っていて、せめて1対2・3くらいでできないものかなと思っていたところ、3年で編入をして、外大で彼(志村)と出会うのです。外大に入ってからもやっぱり「せめて1対2・3くらいで」ということはずっと思っていて、何かできないかな、と考えていました。
僕はカフェも好きなのですが、編入を機に千葉の実家を出て武蔵小金井で一人暮らしを始めました。そこでも暇な時にはカフェ巡りをしていたのです。そうしたら、週に1度だけ夜に明かりが点いているカフェのようなところを見つけました。実はそこはシェアスペースで、その曜日だけそこで男性がバーのようなカフェのようなお店を営んでいる場所なのでした。
その場所は、金曜日の夜以外は実質誰も使っていない、つまりシェアスペースなのですが1人しか使っていないような状態でした。そこで、僕が大学1年生の時から考えていた塾の構想を話してみたら、「1時間500円で使えるからやってみたら」と言われたのです。地代が500円というのは安いと思い、ちょっとやってみようかなと思ったのが6月くらいだったと思います。

2人で始める

田邉:僕は、そしてこれは志村もなのですが、ずっと音楽をやっていました。ギターだったり、ドラムだったり、歌だったり。その関係で、僕と彼が大学で、遊びでちょっと一緒にセッションしてみようよと、趣味の延長のような形で一緒にやっていました。そんな中、7月くらいに、セッションが終わった後、「そろそろ夏休みだけどどうするの?」というような話になりました。
僕は例の男性からお話をいただいていた通り、シェアスペースを使って塾をやろうと思っているんだけど、というようなこと完全に個人的な話として言ったのですが、そうしたら思いがけず志村が「いいね」と乗り気になってくれたのです。誘ったわけではなく、「こういうことやろうかなと思っていて、上手くいくかも分からないけど試しに…」みたいに言ったら「面白そう」と言ってくれて。そこで、2人で塾をやることになったのです。
ただ、ノウハウなどはありませんでした。僕らは塾で働いてはいたのですが、運営の仕方やお金とか、(後々になって要らないと分かったのですが)始める時に免許が必要なんじゃないかとか、色々なことです。分からないことはたくさんあったのですが、あまり考えずに始めました。考える先に、とりあえずやってみていた、という感じなんだと思います。
もちろん、進めていくうちに「青色申告・白色申告って何?」とか「開業届って何?」とか、「規約書ってこういうのを書かなくちゃいけないの?」とか、分からないことはどんどん出てきました。ただ、そういうことはやりながら勉強していったのです。
ちなみに、「広告ってどうやってやるの?」というのもまったく分かりませんでした。最初は2人で5,000円ずつ出し合って計10,000円で、業者さんに頼んでチラシを3,000部刷ってもらい、それを2人で配りました。3,000部無くなってからもそんなことをちょこちょことやっていました。本当は疲れるので嫌だったのですが、これも良い経験になるかもしれない、と思いながら配っていたのです。
1ヶ月くらい経った頃に、1人目の生徒さんが入塾してくれました。ちなみにその方は今でも在籍してくださっています。「やっと1人目が入ってくれたね」と喜んだのを覚えています。それからも少しずつ、生徒さんがふえていきました。

仲間が増え、そして移転へ

田邉:ただ一方で、志村は志村で個人で活動していましたし、僕はそもそも就活をする気がなかったことに加えて2年半ほどバンドをやっていて、当時はプロを目指していました。さらに僕らは学生で、自分たちの専攻の勉強や卒論や卒研などもあって…と、並行して色々なことに取り組んでいたのです。そこに塾の経営も重なってしまい、結構大変になってしまう時期がやってきました。塾を始めて半年くらい経った時のことです。
生徒さんも増える中、経営もやって経理もやって、個人の活動もあるとなるとどうしても僕ら2人では手に負えなくなってしまい、メンバーを2人増やして4人で一緒に運営することになったのです。
ところが、そこからさらにちょっと経った頃、諸般の事情でシェアスペースを出なければならないことになったのです。それを機に、自分たちだけの場所を持つことを考え始めました。内装一つにしても周りの人にあまり気を遣わなくても良く、迷惑をかけずに済みますからね。ただ、それをすると本格的に家賃がかかってくるのも事実です。それまでは1時間500円、使った分だけで良かったので数万円程度に収まっていたのですが、自分たちのオフィスを持つとなるとやはり固定の費用もかかります。
その頃には、最初はなんとなく始めた塾ではありましたが、辞めてしまうのは若干惜しいかな、という感じになってきていました。そこで「じゃあ、卒業までの残り1年間ほど、必死で物件を探そう」と奮い立ち、不動産屋さんに掛け合ったり、融資をしてもらうために金融機関と交渉をしたりなどしました。それまではそれこそ事業計画書も書いたことがなかったのですが、学校の課題の合間に計算をしたり、グラフを作ったり、色々とやっていた記憶があります。
50件くらい探した時に1つすごく良い物件が見つかって、その物件のデータを元に銀行に融資の依頼を出しに行き、その融資が通りました。ところが、不動産のオーナーさんがその後に、「やっぱりもう少し早く借りてほしい」ということを申し入れてきたためにタイミングが合わず、その物件は結局お断りすることになってしまいました
さらにもう30件くらい探した時に、今の国分寺の物件が見つかったのです。見つかったのは良かったのですが、融資の審査が難航してしまい、入居が決まったのが卒業式の次の日でした。シェアスペースを出なければいけなかったのも僕らの卒業の3月いっぱいだったので、4月にはもう退去していないといけなくて。物件が決まらなかったら4月からどうしようかなというところだったのですが、なんとか決まってこれまでやってきた、という感じです。

