メディア芸術祭に関する個人的な感想
先日、第25回で作品公募が中止されることが発表された文化庁メディア芸術祭について、その公的な立ち上げからの経緯に関する総括的な記事(https://natalie.mu/comic/column/492980)を書いた。
ここではそういう媒体に書くまでもないような瑣末で個人的な感想を書きつけておく。
誰も知らないイベント
私がメディア芸術祭を知ったのはたぶんゼロ年代はじめ頃、なにかの取材後に渋谷辺りをウロウロしていたら偶然展示をやっているのに行き当たったからだ。
当然それが「メディア芸術祭」に関連するものだなどということは知りもしなかったし、展示内容もよく覚えていないのだが、そのときのことは強烈に記憶に残っている。なぜなら、会場で小野耕世さんと出くわしたからだ。聞いてみたら小野さんは審査員をやっているのだという(なので小野さんが審査員に入っていた2001〜2003年の写真美術館での展示のどれかだったのだろう)。
まあ、こんなの滅多にないレアな経験なので、当時付き合いが出来始めていたマンガ批評や研究の関係者に会うたびに「こないだこんなことがあった」的にその話をしたのだが、話す相手、話す相手、誰もその催しのことを知らない。
このため、私にとっての「メディア芸術祭」の最初の印象は「大きな会場で派手にやってるのに、知り合いの業界人が誰も知らない謎のイベント」というものだった。
「国営マンガ喫茶」騒動
その後もたまたま地元でサテライト展示をやってるのを発見したりして、偶然に近いかたちで何度か受賞作品展や関連展示を見たが、私自身はこのイベントに対して継続的な興味を持ち、追っていたわけではない。
飽くまで「なんとなくやっているのを知っている」程度のものだ。
そういう希薄な関心が多少なりとも積極的なものになったのは、2009年に「国営マンガ喫茶」と揶揄的に報道され、けっきょく白紙撤回された「国立メディア芸術総合センター」構想が発表されたことによる。
このときのことは連載していたWired Visionの記事で二度ほど書いた(http://archive.wiredvision.co.jp/blog/odagiri/200905/200905261400.html、http://archive.wiredvision.co.jp/blog/odagiri/200906/200906231300.html)が、じつは当時一番疑問に思っていたのは、新聞やテレビなどの報道、あるいはネットなどでの発言では、この施設のことを、それが自明なことのように「マンガ、アニメの専門施設」あるいは「メディアアートの専門施設」として断定的に語り、批判したり擁護したりしているように見えたことだ。
先に述べたように、きわめて薄い関心しか持たなかったにしろ、私は「メディア芸術祭」自体を実際に見ていたため「メディア芸術」がそのどちらでもない(あるいはどちらでもある)ことだけははっきり理解していた。
「国営マンガ喫茶」というタームに象徴されるようなその種の誤解が、当時から現在に至るまで「メディア芸術」に関しては一番大きな問題なのではないかと思う。
ジャンル横断的な議論の可能性
この点は「2022年度の作品公募をおこなわない」という文化庁からの発表以降、SNSなどで見られる少しナイーブに思える反応に対しても似たようなことを感じる。
ナタリーの記事にも書いたが、私自身は展示としての「メディア芸術祭公募作品展」のおもしろい点は前衛的なアート作品からコマーシャリズムど真ん中のエンターテイメントまで、およそ異質なものが混在している点にあると思っている。
ただ、この催しは公募展であるため、結果として時代性の発露をそこに見ることが可能だとしても、ジャンル横断的な批評性を持ったキュレーションがそこでなされているわけではない。
その意味では現在のパッケージングは、ジャンル間の相互交流や横断的な議論の場を提示するために必ずしも有効とはいえないだろう。
もちろん私自身がパネラーとして参加した2020年からおこなわれている「部門間クロストーク」のような試みはあるし、なにより2009年の「国立メディア芸術総合センター」構想の頓挫を受けて、2009年から2011年にかけて「メディア芸術」そのものを問い直すような議論が活発におこなわれていた。
今回、原稿を書くにあたってその辺の事情を調べ直し、この時期の自己批判的な議論が東日本大震災の発生によって断ち切られたかたちになっていることを知って唖然とした。
「メディア芸術祭」の終了をこうしたジャンル横断的な議論の可能性の有無ではなく、今回の報道やネットでの発言にしばしば見られる、メディアアートやマンガ、アニメーションといったジャンル、業界の損失として捉える発想は、むしろ震災以降の日本社会における「分断」を象徴するもののように感じられなくもない。
「役割を終えた」ということの意味
最後に文化庁からのコメントとして報道されている「メディア芸術祭は役割を終えた」という発言について私見を述べておきたい。
私個人はこれは妥当といえば妥当な判断なのではないかと思う。
というのは、そもそも「メディア芸術」という概念やメディア芸術祭というイベントは「クールジャパン」などという言葉がまだ存在しなかった90年代中盤、日本国内の保守的な文化、芸術観をもった層に対して、マンガやアニメ、ゲームといったポピュラーカルチャー、旧来的な芸術観からは理解しがたいテクノロジーを活用したアート作品などの(当時は一般的に認められていなかった)文化、芸術的価値をうやむやのうちに納得させてしまうためにつくられたスプリングボード(のひとつ)なのではないかと私個人は考えているからだ。
べつに当初からそれが意図されていたとは思わないが、芸術選奨にメディア芸術部門が設けられ、日本芸術院にマンガ部門が新設された現在、結果的に「マンガ、アニメは芸術ではない」などとはいえなくなっている。
その意味ではメディア芸術祭は「役割を終えた」といえなくはないと思う。
逆に、文化庁含め「メディア芸術の国際的な情報発信」といったことが主張されることには違和感しかない。
「メディア芸術」という文化カテゴリは日本にしか存在しないため、そんな枠組みを使って海外に情報発信したところで、どこにも届きようがないだろう。
個人的な感想として、「メディア芸術」の役割にしろ、可能性にしろ、まずそれが日本ローカルな文化、社会状況に根ざして日本人向けにつくりだされた概念だということを認めることからはじめないとなんら実のある議論を生まないのではないかと思っている。
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