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たいていの人が忘れられて死んでいく

たいていの人が、私を含め、特に名を残さずに、いずれは忘れられる運命の中で生きている。

一角の人物でありたいという下心が最近まであった。けれど、下心だけで現実にはならず、もう 30 歳になった。

もういいか。

と思う、諦めた。

しかし、諦めたのは、熱く生きることではなくて、下心だけである。

生きることは一種の燃焼であると川喜田二郎(KJ法の開発者)は言った。

私はそのことを自覚して生きようと思う。

『嫌われる勇気』で著名の岸見一郎は、「いま、ここ」を生きる生き方を物語の終幕で示した。その生き方は、ダンスに例えられた。

しかし、「いま、ここ」というより「時間を忘れる」の方が私にとってはしっくりとくる。時間の中で生きるのではなく、時間が意識されない運動。

それはまさしく、夢中になってダンスすることであって、時間とか自分とかが忘れられて、置いてけぼりになるような、情熱である。

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しかしながら、なんでこんな熱っぽいことをつらつらと書いているのだろうか。

どうも晩酌の黒霧島が効いているらしい。

けれどまあ、酔った勢いでないと言えないことを保存しておくのもいいのかもしれない。ここにメッセージとして残しておいて、明日の自分に読ませよう(毎日投稿のこの記事は、いつも前日に予約投稿をしています)。

冷めた頭で読んだときに、恥ずかしくなりませんように。

そしてどうせ、いずれ忘れられるあなたへ(失礼か)。



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