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歌の歌詞が聞き取れないバカ耳の僕が、BUMP OF CHICKENの「シリウス」を聴いて、世界の見え方が広がった話です。 ぜひ曲を聴きながら読んでください。 ------------------------------------------------- BUMP OF CHICKEN(以下バンプ)というバンドをご存知だろうか。 代表曲は「天体観測」。 「見えないものを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」なんていう最高なフレーズをこのバンドは歌う。 中学校1年生
眠れない。バカみたいに眠れないのにパソコンなどというもっと眠れなくなるものを開いて文章を書いている。なぜこんな文章を書いているかというと、少なくない人数が前回の僕のノート(もうポジティブなことしかできない)を読んで眠れなくなってそうだな、と思ったからだ。新しい発見をすると人はだいたい快楽を感じてドーパミンやらアドレナリンやらが出て頭や体が元気になってしまう。僕も今、思考のアウトプットが楽しすぎて脳内物質が溢れんばかりに分泌された結果、眠れなくなっている。本当はちょっと眠いのに
人は生まれてから死ぬまで、じゃんけんを何回するんだろうか。 家族とチャンネル権を争って、友達と帰り道にアイスを賭けてコンビニで、サザエさんの次回予告の後で、じゃんけんぽん!と何かを運に委ねる。 じゃんけんはやる前から結果が決まっていると思う。 その時の気分かもしれないし、考え抜いた末かもしれないけれど、とりあえず手を決めてお互いそれを出す。 だから、出す前に結果が決まっていて、それを出した後に答えあわせをしているのだと思う。 偉い人のご機嫌とりのために、どうしても負けたい
金木犀の香りがする頃に、いつも鼻水が止まらなくなる。 気温の落差、気圧の上下、秋花粉の飛散で身体がヒィヒィ悲鳴をあげているのだと思う。 うだるような暑さの夏を抜けるとふいにやって来る秋は、サウナの後の水風呂のように気持ちいいけれど、浸りすぎるとやはり風邪をひく。 季節の変わり目には、空気が変わる。 その変化に植物は色づき、その植物を見た人は心動かされる。 嫌われ者の梅雨も、愛される桜や紅葉、全ての色を消す雪も、空気の変わり目を教えてくれる。 ちょっとした
中学の同級生の話をしたい。サッカーを愛する人の話だ。 彼は隣の小学校に通っていた。お互い少年団でサッカーをしていたので、よく練習試合で対戦していた。左利きでボール運びが上手く、キックも強烈な選手だった。ディフェンスの選手だった僕は直接勝負することも度々あったが、けちょんけちょんにされていた印象しかない。生来の負けず嫌いなので点数を決められる度に目を真っ赤にして、次こそは勝ってやると意気込んでいた。当時の自分には申し訳ないが、正直なところほとんどやられっぱなしだったと思う。
その結果が出た瞬間、普段お酒をほとんど飲まない友人は、昼間にもかかわらずグラスを一気に傾けた。そしてこういった。 この結果を恥ずかしく思う、アメリカの市民権を捨てたい 日本に留学している友人はそろって怒りと嘆きを吐き出していた。それほどに、ドナルド・トランプが大統領選で勝ったということは彼らに衝撃を与えたのだと思う。 トランプが掲げるアメリカファースト、というのはどういうものだろうか。もちろん色々な意味を持つ言葉であるとは思うが、貿易という側面からみると、外国製品
放課後の誰もいなくなった教室で、夕日が差し込むあたりをしばらく見つめていた私は、気まぐれで図書室に向かうことにした。騒がしい日中の教室とは違い静かな時間の流れる空間で、私はその人を見つけた。図書室の隅に座るその人は、やけに真剣な顔をしながらえんぴつの音をガリガリ、とまさに削るようにノートに響かせている。その姿からなぜか目が離せなくなり、しばらくその様子を眺めているとその人はスッと顔をあげた。 なにみてるの? ふいに向けられた問いに戸惑う私の顔を、図書室に差し込んだ夕陽が照
