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かわいいの「本音と本質」
【メガネをかけた不機嫌な少女】
子どもの頃。
母親からよく「ドナルドダックの口はやめなさい」と言われていた。
私の唇は元来分厚い方であった上に、
事あるごとにそれをぶーっと突き出しているような子どもだったからだ。
今にも繋がりそうな濃くて太い眉に
牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけた不機嫌で生意気な少女がそこにいた。
もちろん可愛いねと誰かに言われれば、それなりに嬉しくはあったのだろうが、
その頃は(恐らくその年代の多くの子どもがそうであったのと同じように)自身の容姿などどうでもよく、他に関心を払うべき楽しいことが山ほどあった。
しかし、中学、高校、大学と年齢を重ねていくうちにそういった状況は大きく変化していく。
一端のティーンエイジに差し掛かる頃から途端に
『かわいくなりたい』と思うようになったのだ。
物心ついたときからかわいいものは好きではあったが、
「自分がかわいくなりたい」というのは
後天的に得られた欲望だった気がする。
自身の容姿に対する関心というのは、
思春期を迎える子どもたちの多くが持つものではないだろうか。
だからきっと、ここには色んなエピソードを沢山の人が持っていると思う。
もちろんそんな関心など全くない人もいるだろうし、あるとしてもその関心がどのようなベクトルに乗って現れるのかは、
それこそ十人十色、千差万別だと思う。
良し悪しなどない。
「かわいくなりたい」
KAWAIIという世界に通じる日本語にまでなった、
この言葉の持つ不思議さを考えた。
そして「なぜかわいくなりたいのだろうか?」「何の為なのだろうか?」
そんなことを考えながら、私はいまこの文章を書いている。
日本中を取り巻くこの「かわいい」の正体を少しだけ知ってみたい。
そんな気持ちだ。
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