見出し画像

自由になるために主観をはずして客観的データをとる

私たちはつながり合っていて、遠く離れていても通じ合っている。だから人の痛みや喜びを自分事のように受け取る時がある。
 
ただ生きているだけで無意識下で分かち合っていると思うと、生きているかいがあるというものです。
 
人は人を助けたいと思う生き物。でも「人は困っている」という前提があるとしたら。
 
以前の私は「困っている人」を見つける天才でした。なんでも自分の責任にしてしまい、「困っている人を助けなくては!」と思い込まされていたんです。
 
私の目からは「辛そう、苦しそうで困っている」ように見えても、本人は案外困っていなかった場合が多くあり、自分の「困っている人発見器」のセンサーが暴走していたと気づいたんです。
 
完ぺきに主観でものごとを見て、エラーを起こしていました! 
人の気持は分からないし、相手のためになっていないかもしれませんしね。

困っているセンサーが暴走するのは、「母親が苦しそうなので助けなくては」という思考を入れられていたから。この主観に引っぱられないために客観的情報で物事を見る訓練をしました。自由になるために。
 
相手が話した言葉をデータとして脳内にインプットして、そのままアウトプットする。客観的なデータで無意識の世界へ没入すると視野狭窄状態がとかれて視野が広がって、見えなかったものが見えるように
 
エラーだらけの私だから、エラー以外の無意識が働いてくれていたんだ!
 
話を興味をもって楽しく聞くとお互いの無意識が働いて、幾重にも重なっている新しい物語が生まれます。大河の一滴が海の一部となって、自由に踊り出すんです。私たちの知らないところで🌊

いいなと思ったら応援しよう!

kiyomi
読んで下さり、ありがとうございます!サポートに頂いたお金は、noteの他のクリエイターのサポートに使わせて頂きますね♪