死とは、何か?宗教とはなにか?
いや~本当は、何回かに分けて書こうと思ったんですが、やっぱり一気に書いたので、超長文ですが、公開w
本に書いてあることもありますが、違うところから仕入れたことも混ぜて書いてますw
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死んだらどうなるか、自分で決めなさい
橋爪大三郎著 ダイアモンド社
死ぬとどうなるかを考える。
「生きる」は、体験できるが、「死ぬ」は、体験できない。だからわからない。
大昔は、やっぱり死んでいなくなるが怖くて、恐ろしくて、小さな集団や村単位で考えた。
「死んだらなくなるんじゃね?」「違うのもの生まれわかるんじゃね?」「違う世界に行くんじゃね?」って
小さな集団は、同じ考えだからそんなもんかで良かった。長老がそう言ったからそうなんだろうなで良かった。
それが、移動できる範囲が大きくなり、影響も大きくなり、集団が合体して、吸収して、集団が大きくなる。そうすると、死への考え方が統一して宗教ができる。宗教イコール文明である。
キリスト教 > ヨーロッパ
イスラム教 > イスラム
ヒンズー教 > インド
儒教 > 中国 (宗教?w)
仏教 > アジア一部
ということで、それぞれ見ていく
【一神教】
一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
人間は神が作った。世の中みんな神が作った。神に体を与えてもらっている。
死んでも死なない。復活がある。死んではいるけど、復活の時を待っている。復活したら死なない世界に行ける。
一神教に死者の国はない。復活するまでどこかで待っている。
体は神からの借り物。そこまではほぼ一緒。
この3つ(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の大きな違いは?
ユダヤ教は、ユダヤ人だけが救われる。救われたいならユダヤ人になればいい。
キリスト教は、ユダヤ人じゃなくても、神を信じていれば救われるんじゃね?でも、結構規律があるよ。離婚しちゃだめとか。
イスラム教は、規律も(キリスト教に比べたら)ゆるく、お祈りしておけば救われるんじゃね?
厳し目だった決まり(ルール)が、時代を越えて、みんなを巻き込みたくて少しづつゆるくなっていく。(これは仏教の宗派にも言えるw)
【多神教・ヒンズー教】
因果論からできていて、原因があり、結果がある。宇宙すべてが私に影響している。私が全て(宇宙全体)に影響している。人間が宇宙であり、宇宙が人間である。なので、瞑想すると自分を見つめて自分がわかり、さらに宇宙すべてが分かる。いや宇宙がわかるから自分がわかるのかも。それが悟る(覚る)。悟るまでは死ぬと生まれ変わるを繰り返す。つまり輪廻する。行いが良ければカースト上位に行けるかもしれない。行いが悪ければ、下位に落ちるかもしれない。悟ると、輪廻から外れ天上に行く。
因果論だけあって、真理追求を考える。
【多神教・仏教(日本以外)】
ヒンズー教から生まれてきた。瞑想して、悟れば仏になる。もう輪廻しなくなる。輪廻しないということは、存在しなくなる。ただ、悟って仏になっても、人間と生き続ける。釈迦は死んで存在しなくなり永遠のブッタになった。悟りを開いたら仏になれる。仏になれるといろいろなブッタになる。そこになるために修業をする。様々な方法で。そして、悟りを開いた仏は、仏国土・極楽に行ける。悟りを開かなければ輪廻する。
修行する(原因)>悟る(結果) 因果論
修行には、密教や、座禅を中心とする禅宗がある。
【儒教儒学・中国】
儒教は神を信じない。儒教はほぼ政治学。中国は、大きな人口を抱えて、北の騎馬民族を恐れてながら生活していて、国としての統制を取る強力な国体制が必要だった。そのため儒教だった。皇帝が中心にいる。つまり多くの人口を抱えて農業を中心とした国をまとめるために儒教が発達した。忠孝(忠:皇帝を敬い忠誠心を誓う。孝:一族の長老を敬い・親を敬う。)なので、国をまとめてもらうためであれば、多少の皇帝のワガママは許されるw
さて死をどう考えるかというと、死後は知ったこっちゃない。なぜなら、税金も払わない人は、用なしである。儒教は、宗教というより政治学に近いとはこのためである。今の中国共産党の宗教禁止も似たようなものである。だから儒教は、儒学とも言う。でも、中国人も、死は気になる。なので、補完するために、仏教や道教がある。
道教は、輪廻(人間界だけでなく、修羅・餓鬼・畜生・地獄も含む)があり、そして地獄の死者の国がある。死者の国では死者として生きていくことになる。(日本でいうと黄泉の国ということになる)
