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あざなえる縄の裏っかわ

放課後の誰もいなくなった教室で、夕日が差し込むあたりをしばらく見つめていた私は、気まぐれで図書室に向かうことにした。騒がしい日中の教室とは違い静かな時間の流れる空間で、私はその人を見つけた。図書室の隅に座るその人は、やけに真剣な顔をしながらえんぴつの音をガリガリ、とまさに削るようにノートに響かせている。その姿からなぜか目が離せなくなり、しばらくその様子を眺めているとその人はスッと顔をあげた。

なにみてるの?

ふいに向けられた問いに戸惑う私の顔を、図書室に差し込んだ夕陽が照らしていた。

どうでしょう。少女マンガの一コマのようです。恋が始まりそうです。


さて、このシーンではなぜ恋が始まりそうなのでしょうか。1つの答えとして、偶然と日常とのズレが合わさると人は心動かされるから、という理由があげられます。

なんとなく図書室に向かう私、そこにたまたま居合わせるその人、どことなく私の興味を引くえんぴつの音。そして、騒がしい日中と放課後の静けさ、教室と図書室、落ちついた雰囲気と真剣なその人の表情。

偶然が重なることを奇跡、と人は呼んだりします。運命と言い換えてもいいかもしれません。起こりそうもないことが起こると、やはり人は心動かされてしまうものです。

人と付き合う、というのはこの運命的な出来事を日常に取り込むことと言えます。奇跡的に出会った人とまた会えるような約束をして、喜びを感じます。

悲しいことに、奇跡やそれに伴う爆発的な感動には賞味期限があったりします。起こりそうもないのに起こるから運命的なのに、毎日起こってしまっては奇跡とは呼べません。サプライズも何度も同じものを仕掛けられては驚きは減っていきます。食べ物は食べられるうちに食べないとあっという間に食べれなくなります。

食べ物は腐ってしまっては食べれなくなりますが、人の感情はずっと食べられるようにしておくことができたりします。

例えば、結婚式のスピーチでよく語られる家族とのエピソードはどうでしょう。毎日毎日ご飯を作ってくれたこと、辛い時にいつでもそばにいてくれたこと、困っていることに何度も一緒に立ち向かってくれたことが、とてもかけがえのないものとして語られます。それまで当たり前と思っていた日常の一コマが、何気ない日々が、輝きを放つ瞬間になります。


禍福はあざなえる縄のごとし、ということわざがあります。災いと幸福は縒り合わせた縄のように表裏一体なので、一時の気の迷いに一喜一憂しても仕方がない、という意味です。

偶然と必然もまた、あざなえる縄のごとし、なのかもしれません。日常の中に奇跡が、奇跡を生み出す不思議な巡り合わせがこっそり隠れていたりするのです。

いい関係が長く続く2人というのは、偶然を必然に、必然を偶然にするのがうまいと思います。偶然をつかまえて仲を深めて必然のようにしていき、深まった仲を見て、そんな偶然に喜びを見出します。暖簾につられて入り、一口目で恋をし、噛み進めてさらなる魅力に気づき、食べていた時間を思い出すだけで幸せを感じ、数日後にはまた足を運んでしまう行きつけのお店への気持ちのような、あたたかくそれでいて確かな相手への想いがそこにはあります。

無意識にそれができる人も、何度も繰り返していくうちにできる人もいます。相手と協力してその仕組みを作ってもいいと思います。自分(たち)に合った形ですればいいのです。

奇跡的な偶然で出会ったとしても、それがいつの間にか必然に変わっていたりもします。そのことでどうしようもなくなると、人は別れるのかも知れません。賞味期限の切れたものを食べてもお腹を壊します。腐ったように見えて実は発酵している納豆のような曲者もいるのでなかなか難しいですが。

相手が望みそうなことを自然とできて、相手もまたそうしてくれる。そんな奇跡のような日常を積み重ねていけそうな相手が、運命の人なのかも知れません。

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付き合っている人はいるけれど、恋がしたいって感じるってどういうことでしょう…そう思いはじめたら終わりですか?

上の文章は、この質問を受けて書いたものです。意識的に性別の特定を避けて書いています。また、恋愛関係に限ったことではなく、誰かと誰か、何かと何か、について書いていたつもりです。

前提として、付き合っている人とある程度うまくいっていると予想してこれを書きました。暴力や暴言をぶつけてくる相手なら早く次の恋に向かって進んで欲しいと思います。あなたがそこに少しの幸せを感じていたとしても、あなたは傷つけられているし、もっと別の形で付き合う方法は本当にいくらでもあります。

「付き合っている」が「結婚している」だと話は随分変わってくるんだろうな、とも思います。誰と恋愛するかは基本的には自由ですが、結婚しているのに新たな恋がしたい、だとその先には書類や裁判なんかが発生して、お金や子供について争わなくてはならないこともあるからです。それはとても疲れることです。

ただ、結婚している、よりも、付き合っている、の方が契約としての責任が減る分、迷いも生まれやすいという側面もあると思います。だから、どちらの問題もやはり難しいのかもしれません。

さて、今回は偶然と必然をテーマに書きました。正直上の文章では質問に答え切れていない気がしています。質問をくれた人の性格も、付き合っている相手も、どんな恋をしたいのかもわかりません。でも、ただ漠然と今の関係が落ち着いてしまっていて刺激が足りないと感じているのなら、サプライズを仕掛けてマンネリを解消しようといって頑張るのもいいですが、いろんなことを振り返ってみるのもいいと思います。

今では当たり前になっている、付き合ってくれた(ている)という事実や、一度しかない人生の時間をシェアしてくれていること、困った時には心配して相談に乗ってくれること、誰よりも気のおけない相手であること。

些細な日常を共にできる、ということはたぶん奇跡です。

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