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考えすぎと俯瞰のリズム

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へんなものを見つけて考えて遠くから眺める 整合性と破壊、偏愛と狂気/冷静な神経質
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#エッセー

ピーマン

嫌いな食べ物代表の、ピーマン。 においや苦みが苦手という人、かなりいます。 おとなでも嫌いという人、結構みます。 さて、嫌われ者のピーマンについて。 実はピーマンアレルギーというのもあったりします。 ピーマンを食べたくても食べられない、という人がいます。 好き嫌いとアレルギーは明確に違います。 体に取り込みたいと思うかどうかが好き嫌い。 その意思に関係なく体が拒否するのがアレルギーです。 それを混同している人、わりといます。たくさんいます。 好き嫌いを

美しいストーリーに食い殺される

思い出を美化してしまう。そして、その思い出に苦しめられる。 苦しい思い出を消化するために、ときにその思い出を美化してしまう。 苦しい思い出を消化するため、は「乗り越えた自分」を肯定するため、と言い換えてもいい。下積みや修行、挫折の経験が成功につながっている、というのは耳触りがいい。つらければつらいほどそれを乗り越える感動は大きい。美しいストーリーは語りたくなり、何度も何度も繰り返し語ってしまう。 そのせいで現実がうまく見られなくなることがある。 つらかったことを乗り越えた

都会の呼吸

最近更新できていなかったけれど、こんな風にぽつぽつとあげるだけえらい、と自分を励まして書いています。 ―――――――――――――――――――― 今年の花粉症はなんだかおとなしい。 確かに目はかゆくて鼻水は出るけれど、昨年までのこの時期と比べると、びっくりするくらい鼻も目も穏やかだ。毎年春以外も鼻をかみながら過ごしているくらいのひどい花粉症持ちなので、今年は肩透かしを食らったような気分だ。 どうした花粉。いないといないでさみしいとかは全くないけど気にはなるぞ。 スギ、

顔も名前もない言葉

満員電車に毎日揺られるようになってもうすぐ一年、混み合った電車に乗ることが日常になりつつある。一時は押しつぶされそうになっていた東京の無機質な空気に少しは溶け込むことができたようにも思えて、少しだけ胸を張っている。 満員電車は疲れる。人が目の前にいる。後から乗り込んだ人が押してくる。押された人が押した人を睨み、聞こえるように舌打ちをする。 そんな満員電車を多くの人が待つ待つ朝のホームに昨日は怒号が響いた。通勤時間の混雑したホーム上で、何人もの人が振り返る。だが、仕事に急ぐ

冷たい想像、赤いランプ

ひと月ほど前、家の近くの交差点で事故があった。車とバイクがぶつかり、救急車が来て警察が現場検証するような事故だった。 僕はランニング帰りにその場を通った。最近は週に何度か、仕事終わりに帰宅してからご飯を食べる前に走っていて、その日も夜道を家に向かって帰っていたのだ。救急車と警察車両の赤いテールランプに照らされたいつもの道は、妙に現実味がなかった。 交差点の傍らには青いバイクが横たわり、前面のガラスは粉々になっていた。救急車はちょうど発車するところで、警察と現場に居合わせた

見えざる奔流

あの朝、駅のホームから改札口へとつながる階段を下りていく人々の姿が、排水溝に吸い込まれる水にしか見えなかった。 人々の群れは、ただ物体の集まりでしかなく、血の通っている動物、ましてや意思を持つ人間とは思えなかった。それぞれにどれだけ濃密な人生が詰まっていようとも、あの流れには逆らおうとするものもないし、立ち止まることも許されていなかった。仮に自分があの中にいたとして、歩き方こそ違えど同じ動きをしていた。そういう意味で、彼らにとっては自分の姿も電車に吸い込まれる水でしかなかっ