【日本人・神道?仏教?】
古事記によると、死者は黄泉の国に行く。しかもイザナミは、神でありながら死ぬのである。一神教の神は絶対に死なないが、日本の神は死ぬのである。
神話による神道の考え方があった中、538年仏教が伝来してくる。ただし、この思惑は、宗教だけというより先進国中国の政治とセットで入ってくる。ココから先は、天皇・仏教・摂関と三角関係の政治の花形に
あまりにも仏教が力をつけすぎたので、政治とは程遠い仏教だけの教えを最澄と空海に留学させて権力から離させる。
神道は、死は穢れだとする。仏教は合理主義(因果論)、死体を恐れない。だから日本では、葬式をやらせるのに丁度いい。なので、日本では、葬式を担当するのが仏教になった。(江戸時代)
神々を祀る神道と真理を悟る仏教が、平安時代に歩み寄り始めた。仏教(インド)の菩薩たちが日本に降り立って神々になったといっしょくたになった。神仏習合である。
ヨーロッパの一神教でもあったが、最初は厳しい教え・しきたりや修行が必要だったが広めるに当たり柔らかくなる。要は多くの人を入れたいために信者を増やして権力を収入を増やしたいと。だから念仏を唱えれば救われる。座禅をすれば救われる。つまり仏になって、極楽浄土に行ける。そのほうが伝えやすいし、民衆を巻き込みやすい。もともと、各宗派は、学説と一緒で大学で学科やゼミの指導教官が違うぐらいの関係、こんなこといっている人がいるっていう研究レベル。だからお互いに、認めることができる。法華宗を除いて。(法華経は、他を認めないので)
江戸時代に入り、「寺請制度」ができる。つまり村・部落の行政は寺に任された。住民票=過去帳、教育機関=寺子屋、町の相談役=住職と。それぞれの部落でそうなると、すべての宗派が統一化された。死後の世界がなかった禅宗も、すべての宗派が、死んだら三途の川を渡り、あの世に行く(神道の黄泉の国なのか道教の死者の国なのか仏教の地獄なのか)戒名をもらって仏になっていれば極楽浄土に行く。法要も戒名ももともと仏教になかった。今でもこの考え方が多いのでは?寺請制度により基本お寺は布教をしてはいけなくなった。なので、その部落を守るためだけに存在する。まあ、明治になって廃仏毀釈となり、神道を中心として、国を統一させるために使われたりするのであるが。また、江戸後期国学が流行り、霊という考え方が出てくる黄泉の国に行くのではなく、霊はそのへんを漂っている。さらに国のために身を捧げた人は英霊となる。霊となって、子孫を見守る。家では、戦死者は、仏壇に戒名を付けられ位牌として置かれるが、同じ人が、国としては英霊として靖国神社に祀られる。この時代の日本人は、2つの死がある。
ここで面白いのは、脳死に対する考え方。一神教の皆様は、体は神からの借り物なので、神から与えられた本人が良ければ、臓器提供が許される。家族の入る隙間はない。しかし日本では、家族の意思も尊重される。これは場を重視する日本ならではかもしれない。
【じゃあ、どう死を考えるか】
いろんな考え方があるのは今まで述べた。その中で自分はどう考えるかを考えていてもいいのではないかと。
他の人間や動物に生まれ変わる→インドの宗教(輪廻)
別の世界で永遠に生き続ける→一神教
すぐそばで子孫を見守る→日本の宗教
子孫の命の中に生き続ける→儒教・道教?
自然の中に還る→ユニタリアン
完全に消滅する→自然科学、唯物論
一つでもいいし、それぞれのいいとこ取りでもいいw
自分が死ぬということは、周りの人を認識している自分もいなくなる。なので、自分が存在しなくなると周りも存在しなくなるという考え方もある。つまり、自分の死=世の中の死。
生きるために死を考える。今を楽しむために死を考える。そして、いろんな考えたがいるのも、理解しよう。受け入れよう。そうすると、争いごともなく楽しい。どの宗教を選んでも死は来る。勝手に来る。でもそういう考え方や生き方があるのを知ることで、人生がゆたかになる気がする。
私もこの本を手にとったのは、はやり私が2021年9月に倒れたからかもしれない。でも、それをきっかけに新しい知識考え方が生まれた。うれしい。また、この本に書かれていることだけではなく、私が色んな所から仕入れた情報も、入っているので、注意が必要です。
でもぜひこの本を読んでみてください。
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認識違うんじゃね?
ここはこう捉えたほうがいいんじゃね?ってのがあったら、
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