大手の塾への疑問があった

志村:ここまで田邉から塾の話をしましたが、やはりまだ分からないことばかりなのではと思います。ちょっと話を補足します。
田邉の話にもあったように、僕ら2人とも、今の塾を始める前、それぞれ塾で教えたり家庭教師をやったりという経験がありました。僕も東京外国語大学に編入したのですが、前の大学にいた大学2年生の時に、フランスに留学に行きました。そこでフランス語を1年間学んで帰ってきたのですが、留学に行く前は大手の学習塾でアルバイトをしていた経験がありました。なので、当時から教えることは好きでしたね。
その塾でのアルバイトは丸1年ほど続けていました。それを辞めるきっかけはもちろん留学だったのですが、1年続けてみて思ったことは、「もう二度と塾なんてやらない」ということでした。自分が何かを教えること、そしてそれを聞いている人が理解して「あぁ、そうなんだ」と分かってくれること、これはとても嬉しいことだし、価値のあることだし、意味のあることだと思ったのですが、大手塾のシステムに疑問を感じたのです。
そこの塾には決まりがあって、毎回生徒さんたちの定期テストがある度に、担当生徒の成績表を回収してこいと言われるのです。塾がですよ。僕らは学校の先生ではないわけです。そんな塾のアルバイトの先生というのが自分の担当生徒の学校の成績を把握して、さらにはそれをコピーして室長に提出して、それで「3が4になった」「4が5になった」とやるわけです。
たしかに分かりやすい変化だとは思うのですが、そこに意味を見出すか見出さないかというところに大きな分かれ目があるように思います。僕はその当時から、「3が4になったからどうなるんだろう」というタイプでした。だからそもそも、そういう大手の塾とは反りが合わなかったので、その時は辞めてしまったのですが、まさかその時は留学に行って帰ってきて、大学を変えて、そこで出会った人と自分が塾をやるなどとは思っていなかったわけです。そんな塾も2016年の8月に始めたので、もう2年と2ヶ月ほど、なんやかんや存続しているというところです。

あまり張り切らずに始めたのが良かった

志村:これはやってみないと分からないことなのですが、続けることというのが一番難しいことだと実感します。それでも続いた理由というのはたぶん、最初にあまり張り切らなかったことなのかな、と思っています。先ほどの話に出ていた事業計画書とか、融資の話とか、そういうことを全部全部思いつめて、全部完璧にしてから始めようとしていたら、たぶん僕らはそもそも始められていなかったんじゃないかな。
ただ実は、今だから言ってしまいますが、塾を始めた時はそんなにずっと続けようとも思っていませんでした。田邉はどうか分からないですが、僕に関して言えば、当時も個人的にフランス語を教えていたので、それの延長というか、ちょっとしたお小遣い稼ぎ程度にしか思っていなかったのです。あくまで始めた当初はですよ。
でも、一度始めてしまい、さらにはそれを続けていくうちに色々な問題に突き当たります。問題に突き当たったらそれを解決しようとするわけです。その時に、解決をするのだったら当然、善く解決できた方がいいので、2人で、メンバーが増えた後は3人・4人で頭を捻りながらやってきたのが、これまで続いてきた理由かなと思っています。

「みんなが」ではなく「自分で」

田邉:今日ここで聞きたいなと思ったことというのが、これは当時の僕にも聞けるものなら聞いてみたいことなのですが、「何のために定期テストの2週間前とか3日前とかにガリガリ勉強するんだろう」ということです。それが、「何かの目的のために乗せられてやっている」でもいいし、「何かの目標があってやっている」でもいいし、「本当はやりたくない」でもいいのですが。
「がむしゃらに頑張っている人」って少なからずいるじゃないですか。「テスト2週間前だから」とか言って。でも、テスト勉強を頑張って、ちょっと良い高校入って、また高校でテスト勉強とか受験勉強を頑張って、ちょっと良い大学入って。それでその後どうなるのか、ということをずっと思っているのです。
これは僕が英語をやっていた理由とも繋がるのですが、僕の父親は20年以上ずっと海外に住んでいて、それで僕は英語に触れていたのです。父親がよく言っていたのが、「みんなが行ってるからといって高校に行かなくていい」「みんながやっているからこれをする、ではなくて、考えてやってほしい」ということです。「どうしても考えつかない時にはプレゼンでもなんでもいい。とにかく俺は話を聞くから、『みんなが』じゃなくて『自分で』決定してほしい」と。その後で失敗しても上手くいってもそれはそれ、その都度学べばいいから自分で考えてほしい、と言われていて。
中学生の時、定期テストの勉強を最初の1年間は全然やる気が出なくて。それは、なんでやる必要があるのかが分からなかったからです。その時に言われたのが「勉強するための目標があるのだったらいい。だけど周りがやっているから流されてやっているのであれば、それは1回勉強を辞めて、0点でも赤点でも取っていいから。1回辞めて考えた方が良いと思うよ」ということでした。勉強が得意じゃなくても、何か1つでもめちゃくちゃ好きなことがあるのだったらそれをずっとやっていても俺はいいぞ、と言ってくれていて。例えば、それは一見、お金にならなそうなことでも、例えば「折り紙がめっちゃ上手い」とかでも良いんです。でも、そういうものがないんだったら、後々自分が好きな道が見つかった時に、勉強が必要だった、となっても大丈夫なように勉強しておく。それだったらいいよ、というふうに言われてきましたね。

勉強の先にあるもの

田邉:人は、勉強を頑張った先に何を思い描いているんだろう、というのはとても気になっています。その通りになるとはまったく思わないんですけど、無理に頑張らなくてはいけない、と思う必要もある意味無いというか。何かめちゃくちゃ自分の好きなことがあって、それが勉強のように短期的に有用性があるように見えなくて、「これ本当に将来役立つのかなぁ」というようなことであっても、好きでやっているのであればそれはずっとやっていた方が良いと思いまして。
何をやるにしてもそうなんですけど、何をやっていてもずっと続けていれば学べることっていうのは共通してくると思っています。簡単に言えばそれは、「諦めないこと」とか「試行錯誤すること」とか「なんでダメだったんだろう。じゃあ今度はこうやってみようかな」と考えることとか、そもそも自分で動いてやっていることとか。だから、僕らは一応塾という門構えで、勉強という科目を通して教えていますけど、結局のところ伝えたいのはそういうことなんです。
「勉強をやる意味が分かりません」「なんでテスト頑張らなくちゃいけないんですか」という質問をよく耳にします。意味が分からないのなら分かるまで1回辞めて考えても良いと思いますし、その答えが見つかるか見つからないかは別として、自分で考えてみるというのは大切だと思います。そのために、1回全科目赤点になろうがなんだろうが良いと思います。自分で考えるということの方が大事だと思うし、自分で考えるということは結局勉強でも大事なのです。

志村:今日は語学塾こもれびの人間が話をしに来たわけですが、2時間しか無いので、今この場にいる皆さんのお話を聞きたいなと思ってシートを作ってきました。今どんなことに悩んでいるとか、僕らに聞きたいことがあったらそういうことだったりとか、将来やってみたいことだったりとか、何でもいいですので、それを書いてください。短くてもいいです。休憩を挟んで、書いていただいた質問にお答えしますね。

