心理職を目指すきっかけは“しつけ虐待”
原体験は父の“しつけ虐待”
私の父は昭和一桁生まれの電気工学のエンジニアだった。服装は常にきっちり、ズボンに折り目がないと履かない。革靴も常にピカピカ。部屋も引き出しの中まで整理されており、年末は家の中で最初に大掃除を始める。家では母や妹も含めた家族とほぼ口を利かず、土日になれば部屋でほとんど趣味のステレオで音楽を聴いている。
そんな父には地雷があった。食事のマナーが悪い、母に口答えしたなど、彼の道徳規準に私が反することだ。いつもは無表情の父の顔の形相が途端に変わり、怒鳴られる。時には平手が顔に飛んでくる。日常で普通のコミュニケーションがあって、時折怒られたり、叩かれてもそのあとフォローしてくれれば心はケアされたと思う。しかし父はそれが一切なかったので、私にとってはただの恐怖対象でしかなかった。
そのせいで私は10代は父の足音にも怯えるようになり、会話をすることはまったくできなかった。私には優しかった母も、父が私を叩いている時には、怖くて一切口が出せなかったと後にこぼしていた。
最近になって、あるカウンセラーの先生にこの経験を話したところ「それはしつけ虐待ですね」と言われた。「えっ、僕は虐待を受けていたのか…」と父が認知症を経て数年前に亡くなったあとで知った。
「教育虐待」の親子の記事がきっかけ
父との対話がなかった原体験は、私がコミュニケーションを20年以上にわたり学ぶ要因となった。それをもとにして管理職研修の講師として、部下とのコミュニケーションの方法を伝えてきた。ただ自分の中に浄化しきれていない何かがあった。
そんなある日、朝日新聞オンラインの記事に目が止まった。「教育虐待」をした父親と子どもの記事だ。その父親は高学歴。息子を進学校に入れようと指導していたが、思うように成績が伸びないことに次第にイラつきだし、大声を出して怒鳴ったり、机を叩いたりした。息子の学力は上がるどころか、会話ができなくなり学校にも行けなくなった。その状態にショックを受けた父親はあるNPOに参加することで、息子との関係性が改善し、一緒にサーフィンにも行けるようになった、というものだった。そのNPOとは、DV虐待加害者を更生支援をしている団体だった。
私はその記事を読んだ途端に衝撃が走った。自分の中に浄化しきれていなかったことの答えがここにあるような気がして、いてもたってもいられない状態になった。そしてすぐにホームページを調べ、電話をして、手伝いをさせて欲しいと願い出た。
DV加害者更生NPOでボランティアをしたが…
DV虐待加害者が毎週15名ほど集まるそのNPOでは、60代以上の女性が中心となって、心理学を用いたレクチャーやカウンセリング、自助グループ的な体験談の共有を行っていた。加害者は9割が40代前後の男性が中心。参加動機は、奥さんにここに行かないと離婚だと言われた、帰宅したら奥さんと子どもが実家に帰っていて離婚届けだけが置かれていた、離婚調停中で弁護士に紹介されたなど様々だった。
毎週のように通ってきて、毎週のように涙を流し次第に発言や行動が変化してくる人もいれば、一向に変わる様子がない人、自分では変わったと言っているが、奥さんからは信用していないと言われている人など、多様な状況の方々が一堂に会していた。
2年ほど毎週のようにボランティアとして通ううちに、次第に疑問が生じてくる。そのNPOは参加費が安い、アットホームな雰囲気、同じような境遇の方が一同に集まる、など自助的な意義は確かにあった。その一方で、運営側に精神科医はもちろん、心理職などの専門家が一人もいなかった。
家族を失いかけている彼らが抱えている葛藤や悩みは、かなり深いものであった。なので、何度も通ってきても本質的な意識や行動変容の支援にはつながらないケースをいくつも見るようになる。そして、彼らと対峙するには、中途半端な知識や方法では太刀打ちできないことを痛感するようになった。
DVや虐待などがない幸せな家族を
そんな中、DVやアダルトチルドレンなどの著書を出されている先生が関わる、カナダで開発されたDV加害者更生プログラムを実施するNPOがあることを知る。私はそのNPOのトレーナー養成プログラムを受講し、ボランティアとして参加するようになった。ただ、こちらのNPOは全員が精神科医、臨床心理士・公認心理師、精神保健福祉士などのプロフェッショナルであった。
彼らの臨床心理学の知識や心的な悩みを持つ方へのカウンセリング経験を目の当たりにして、私は初めて公認心理師・臨床心理士という資格に興味を持つことになる。
「DVや虐待などがない、温かい幸せな家族があふれる世の中にすることに少しでも貢献したい」
自分のこの先の人生を考える中で、これが強い動機となって、50歳超えてから心理系大学院を受験することを考えるようになった。