文章を書くとき、頭の中に立体ができあがるような感覚がある。 具体的には頭の中に縦軸と横軸と奥行きのある数学でいうところのユークリッド空間みたいな場所があって、そこにとある立体を作り出す感じがしている。あくまでたとえ話だけれど、自分の中でなんだかしっくりきている。 文章を書きたいと思う瞬間を考えてみると、それはきっと自分の目の前にあるものやことが、自分の人生ときれいに交わった気づいたときだ。そして、ある出来事に出会ったときに、それととてもよく似ている出来事を知っていたり、あ
Bunkamuraシアターコクーンで上演中の『民衆の敵』を見ました。以下ネタバレを多く含みますが、「近代演劇の父」と呼ばれるイプセンの作品なので、ネタバレ程度ではこの戯曲の面白さは損なわれないだろう、と勝手に解釈して、がんがんとネタバレも交えて書こうと思います。 舞台のいいところは生身の人間が目の前で演じるところにあると思っているので、「噓から出たまこと」という言葉があるように虚構であると同時にその世界を現実に体験でき、youtubeで音楽が無料でいつでも聞ける時代になって
ワイパーはいつでも、車のガラスからしずくを払ってくれる。 一定のリズムで淡々と自分の仕事をこなすワイパーは、毎日毎日会社に行って指示を受けて働く人間のようだな、と久しぶり雨が降った日に、その中をゆく車を眺めているときに思った。 幼いころ、日曜日になると蕎麦屋に出かけるのが我が家の定番だった。 蕎麦屋に向かう車では、前方には大人が、後方に子供が座った。 日曜日は特別朝の遅かった我が家では、15時まえに蕎麦屋に向かうのがたいていだった。 毎週通っていたから、もちろん雨の
小学生のころに読書カードというものがあった。あれはどこの学校にもあったのだろうか。 僕の学校の読書カードは、自分の読んだ本を記録し、月に一度くらい先生に見せる。そしてスタンプをもらう、というものだった。 帰りの会の先生はときどきこの読書カードを話題にした。先生は読書をたくさんすることを褒めた。色んな世界を見たり、感じたりするのに読書はいい、と教えてくれた。 先生のねらい通り、生徒たちは読書する子はかっこいい、という空気を作り出した。もちろんかっこよさでいうと足の速い子に
紅葉が終わり、風が吹く。 植物から色がどんどんなくなっていく頃、朝起きるのがつらくなる。 まだ起きなくて大丈夫、あと5分寝よう。そうやってまた目を閉じる。 起きなくてはいけない理由など、何も無いように思う。 そして、あたたかい布団から出ない理由は無限に出てくる。 空腹ごときでは僕を布団からは引っ張り出せない。先回りして枕元にパンを置いている。 暁を覚えないのは春だけではない。むしろ冬は起きていてもかたくなに布団という聖域を守ろうとする。 あたたかい布団とや
高校一年生の春、僕はサッカー部に入れなかった。新入生が入部届を提出するはずの日の放課後、徐々に人が減っていく教室で、いつまでもいつまでも椅子から立ち上がれなかった。体験入部にも行き、入部届も書いていたのにもかかわらず。 とても奇妙な時間だった。幼稚園の頃からサッカーを好きで続けていたから高校でも当然続けるものだと考えていた。確かに体験入部の時に何かが違うなとは思ったが、入らないという決断をするにはあまりに漠然とした理由だった。この理由は今でもわからない。なんとなく入らなかっ
どういうわけか、絡まったものを見るのが好きだ。 あまったたこ糸、教室の大縄、イヤホンのケーブル。 放っておくといつの間にか絡まるあいつらのことだ。誰かが夜寝ている間にこっそりぐちゃぐちゃにしてるんじゃないかというほどあいつらは絡まる。絡まろう、という意思が見える。 あいつらを好きだといったが、正確にいうと、絡まったあいつらをほどくのが好きだ。ぐちゃぐちゃであればあるほどいい。やりがいというものが生まれる。 端と端を探す。一度離れてみて大体の絡まり方を見る。ほぐし