~休憩~

海外での戸惑い

志村:それでは、優先順位を付けて答えていきます。最初はやっぱりお子様の質問が一番大事だと思うので、今この場にいる中学生の子たちが聞きたいことというのを順番に答えていきたいと思います。その後は、大人の皆さんの質問に順次答えていきたいと思います。

まずは田邉から答えます。生徒さんからの質問というか意見なのですが、「英語を話す関係の仕事に就きたい。だから、留学したいです。海外に行くとどんなことに戸惑いましたか?」というものです。

田邉:僕が一番始めに海外に行った時、乗り換えの空港、おそらくシアトルかどこかだったと思うのですが、子どもたちがプレイランドで遊んでいて、その国の子に顔面を掴まれた記憶があります。でもその時は特に戸惑いませんでした。たぶん、とても小さかったからだと思います。色んなことに違和感がなかったというか、世界をそのまま吸収しようとしていたのでしょう。
むしろちょっと歳をとって、7歳とか10歳の時に海外に行った時の方が戸惑ったことがありました。バスに乗っている時に、いきなり道の途中で停まって運転手がコンビニに行くとか。それは日本でバスを経験した上で、海外でそれを経験したから戸惑ったんだと思います。
「英語を話す関係の仕事に就きたいから留学したいです」ということで、留学したい目標というのを知りたくて…。これは父親の受け売りなのですが、「英語は算盤か電卓かの違い」という考え方があります。どういうことかというと、英語が電卓だとすると、使い方が分からない人が電卓を持っても使えなくて、誤ると全然違った意味になって伝わってしまったりする。
英語を使わなくてはいけない状況というのは、往々にして相手のバックグラウンドが違う時ですよね。だからむしろ、ただ「話す」というよりも、そういう理解の方が大事だったり、何語でもコミュニケーションのやり方を磨くことが大事だったり、「何を話すか」という自分の中に入れていくものが大事だったりするんじゃないかなと思います。例えば、「はい!今から自己紹介してください!」と日本語で振られてもとっさに対応できなかったり、「じゃあ今から何々について話してください」と知らない内容・話題について振られてもまったく答えられなかったりします。特にそれが違う文化のバックグラウンドを持った人に対してだと、やっぱりある程度のリスペクトを持って接しないといけないだろうと思うのです。ただ、どういうリスペクトの持ち方をしたらいいか、そのバックグラウンドがどういうものなのか分からないんだと思うんです。
僕は留学というのではなく小刻みに行っていただけなので「学」はしていないんですが、海外に行くことの一番大事な要素は言語ではなくて、自分たちとは色々違う人たちのことを知れることだと思います。そのために留学をするのが一番いいんじゃないかな。言語を学ぶための留学は、「行ったことある人あるある」だと思うんですが、意外にしゃべれなくてもなんとかなってしまうものです。じゃあここで、志村さん、「あるある」をお願いします。

志村:僕は18歳、大学1年生の時に始めて海外に行ったんですね。それまでは海外経験が一切なく、18年間日本を出たことがなかったので、色々やっぱり戸惑ったことはありました。
駅とかに行くと、チケットカウンターがありますね。そこに列ができているわけです、日本だと、例えばコンビニのレジに客が並んでいると店員さんが駆け寄って、カウンターを増やして対応するのが普通ですよね。でも僕、フランスに行った時に、駅で電車のチケットを買おうとしたんですけど、まず1人しかいなかったんです、係員さんが。みんな昼休憩行っているのか分からないですけど、チケットカウンターに1人だけ。そこに長蛇の列ですよ。「うわ~、これすげー待つな」と思ってちょっとげんなりしていたんですけど、その時、窓ごしのチケットカウンターのその奥に、このただ1人いた係員さんの同僚さんが来て、”Salut!”って言って。フランス人は挨拶の時に”bise”と呼ばれる、頬にキスをするのですが、あれをやって。で、そこでなんと世間話を始めるんですよ。信じられます(笑)?客めちゃくちゃ並んでいるんですよ。10人はいたかな。で、カウンターは1つしかない。そこに友達がやって来て、「おぉ元気?」とか言ってほっぺたにチューして、そのまま談笑しているんです。すごい光景ですよね。日本ではたぶんありえないと思います。まぁでも、そういう「ありえない光景」をどんどん見慣れていくことが、海外に行く醍醐味かな、と思います。
ところでAくん、海外に行ってみたいと書いてくれていますが、どこに行ってみたいですか。

Aくん:漠然と、「どこか行ってみたいな」って。

志村:それは、海外に行って見てみたいものがあるから?

Aくん:はい

志村:どんなものが見てみたい?

Aくん:日本とは違う街並みとか。

志村:うんうん、じゃあぜひ、お父さんお母さんにねだって、連れて行ってもらってください。ぜひ行ってみてください。色々な発見があると思います。

なぜフランス語なのか

志村:本当にありがたいことに、「志村さん、なぜフランス語に興味を持ったのですか?」という質問をいただいたのでお答えします。
大学に入ると、ほとんどの大学で、特に文系では第二外国語というのが必修になります。英語と、それとは別に何か一つ外国語を学ばなくてはいけないんですね。当時の僕は外国語なんてものにはほとんど興味はありませんでした。そんな中で、1年生の時に何語にしようかなと思って、そこでフランス語にしたと思うじゃないですか。実はそうではなくてドイツ語なんですね(笑)。大学1年生の時に僕はドイツ語を選びました。
ただ、その後、1年生の夏に、前いた大学は八王子にある現在首都大学東京という名前の、また都立大に戻るみたいですが(笑)、そこに通っていたのですが、そこで出会ったフランス語の先生であり、フランス現代思想の先生、要は哲学者ですね、その方がまぁ変わった人で、その方に色々唆されて、と言うと言い方が変なのですが、その方が色々なチャンスをくれました。
その先生は毎年、フランスに学生を連れて行ったりしていまして。そこに僕は、なぜかフランス語をやってすらいないのに、「行きたいです」と名乗り出たんです。その時僕は18歳でしたが、そういった若さ故の衝動みたいなのは大事かなと思います。深く考えずに、行きたい気がしたから「行きたい」と言ったんですね。そしたら先生も「いいよ」と言ってくれて。というわけで、フランスに行くことが先に決まりました。その時僕はドイツ語をやっていましたけど。それが初海外ですね。
第二外国語はドイツ語を取ったんですけど、もともとフランス語と悩んだんですよね。なぜかと言うと、僕、『星の王子さま』という本が好きで、それを高校生の時に読んで、「いつかこれをフランス語で読んでみたいな」ってなんとなく思っていたんです。そういう関係で、せっかくフランス行くんだったら勉強しよう、と思いました。だから、最初は独学でしたね。で、始めてみたら面白くなっちゃったんです。それまで、皆さんと同じように中高では英語をやって、大学ではドイツ語をやり。ドイツ語をやった時点で「あ、なんか英語と似てるけど結構違うな。英語しかやってこなかったけど、他の言語には違う楽しさがあるな」ということをドイツ語で知ったんですけど、それを上回る楽しさがあったんですね、フランス語には。
とにかくそれで、留学に行きました。そしてそれがすべてです。「フランス語を使って何がしたい」とかは一切考えていなかったです、本当に。「フランス語を使って国連で働きたい」とか、「フランス語の教師になりたい」とすら思っていませんでした。ただ、「これ、英語ともドイツ語とも違うな。このフランス語だったらどこまででも頑張れる気がする。楽しく行ける気がする」というその直感だけで留学、というか最初は2週間ほどの滞在があって、それを経て留学に行きました。

