怒りで幸せを取り逃がす
怒ることはたぶんコスパが悪い。
なんで怒ったかという理由と、こうなってほしいなという理想が結びつきづらく、実際はその理想の結果が得られないどころか、反対の効果を生み出してしまうと思う。
(得られるもの)-(失うもの)がおそらく負の値になってしまうので、コスパという言葉を使った。
たとえば、モンスターペアレンツ。
子供を思うばかりに学校へ文句を言う親は、子供を思うばかりに、と言った通り、子供のためを思って学校に文句を言い、理不尽な要求をする。
もちろん自分のプライドや他の親への自慢のために、と言う大きな目的は別にあったりもするかもしれないけれど、直接的なクレームの理由は往往にして子供だ。
しかし、結果的には、自分はイライラしていて、学校側も不快に感じ、子供も親の理不尽な姿に失望してしまうリスクのある状況になる。
怒る、と言うのは基本的にはネガティブに見られる行動なので、その行動の理由に関係なく、否定的なエネルギーが発生する。
大抵の場合、ネガティブな感情に対してはネガティブな感情が生まれやすいので、登場人物全てがネガティブな感情に支配される。
けれども、そうはならない。
ネガティブな感情に対してポジティブな感情で立ち向かう人たちがいるからだ。
ネガティブなエネルギーを打ち消すためにポジティブなエネルギーを用いるのは一見正しいように見える。
しかし、ネガティブなものがすでに存在している場合、ネガティブサイドからみると、ポジティブな存在は「うざい」と思われる。
結果的により大きなネガティブなエネルギーが発されることになり、水掛け論になってしまう。
正義の反対はもう一つの正義、と言ってもいいかもしれない。
学校でディベート大会をやると、決着がついてもなんとなく嫌な感じがクラスに漂うのはこれだと思う。
これではせっかくのポジティブなエネルギーもかえって状況を悪化させる一因になってしまう。
また、受け止めるという人もいる。
ネガティブなエネルギーを受け止め、それが連鎖的に増えるのを阻止しようとするのに、自分でその鎖を断ち切ろうと踏ん張る。
けれども、人間は心も体も限界というものがあるので、一定以上の負荷がかかると、壊れる。
イエスマンや「いい人」が壊れやすいのはこれがわけだと思う。
困ったことに、ネガティブなエネルギーに対しては同じ量のポジティブなエネルギーも、受け止めて効果をゼロにすることも何かしらのさらなるネガティブなものを生み出してしまうリスクがあることがこれまででわかってきた。
さて、どうするのか。
自分なりの一つの答えは、ユーモアだと思う。
何かを否定しようとする感情には、否定をいつの間にか肯定にすり替えてしまうのが一番巧いやり方だと思う。
何かを否定しようとすること自体は否定せずに、相手が受け入れられる範囲で一番肯定的な点を狙い撃ちする。
すると、もともとあった否定的な雰囲気を気づかれずに肯定的なものに変化させられる。
さて、どうすればユーモアを生みだせるか。
これは難しい、の一言に尽きる。センス、と一言で片付けることもできる。
けれど、自分なりのコツを見つけたので、この場でこっそり紹介したい。
シリアスな話題であるほど、できるだけ柔らかい例を、誰も傷つけない形で届ける、以上だ。
3人家族で、一人が外で働き、一人が家事をし、一人がその二人に養われているとする。
外で働く人はお金を稼ぐので、お金を稼いでるのは自分のおかげと言うのに対して、家事をする人は外で働けるのは自分のおかげだと言いたくなる。
養われている人が言うべきなのは、「二人は協力(チームプレー)をしていて、私を養っている(喜ばせている)」ということをその人なりに表現することだ。
そうすると、それぞれの役割をなんのためにしているのかがはっきりとし、感謝、などという肯定的な感情に変換される。
状況は何も変化しなくても、発想で見え方を変えればいい、それがユーモアだ。
人間はどんな状況でも、発想の力で世界を明るくみることができる。
本当に、どんな状況でもだと思う。
そして、理不尽な出来事に対して、怒りではなくユーモアで立ち向かう人が一人でも増えればもう少しまともな世の中になると期待している。
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映画「Life is Beautiful」がこのことを深く、教えてくれた。
素直に書きます。出会った人やものが、自分の人生からどう見えるのかを記録しています。