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正しさを押しつけて人を変えようするよりも、自分を整えるのに集中する
私たちは「自分が正しい」と思いながら生きています。
「自分は間違っているかもしれない」
と逐一検証している人は、あまりいませんよね
(科学者は仮説と検証を繰り返していますが)
「自分は正しい」と思うおかげで
前に進めるのですが、それが度を過ぎると
人を責める事態につながってしまいます。
「正しさからはみでているのは間違っている」
そもそも、正しいって誰が決めたんでしょうね?
時代、社会、人によって正しさは変わるし、
なんなら日によってコロコロ変わるかもしれないのに。
「正しさに安心を求めてはいないか?」
”右ならえ”で人に批判されなくて安心するけど、
「本当の自分を生きているのか?」と問いかけると、
不快という澱が心の奥底にたまっているのに気づく。
「裁きは支配」
自分の思う通りにいかないと人や自分を
責めて支配したくなる。
「あなたは○○をするのが正しのいよ。
あなたのためを思って言っているのよ」って
押しつけて破壊しているのに気づかない。
もしかすると、
破壊するのが素敵と思っているから支配している?
相手を裁き始めたら一旦止まってみて。
その裁きは誰から受け継いだもの?
私の記憶をたどっていくと、
母親が「言うこと聞いてくれなきゃいやだ!」
と私を親にして子供返りしている姿が浮かんだ。
私は怒りをもって、駄々をこねている親を断ち切る。
人と人は尊重し、活かし合って生きていますよね。
どんなに理不尽なように見えても、
その人の感情が辛いのであれば正しさを
押しつけるのは暴力となる。
暴力という支配に甘んじてもいいし、
甘んじなくてもいい。
人は複合的にできているから、
ちょっとやそっとでは変わらない。
だとしたら、正しさを押しつけて人を変えよう
としゃかりきになるよりも、自分を整えるのに集中する。
「自分に優しくして安心感を与えてあげる」
すると、裁きという支配に距離を置き、
空白が生まれて自由で楽しい本来の自分が顔をのぞかせる。
頭の中が静かになると
「今まで頭の中には責めやさばきでいっぱいだったんだ!」
と驚くとともに、穏やかでクリエイティブな自分に戻って
ただ無邪気に遊ぶ喜びを感じるんです✨
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