「面白い学校」を作りたい

志村:これは学校の関係者の方でしょうか。「面白い学校を作りたい」と書いてくださっています。

Bさん:学校では、「今までのシステムの弊害」が結構出てきていると感じています。子どもたちも色々な意味で悩んでいます。だから、子どもたちも我々も、またお父さんお母さんも地域の人も、「あの学校楽しいよね」と思えるような学校づくりができたらなぁと思っています。例えば、今日みたいなこういう場が学校の中にあったとしたら、非常に良いと思うんですよね。お母さんたちが休み時間に来られてコーヒーを作ってお菓子を食べて。さらにそこに教員が来て談笑するとか、ちょっと授業に行きたくないと思っているような子たちが来て、そこで色々話をするとか、そういう、ガチガチじゃなくて少しユルユルな感じな学校というのもいいんじゃないかな、というふうに思っています。この20年くらいで、そういうガチガチな部分というのは少しずつ緩くなってきているのは感じるところですが。

志村:僕らは普段、学校ではないところで、たぶん学校と同じだけど違うことをやっているんですね。でもそこに共感してくださり、学校・教育を良くしようと考えていらっしゃる方というのが学校の中にいてくださる、というのを聞いて僕は今とても嬉しいです。頑張っていきましょう…!

点数にとらわれず、したいことをしたい

志村:今のことにも関係するんですけど、いいですか、Cさん。読みますよ。
すごいことを書くんですね、この子。本当に。ちょっと僕感動したので、音読していいですか。まず、「自分の将来について」などなど。「社会のしがらみや外に存在意義を求めるような大人にはなりたくない」。皆さん、どうです?ちょっとグッときます?それから、「自分が正しいと思ったことができるようになりたい」。誰しもそう思いますよね。それから最後、「テストの点数ですべてが決まってしまうような今の学校で、点数を取らないで、自分のやりたいことができるようになるためにはどうすればいいでしょう。本当は勉強よりも考えることがしたいです。」
あの、こんな素敵なことが言える中学生というのはなかなかいないんじゃないかと思うので、僕はとても感動しています。まぁ「社会のしがらみ」というのは、なかなかどうしようもないものなので強くたくましく生き抜いてほしいのですが、「外に存在意義を求めるような大人になりたくない」と思っていればそうならないので大丈夫です。そう思い続けてください。
で、「自分が正しいと思ったことができるようになるため」には、自分が正しいと思ったことをしてください。し続けていたらそうなれます。
ただ、最後の「テストの点数ですべてが決まってしまうような今の学校で、点数を取らないで」というところ。これは度々僕の話でも、先ほどのBさんのお話でも出てきましたが。なんかこれ、いいですね。中学校という場で僕マイクを使ってこういうことを言っちゃうのはどうかな、と思うけど、「成績に何の意味があるんだろう」ということですね。もし、「成績にはこんな素敵な意味があるから、これは何が何でも死守しないといけない。何が何でも上げないといけない」という考えをお持ちで、それを僕に説明できる方がいたら、それはすごく聞きたいです。でもたぶん、いないかなと思います。
成績を上げることというのは絶対何が何でも必要なんだと心の底から思っている人というのはいそうでいないと思います。だから、みんな心のどこかでは、「成績が上がってそれが何なんだろう」とやっぱり思っているはずなんですよね。それがどれだけ言えるか、です。僕らはこうやってどんどん言っているし、そうじゃない教育のあり方というのを今模索中ですけど、やっぱりみんなどこかしらで、胸の中でつっかえている部分はあるのかな、って思います。
これも社会のしがらみの話に戻るんですけど、じゃあ成績がどうでもいいか、というとこれはまた別の話です。僕こんなこと言ってますけど、じゃあテストなんて受けなくていいよ、全部ゼロ点で、全部成績2で、それでいいよ、とは言えないわけです。それはあまりにも無責任です。なぜかというと、それが悪いからではなくて、それがもしかしたら自分の可能性を潰してしまうかもしれないからです。
塾でもCさんには言っているかもしれないけど、今はまだ残念ながら成績優秀な人、テストの点数が高い人、取れる人が評価される時代なので、そうなんだ、ということを認識した上で、「しょうがない、じゃあやってやるよ」という感じでテスト勉強を頑張る、というのが僕の思う一番良い姿勢です。これがすべてじゃない、とちゃんと自分に言いながら、それでも仕方がない、まぁやってやろう、と思うこと。そこで「やらなきゃやらなきゃ」となると、あまり良くないですよね。つまらなくなっちゃうし。やっぱり、人に言われてやることとか、学校に強制されてやることというのは、なかなか楽しくないので、そこをあえて「しょうがない。そんなに言うならやってやる」という感じで勉強してほしいかな、と思います。
そこで勉強したことは無駄にはならないと思うので、仮にそれが学校の点数だけの勉強でも。やっぱり僕らも一応国公立の大学を出ています。なので、まぁ一般的に、広く世間的に見ると、たぶん優秀な方ですね。成績という尺度で見るならば。テストの点数もほどほどに取ってきたし、勉強もほどほどにやってきた。だからそれが全部下に下がってしまうと自分の可能性を潰してしまうから、自分の本当に何かやりたいことを見つけた時に、例えば極端な話、「こういう研究がしたい」と自分だったりお子さんだったりが高校くらいになった時に思うかもしれないわけですよ。何かすごく好きなことができて、これが研究できたらいいな、って初めてやりたいことが見つかって、でもそれが東大でしかできない研究だったらどうするか、ということです。これはあくまで極端な話です。でも、やりたいことに応じてできる環境というのが変わってしまう。どこでもできることと、できる場所が限られてしまうことというのがある。だからやっぱり、今一般的に評価されていることというのは、できないよりは絶対できた方がいいです。それは、学校の勉強も一緒。その方が、後で自分の行きたいところに行けるようになるかな、と思います。Cさん、頑張ってください。

