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自分は、どんな生き方をしたいだろう?
どんな人たちと一緒に生きていきたいだろう?

自己顕示欲を満たすだけのなんちゃって起業家?
違う。

私は、恐れ多くも
「社会をよくしたい」んだ。

志や使命を持って、挑戦する人がたくさんいればきっと社会はよくなる。
そんな人がやる仕事は面白いし、そんな仕事がたくさんある地域はきっとこの先もどんどん発展していく。

だけど、自分たちだけで頑張っていても多分足りない。
同じ志の仲間を増やし、つながる必要がある。

100年後の未来を描くために。

「100年後も家族で暮らしたい金沢をつくる」
この大きな目標を掲げて事業を始め、もうすぐ4年が経ちます。

金沢の街並みを守っていくゲストハウスや町家一棟貸しの宿事業を始めてから、ずっとがむしゃらに、全力で走ってきました。

2020年、予想もしていなかった「コロナショック」という事態に直面して
「なぜ、自分たちはこの仕事を、事業をやるのか?」というところに、改めて立ち返りました。

「100年後も家族で暮らしたい金沢」のために、いま私たちがやるべきことは何か?コロナショックで観光産業が大打撃を受けた今の状況は、金沢の100年後にも起こる可能性のあること。


観光による消費だけに依存しない、本当の意味で豊かな100年後の金沢のために、私たちにできることは何だろう?

思い当たったのは、金沢に来てから自分自身がずっと感じていた「歯がゆさ」でした。

金沢は、自然も文化も当たり前に生活に溶け込んでいて、いつでも季節を五感で感じられる
本当に豊かで、人間らしい暮らしのできる良いまちです。
でも正直、こうも感じます。
「地方は、暮らしやすいけれど働きにくい」。

大学生が卒業後、金沢にとどまらずにどんどん東京など大都市へ出ていこうとする現実。
一度県外に出て、金沢での暮らしが恋しくなりつつも
仕事や金銭面のことが気になってUターンに踏み切れない友人たち。

考えてみれば、私が結婚を機に金沢に移住することを決めたとき
それまで働いていたリクルートでの営業というキャリアを生かして転職することを選ばず
自分で起業をした理由の一つも、
面白そう、やりたい!と思える仕事を当時の金沢に見つけられなかったからでした。

起業してたくさんの挑戦やチャレンジをして、つまずいたり悩むことももちろんありましたが
振り返ればいつも充実していました。
自分が大切にしたいことを大切にして、より自分らしい生き方ができている気がします。
ただ正直に言うと、リクルート時代の方が年収は高かったです。
そしてそれが、「地方は、暮らしやすいけれど働きにくい」と感じる理由の一つでもあります。
「収入が稼げて、かつ、やりがいのある面白い仕事が少ない」のです。自社も含めて。

金沢は本当に良いまち。
観光でなら、「おいでよ!」となんの遠慮もなく言える。
だけど仕事の面を考えたとき、「移住しなよ!」と100%自信を持って言えない自分が今はいます。

それが本当に悔しくて歯がゆい。

人材業界で働いていたころ、自分のやりたいことより勤務条件ばかりを優先するクライアントを見て
「本当にそれで良いのかな??」と、ずっと疑問に感じていました。
個人の自由といえば、そうかもしれない。
でも、「働く」と「生きる」が別々になって分離している生き方をして苦しくないんだろうか?
そして今の地方は、「働く」と「生きる」のどちらかしか選べない場所になっていないか?

コロナショックで、これまでの「働く」のあり方は一変しました。
協業者やプロジェクトメンバーとして会社名の看板を背負わず、場所の制約なく、
「自分」個人として仕事に関わる方と知り合う機会を、最近多くいただいています。
「自分の会社で正社員として雇用する」という形式だったら、おそらく出会えなかったような人たち。
たくさんの学びがあり、「面白い仕事」をこういう人たちと一緒に作っていきたい、とワクワクしています。

力さえあれば、どこでも自分の選択した場所で生きられる時代がやってくる。
「生きる」と「働く」の方向が一致した生き方。
しかしそれができる人が、今現在どのくらいいるだろう?

もっともっと、金沢に面白い仕事をふやしたい。
そして、面白い仕事は「志を持って挑戦する人」から生まれる。
「志を持って挑戦する人」は、「生きる」と「働く」の方向が一致している人。


金沢を、そんな人たちの増える起点の場所にしたい。
そうすれば金沢は、きっと発展し続けるまちになる。
住みたい人・帰ってきたい人も、迷わずその選択肢を取れるようになるんじゃないか?

金沢出身で金沢を愛する夫は、夫婦で起業すると決めたとき
「やるなら、金沢のためになることをしたい」と言いました。

愛知県出身で、結婚を機にたまたま金沢にご縁した私が、その夫と一緒に事業をやる意味。
それは、「金沢に面白い仕事を増やすこと=面白い仕事を生み出せる人を増やすこと」。


そうすることで、金沢を
「発展し続ける面白いまち」

「自分の子どもや孫が、未来を描けるまち」にすることです。


100年後の金沢を、金沢らしくさらに未来が描けるまちに。
その同志を、増やしていきたいな、と強く思っています。

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