自分の見たことのないものを見てみたい

志村:「子どもに何をやらせてあげるか」ということで悩まれている方もいらっしゃると思います。例えば、スポーツとか、芸術関係とか、音楽とか、本当にスキル一本で。無性にこれがやりたくてしょうがない。やりたくてしょうがないから学校の勉強なんてやっている時間は本当に無い、ってお子さんがマジな目つきで言ってきたら、やらせてあげた方がいいんじゃないかな、と思います。「じゃあ今は勉強やらないのね。あんた今勉強しないで後でどうなっても私は知らないよ、でも、やりたいことはやったらいいんじゃない」って言ってあげるのがいいんじゃないかな。
さっき田邉のお父様の話がちょっと出てきたんですけど、僕の親はどうかというと、うちは母子家庭なんですね。両親は僕が小さい頃に離婚していて、母親に育てられたんです。さっき結構、田邉のお父様の格言が色々聞けましたよね。「電卓と算盤」とか。僕初耳だったので感心したんですけど。僕は母親にそういうのを教わった記憶が一切無いです。これは僕の記憶力が悪い可能性もありますけど、たぶん、うちの母親はあまり、僕に「こうしなさい、ああしなさい、こうするといいよ」というタイプの人ではなかった。たぶん、学校の勉強はやっていたので、そこの安心感はあったのかもしれないですけど。
先ほどもお話ししたように、僕、もともと理系でした。文転して大学で入った学部というのが心理学部です。人の心に興味があったんですけど、それまでずっと理系だったので、なんとか、数学とかを使いながら文系のことをできないかな、と思って心理学部に入った。と思ったら急にフランス語を始めて、その半年後くらいには「留学行きたい」とか言っているんですよ。しかも、「なんで?」と聞いても「行きたいから。フランス語やりたいから」としか答えず。「行って帰ってきてどうするの?」「知らない」。本当に知らなかったからです。
留学に行く時、色々書類とかも書かされるんです。「志望動機書」とか「留学先で何をしたいか」とか「帰ったらどうしたいですか」みたいな。もう、すごい嫌でしたね、それを書くのが。僕はよく話すんですけど、皆さんが探検家だとするじゃないですか。昆虫でも動物でもいいんですけど、皆さんは好奇心に溢れているんですね。で、これから誰も入ったことのない未踏のジャングルに入るわけです。そこで、自分の知らない、誰も見たことのない昆虫だったり動物を見つけて帰ってきてやろうと思っている時に、「あなたはどんな動物を見つけたいですか?」と言われたら冷めません?分かりませんか?だって別に、ペガサスを見つけたくてジャングルに入るわけではないわけですよね。どんな動物がいるか知らないから入るわけですよね。そこで見つけたものというのが後で何かしら自分の価値や糧になると思うんです。
僕さっき、Aくんに意地悪な質問をしました。「海外、なんで行ってみたいの?どんなものが見てみたいの?」って。そこで、彼はこう答えましたね。「今まで見たことがないものを見てみたい」と。この答えは素晴らしいと思います。そこで「モン・サン・ミッシェルを見てみたい」とかは、それも1つの夢としてはいいんですけど、何か自分の見たことないものを見てみたい、触れてみたいというのはとても大事な気持ちだな、と思います。

「見守ってあげる」ことの大切さ

志村:話を僕の母親に戻すと、僕は、大学生の時からこんな感じだったんです。フランス語を始めた途端、なんだかよく分からなくなって。留学に行って帰ってきて、大学編入するくらいはいいでしょうね。「あぁ、東京外大行きたいのね」と、それはなんか分かるじゃないですか。で、「大学出たらどうすんの?」と聞かれて、就活はしたくなかったわけです。就活をしてやりたいことが無かったので、「就活はしない」と言って。「じゃぁどうすんの?」「なんとかする」。こんな子ども、ヤバくないですか?不安になりますよね。
母親にとても感謝しているのは、そんな時に、しつこく聞いてこなかった、放っておいてくれた。「放っておいてくれた」というのは、これはもう完全に信頼の裏返しなんですね。だから「なんとかするんでしょうね、この子」ってたぶん思っていたんだろうな、と思います。今なんとかなっているのかどうかは分からないんですけど、でもそう思ってくれていることっていうのは僕にとってはすごくありがたかったんです。これは前からそうでしたね。僕が高校くらいの時からあまり何も言ってこない人でした
あまりアドバイスというと偉そうなので嫌なんですけど、たぶんここにいる方って中学生のお子さんがいるお母さんが多いと思うので、僕から言える1つの意見というか考え方としては、不安な気持ちを抑えて、ちょっと見守っててあげる。たしかに、ペンを転がして、テーブルの端っこで、「あぁ、落ちそう!」みたいな時って怖いですよね。で、そうすると止めてあげたくなると思います。僕は親ではないので親心はまだ分からないですが、想像はつきます。そうやって、テストやりたくない、勉強したくないと言っている子どもがそんなふうにテーブルの端っこから落ちそうになっちゃっているから、それを自分の手で止めてあげたい、止めようとしてしまうと思うのですが、そこをちょっとだけ待ってみる。落とせと言っているわけではないですよ。落ちちゃったらヤバいので。本当に落ちるところまで行ったらそれは守ってあげるのが親の役目だと思いますけど、それをもう少し自分の我慢できるラインというのを伸ばす、というのが保護者の方々ができたら、ちょっと子どもも息が吸いやすくなるのかもしれないな、と僕は思っています。僕個人の意見ですが。

進学塾との違いは「自分の頭で考える」

志村:それから、「塾なので勉強を教えていると思いますが、どういう教え方をしていますか。進学塾との違いはなんですか」というご質問が来たのでお答えします。
進学塾との違いというのは、今までの話に散々出てきたように、成績や結果を重視しないということです。なので、うちでは「ここに通うと通知表の数字が上がるよ」とか「絶対〇〇高校に合格できるよ」ということは残念ながら言えません。なので、その行きたい高校にもし落っこちちゃっても責任は取れません。ただ、いつも重視しているのは、一言で言うと「自分の頭を使って考える」ということです。
僕はこもれびで数学も教えています。こもれびでは1コマ80分と決まっているんですけど、80分で2問くらいしか進まないこともあります。80分やってたったの2問を一緒に解いて終わるというのが結構あります。そう聞くと、「え、何もやっていないの?」という感じがしちゃうのかもしれないし、80分あれば20~30問解けるんじゃないかなと思うと少ない気はするんですけど、でも、そこは変えないし、それを僕はヤバいとは思っていません。なぜかと言うと、やっぱり数学というのはどうしても答えがあるものなので、答えの出し方を機械的に覚えちゃったりができてしまう部分があります。それは実は証明とかも一緒で。証明って文章を書いているからちゃんと考えているようで、意外とそうではない。結局その証明に至るまでの道のりを暗記しているだけだったりする。それをやるというよりも、「じゃあなんでそういう道のりになるのか」というところをやりたい。
例えば文章題を解く時に、そこに書いてある文章題の日本語、それがどんなことを表しているんだろう、それを式に移していく時に、どんなことに気をつけたらいいか、どういうことをそこから汲み取ればいいか。さらには、それを自分で式に直していくには何を考えたらいいか、何が足りないか、というのを考えてもらうことを僕らは重視しています。そうなると、当然時間はかかります。10分考えてみたけど分からない、ということもあります。でも、それは仕方のないことかな、と思います。考えるというのは時間がかかることなので。そういうふうに教えています。田邉はどうでしょう。

「教える」のではなく「一緒に考える」

田邉:まったく同じで、僕も英語だけではなくて国語も教えているですが、何の教科を教える時も、国・数・英は特にそうなのですが、やることというのは結局は同じだと思います。それは、自分で考えて想像力を働かせて、考えて考えて…というだけなのかと思っているのです。
ただ単に答えを知りたいがために塾の先生に教えてもらう、というのであればお金を払っている意味がないんじゃないかと思いませんか。時間がかかったとしても答えはどこかに載っているわけですから。こもれびが行っているのは、「教える」というよりも、サポーターというか補助というか、「一緒に走って考える」というのが近いと思います。自分の頭で考える習慣を付けたほうがゆくゆくは自分で走っていけますよね。だから、長い目で見るとそれの方が良いのかな、と思うのです。例えば目の前にある数学の問題を解くにしても、自分で考える習慣を付けたほうが、その後塾の先生がいなくなっても自分で解けるようになるじゃないかなというふうに思います。

瞬間ごとの選択を見守ってくれていた

田邉:あと、親として子どもにどう接したらいいのか、という質問が結構多くて、特に親御さんの中からその質問が。これは1つ、志村と僕が共通しているのかな、と思ったのが、要は過剰に干渉されていないから、就活せずに今こうしてやれているということです。
僕は大学生の時は金髪でバンドをずっとやっていたんですよ。就活をしなくてはいけない、インターンをしなくてはいけない大学3・4年の時も、そのバンドと塾をやっていたんです。でも、僕はやっていることにそれなりに当時、その瞬間ごとに理由付けをしていて、今はこれで良い、今はこれで良い、というふうにやっていました。それを見ててくれたんですよ、親は。やりたいことをやらせてくれて、落ちない程度に見守ってくれていたのは、ありがたいです。
僕も1つには、就職してやりたいことが無かったから、というのもあります。だけど、過度に干渉されたり、何かの道に向かって「これやりなさい、あれやりなさい」と言われたりしたら、もしかしたら破滅してしまっていたかもしれません。そういう意味では「とにかくやってみろ。最悪の事態に陥った時には助けてやるから」という感じで、それまではほとんど口出しされなかったのは、今が良いのか悪いのか分からないですけど、まぁ良かったのかな、と今のところは思っています。

子どもは自分とは違う

志村:こうして僕らの意見を聞かれていると、「それが幸せなのかな」というふうに今度はなってくると思うですけど、僕らはこれで幸せなんだと思います。適度に親に放っておいてもらえて、自分のやりたいことがあんまり色んな干渉とかもなく、自由にできている。その代わり、結果を出すことに時間がかかったりとか、色んな実利的な面でのデメリットというのはあるのですが、それでもやっぱり自分たちのやりたいこと、思い描いていること、したいことができるということができるということの価値が何よりも高いんだって、僕らはそう思っているから、まぁ幸せなんですよね。
ただ、片や、そうじゃない人もきっといますよね。別に好きなこと、やりたいことを探してみたけど特にないし、そんなめちゃくちゃ興味を持てるものもないし、という人。そういう人はむしろ、色々決めてもらった方がやりやすかったり、楽しかったり、幸せだったりする、ということもあると思うんです。なので、今日は僕らの話ですけど、僕らのやり方・生き方みたいなものは決して何の正解でもないとは思うので。
一応これ、「思春期子育て講座」でしたもんね。なので、子育てという観点では、もう1つ今の話の流れで付け足すと、「子どもは自分と違うんだ」ということに尽きると思います。というのも、僕は僕の母親みたいな人間ではまったく無かったんですよね。まだ実家にいるので一緒に暮らしていますけど、毎日思います。母親を見ながら、「この人は自分と違うな」って。逆に言うと、「自分はこの人とは違うな」って今でも違うんです。それが嫌という意味ではなくて。だから、それって結局、親と子って血の繋がりですけど、やっぱり他人ですよね、最後の最後は。違う人間なので、親が子どもを、子どもが親を尊重し合える関係というのが一番いいんじゃないかな、と思います。
だから、僕も怖いですね。僕は今こうですけど、自分がもし親になったら、自分の子どもに自分の幸せを押し付けちゃわないか、すごく今から心配です。自分が今こうだから「やりたいことやれよ」、とか。「いいよ、学校の成績なんて」、とか。「流されないで、自分で考えて、自分の好きなことを自分で考えてやれ」、とか。僕はそういう教育をしちゃうかもしれないですね。それは悪いことではないとは思いますけど、でも、それが合わない可能性もあるわけなので、そうなってくると結局、子どもを自分とは違う人間として見てあげるという。で、その子がどうなったら、どうしてもらえたら一番幸せなのか、というのを考えてあげて、自分がしてあげることと、しなくて良いこと、しないであげられることを考える、というのがたぶん親ができることなのかな、と思います。偉そうになっちゃいますけど。

効率的な学習方法は無い

田邉:次の質問です。「効率的な英語の学習法があれば」。英語をしゃべれる方っていらっしゃいましたっけ、この中に。住んでいた、バイリンガル教育を受けた、留学した、日本にいながらずっと勉強してしゃべれるようになった方、いらっしゃいますか?
(挙手なし)
この「しゃべれる」というのはすごく度合いが分かれると思うんですよ。早くポンポン言えたらしゃべれるのか、というとそれは違うというか、まぁ色々あると思うんですけど。学習方法…英語の何を高めたいかにもよると思うんですけども、1つだけ言えるのは、効率的な方法は無い、ということです。めちゃくちゃ時間がかかるものです。
効率的な方法はないので、ある意味何をやっても無駄ではありません。ずっと歌を聴いても、ずっと歌詞を眺めていても、詩を読んでいても、本を読んでいても。
僕はずっと日本と海外を行ったり来たりしていました。さらには、どこにいようとずっと音楽を聴いていました。でも、それが良いのか悪いのかは分からないです。小さな頃からギターをやっていて、音楽が好きで、たまたま歌われている言語が英語だったというだけです。

志村:またこれも補足します。フランス語を一生懸命勉強した身からすると、英語だけというのが寂しいので英語とは言わず外国語なんですけど、英語の勉強というのが、今の話もそうですが、何を目指すかによるわけですよ。資格に受かればいいというのであれば資格の対策をするのが正解です。でも、「○○語ができるようになりたい」と言った時の一番のポイントは、「それには時間がかかるんだ」ということを覚悟することです。それ以外には無いかな、と思います。 
時間をかけずに、楽をして学ぼうと思ったら、これは断言しますけど、絶対できません。できないし、できたとしても自分が見限ったレベルまでですね。本当にやりたい、上手くなりたい、できるようになりたい、と思ったら、それには時間がかかるということを覚悟して、時間をかけてやることだと思います。

「一人ひとり」が浮き彫りになる時代

志村:次の質問です。読みますと、「北欧などでは学校で一人ひとりが違うことを学んでいるようですが、そういう一人ひとりを見てくれるような時代にはならないでしょうか」というご質問です。すごく大切な質問だと思うので、僕らの答えられる範囲でお答えします。
少しずつなっていくんじゃないかな、と僕は思っています。良くも悪くも一人ひとりというのが浮き彫りになる時代になると思うので。
失礼を承知で言いますと、たぶん皆さん、昭和の時代をよく覚えているご世代かなと思うんですね、多くの方が。僕らは平成生まれの生まれたてのひよっこですけど。そういう昭和から、僕らが高校生とかになる2000年くらいまでの時期を振り返ってみると、みんなが一様に、同じものを見ていた気がしませんか。同じものを見ていたというのは、みんながユーミンを聴いて、みんながあのスポーツ選手のことは知っていて、次の日どこかで会うと絶対、ニュースで話題になったあの話をして、という状況だったと思うんです。
だけど、今周りを見渡してみると、どうでしょうか。自分とまったく同じドラマを観ていて、まったく同じ音楽を聴いていて、まったく同じ映画を観に行っている人って周りにいますかね?これもいたら教えてほしいんですが、たぶんいないと思います。結構みんな、皆さんの読む本だったりもそうですけど、名作を読んでおけば良いというのではなく、みんな好き勝手に違う本を読んだりというふうに、要するにこれは教育に限らずなんですけど、色々なところで一人ひとりが自分のやりたいことを選べるようになっていますよね。
今の問題というのは、それがまだ教育に浸透していないことです。学校の外では、生徒たちも皆違うことをしていると思うんです。でも、今の中学生って分からないですよね。僕らでもたぶん、未知ですよ。ね、今の中学生の皆さん。たぶん普通にスマホ持っているでしょう。ちょっともう、想像の及ばない世界ですね。僕は自分が大学生になったタイミングでスマホが結構普及してきて、みんなLINE使うようになって。でも今っていうのは、LINEも昔からあるのが当たり前で。そういう今の中学生・高校生、まして小学生が見ている世界って、たぶん僕らが知っているのとぜんぜん違うんじゃないかな、って思います。学校の外、自分の見ていないところ、要するに先生も親も見ていないところで、何をしているか。ちょっと心配になると思いますけど。どうでしょうね、お父さんお母さんに言えないことなんていうのもあるのかもしれないですけど。そういう一人ひとり、ぜんぜん違うことをやっている。それがたぶん、メディアとか芸能の世界か、それこそYoutuberが典型ですね。Youtuberなんていうのは、あれは1人で完結していますから。1人で全部作れちゃう。それを、その気になれば100万人、1,000万人の人が観てくれる。すごいことだな、と思いますけど。で、こういう変化っていうのが、まだ教育には達していないように僕には見えてしまいます。Bさん、どうですか?

Bさん:はい、そうですね。流れとしては、そういう「個」に向かう方向に行くと思いますし、あとはそこに、ちょっと行政的な話になるんですけども、予算がきちっと行くようになれば、「個」の対応という、そういった部分はできていくんじゃないかな、と思います。

志村:ありがとうございます。本当にそうですよね。結構、色々なものが繋がって時代って動いていくと思うので、教育以外のものがガラッと変わったら、教育も変わらざるを得ないですからね。
ただ、北欧の真似事になってしまうと難しいところがあると思うんです。やっぱり、日本って人口が多いので。北欧と同じことを日本でやろうとすると、社会システムの違いとか、人の考え方の違いとか、人口、予算の兼ね合いで、同じものを作るのは無理だとは思います。そこで日本らしい、いやこの「らしい」というのはまた微妙な言葉なんですね。やっぱり今まで日本は色々なものを真似して、日本風にアレンジして上手くいったところとそうじゃないところがあると思うんですけど、北欧を見習って、良い方向に変わっていったらいいな、と思います。僕らもやれる限りのことをやるので。

習わなくても語学はできる

志村:次の質問です。1つ気になったのが、「スペイン語を習って、子どもたちとアルゼンチンを旅行したい」という方がいらっしゃるみたいで。もしお恥ずかしくなかったら、お話聞きたいなぁ、と思うんですけど。スペイン語を習いたいのはアルゼンチンに行きたいからですか?なんでアルゼンチンなんだろう、とすごく気になっちゃったんです。

Dさん:子どもが小さい時にアルゼンチンに少しだけ住んでいたことがあったのですが、その当時は子どもたちは日本に帰りたい帰りたいと言っていたんです。でも、今ちょっと大きくなって落ち着きまして、外国に今度は留学したいとかも言っているんです。だから、私はスペイン語をちゃんとやって、アルゼンチンの人とちゃんとコミュニケーションを取れるようになって、またその土地に戻ってみたいと思いまして。

志村:良いですね。またたぶん、言語を勉強してから行くと、見える景色とかが変わってくると思います。
あの、習わなくてもできますよ、勉強。結構、「○○語をやりたい」という人にありがちなのが、「やりたい」って永遠に言い続けることですね。たぶん皆さんもちょっと経験あるんじゃないかな。まぁ英語しかやってこなくて、英語もそんな面白くなくて、テレビで見た○○語とかやってみたいけど、「やってみたい」ってずっと言っているわりに、5年経ち10年経ち、みたいな。
僕もあるんです、そういうのが。フランス語はまぁ、大学の1年からずっとやってますけど、ロシア語を僕ずっとやりたかったんですね。で、「やりたい」って3~4年言い続けて、今ようやくやり始めました。それも別に習っているわけじゃなくて、本を買ってやってるんです。
そう言うと、「いやぁ、自分で語学書を買って勉強するなんてハードルが高いわ。難しいもん」っておっしゃる気持ちは分かるんですけど、それを押し殺してまずは買う。まず、気になった参考書とかを買って、自分のテーブルに置いておくと、その子が「見てよ!」って言ってくるので(笑)。分かりますか?(笑)だから、まず勉強しなくちゃいけない状況を作っておく。で、買って本棚に置いてあると申し訳なくなってくるので、そのうち「ちょっと見てみようかな」ってやっているうちに、吸い寄せられて、気づいたらやっている感じになると思うので。もしそういう素敵な夢がおありなら、まず買ってみるといいと思います。それでもう少し勉強が進んだら、スペイン語の先生を探してみてはいかがでしょうか。

夢の待ち方

志村:そろそろまとめにかかりたいと思います。
最後に、今目に入ったご質問を読みます。「高校や大学に進学する時、もし将来の夢や仕事が決まっていない場合(迷っている場合)、何を基準に勉強したいことを選択すればいいのか?」というものです。これ、みんな共通の大きな悩みだと思います。
ちょっとここで、上手い具合に本日のタイトルに持っていきますね。今日、「夢の待ち方」っていう名前で講座をやっているんですけど、これは僕が発案したものです。というのも、さっきの話のように、僕は中学の頃は思いっきり理系少年だったので、自分は将来、宇宙物理学者になるものだと思っていました。だから高校に行ってもなんとなくそんな気がしていたから数学をやってたし、一方で古文漢文はめちゃくちゃでした。赤点でした、僕も。で、そしたら3年生には文転ですよね。理系で来たくせに、「なんか、別に研究しなくていいや」ってすごい思っちゃったんですね。理系行って、別に研究に携わりたいわけじゃないことに気づいてしまったのと、あとはその頃からちょっと音楽とかに興味を持って、芸術とか言葉とかに関心を持ち始めたので「なんだかな」って思っていたのです。
さっき心理学部というのもちょっとお話ししましたけど、それはその間をとったわけです。現実的なところで。心理学部って、ご存知かどうか分からないんですけど、あれ、文系です、一応。今の日本の分け方で言うと、文系。だから、首都大学東京の人文社会系に入ってました。だから、数Ⅲ・Cをやらなくていいし、受験の科目選択で自分の好きに選べたんですね。そこで、数Ⅱ・Bまでは得意だったので、それを使って受験ができました。
だから、当時の僕は、自分の興味があったものに興味を失ってしまい、漠然と何かやりたいけどそれが何かは分からない、という状態です。その時まだ僕フランス語に出会っていないですので。そのような、「理系じゃない」ってことが分かっただけで、「これだ!」っていうものにはまだ何一つ出会っていない状態で僕がした選択というのは、とても現実的なものでした。自分が今まで勉強していたことを適度に活かしつつ、まぁなんとなくやりたいこともできそうな気がする心理学部。で、そこに入って、さっきのお話に戻りますけどドイツ語をやって、これは本当に偶然、たまたまその先生に出会ってフランス語を始めた。
最後の最後のこの「フランス語に出会う」というところは、僕に関して言えば本当に偶然です。偶然なので、運が良かったと言えばそれまでです。だから、こういう運の良い経験というのを、みんなができるかっていうとそうじゃないと思います。自分の大学生活を振り返ってすごく運が良かったなって思います。
じゃあ、何もしなくていいか、っていうと違うんじゃないかな、と思うんです。先ほどまでの話に戻りますけど、一応ちゃんと受験勉強やっていたんですね、僕も。これだけ言ってますけど。やっぱり今はまだ、点を取らなくちゃいけない世の中だから。嫌々言いながらも、まぁ、受験勉強をしました。その結果なんとか大学にも入って、それで最終的にそういう機会に恵まれたわけです。
なので、この「夢の待ち方」っていうことに関して、やっぱり一番大事なのは、「その時々できること」じゃないかな、って思います。こう言うと元も子もないんですけど、自分のやりたいこと、これは気持ちの問題ですね、それと、できること、これは自分の能力とか、もちろんお金の話とか色々あると思うんですけど、そこの兼ね合いで、その時々一番いいな、って思ったものを選んでいく、選び続けていく以外に、なかなか、それしかないのかな、って思います。
で、そうしていくうちに、やっぱりそうやってその時々必要なものを選んでいると、何かが回ってくると思います。さっき「運」って言いましたけど、やっぱりその時々の自分に正直で、その気持ちを大切にして、考えあぐねながら色んなことを真面目に、この「真面目に」っていうのはバカ真面目とは違いますよ。真面目にやっている人の元には、何かが来るなって、僕の周りの尊敬している人たちとかを見ても思うんです。なので、そういうふうに「今できること」をやって、その結果、「これだ!」ってものに、それを夢と呼ぶのであれば、夢に出会うのを待っているというのも1つのあり方なんじゃないかな、と思っているのです。

僕らからの話はここまでになります。皆さんお聞きくださってありがとうございました。

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